2017年07月29日(土) 赤崎神社(豊受大神宮 末社)の近くに近鉄志摩線のトンネルが掘られた経緯は未だわからず・・・ (車、徒歩)
先日、次の記事のリンクをFacebookに投稿したところ
【参考:投稿したリンク】
次のコメントをいただき、なぜこのトンネルが掘られた、なぜこのルートが設定されたのかについて知りたくなった。
鎮座地の下のトンネルを近鉄が走っているのには聊か驚きました。電車が先で、あとから遷座したのかもしれませんが。
知人から以前は赤崎神社の前は海だったことを聞き、現在の鳥羽駅も埋め立て地であったことなどを知ると、当時の海岸線を利用して線路が敷かれたのだろうと想像はできたものの決定的に納得できる情報は得ていない。
鳥羽大庄屋かどやを後にするとその話題の場所を訪れた。赤崎神社(豊受大神宮 末社)の社叢に近いこの踏切から見えるトンネル。
まさに特急が吸い込まれた
このトンネル、このルート・・・
赤崎神社にお参りすると神様に尋ねてみた。しかし、「それは自らで調べなさい!」と。
この場所も海岸線であったことを考えると加茂川を鉄橋で渡るルート案もあったはずではないか? そうか、社頭を線路を通すことはできない?
当時の海岸線を思い描きながら安楽島大橋(加茂川)を渡った。
安楽島大橋を渡り終えると
鳥羽市立図書館に向かい、各種の資料を漁ってみたが私が欲している情報を手にすることができなかった。
まだまだ、迷走の日々が続きそうだ。