2014年11月08日(土) 瀧原宮周辺、熊野古道伊勢路ほか、きままな散策 (徒歩)
昨夜に遷御を終えた瀧原宮および瀧原竝宮にて執り行われた「大御饌の儀」の拝観を終えたのは午前8時頃。
【参考】
その後に斎行される「奉幣の儀」は午前10時の予定、30分前には戻りたいので1時間半ほどは時間があった。そこで、昨年踏破した熊野古道伊勢路を少しだけ散策することに決定!
【参考】
瀧原宮を後にする前にパチリ。
御由緒を記した説明板も新しくなっている。
内容は以前と変わっていない。
瀧原宮の前を通っている熊野古道伊勢路に出ようとしたところ
車止めに目が釘付けとなった。なんと輝いている。
車止めを土中に埋める部分には銅板が巻かれていた。まるで工芸品のようだ。
奉献されたお白石を納めた樽を右手に見ながら熊野古道伊勢路を熊野方向へと歩き始めた。
すぐ目の前にある橋で頓登川を渡る。頓登川は瀧原宮の御手洗場。
橋の途中で左手を望むとこの先に御手洗場がある。
橋を渡ってさらに進むと左手には古民家カフェ こんぺいとう、昔ながらの雰囲気を残している。
街道には先日のお白石持行事の名残が残されていた。これらの提灯やしめ縄は遷宮を終えるまで張られていたのだろう。
途中の掲示板で見かけたのは、
こちら「岩滝神社例大祭」の案内掲示。
岩滝(瀧)神社は国道42号沿いにあり、一度だけお参りしたことがある。
【参考】
- 滝原めぐり 2010年05月09日
この掲示板の近くには多数の新聞の看板が並んでいる。なんでもござれ!
先へ歩いてから振り向いてパチリ。
少し歩くと
祝詞橋がある。
橋の親柱には「祝詞川」の名がある。
橋を渡って振り変えるとそこには「巾田河内川」と示されている。「祝詞川」が行政的には「巾田河内川」なのだろうか? どう考えても祝詞川の方がこの地には相応しい。
さらに、別件だが、橋の詰めに立てられた提灯に注目するとこちら側と川の向こう側とでは形状等が異なっていた。地区が独自で作っていたのだろう。
伊勢路をさらに進むと懐かしい火の見櫓、この櫓には半鐘が吊られている。
火の見櫓があるのは中村集会所の前で、常夜燈も建っていた。
大紀町役場の入口付近へ到着するとここで考えた。「この先、どこまで行けるか、大滝峡までは行けないだろう? それならまだ訪れたことが無かったJR滝原駅へ行ってみよう!」
熊野古道伊勢路はここを直進、ここで右折するとその先にはJR紀勢本線 滝原駅がある。
右折してパチリ。目の前の交差点で国道42号を渡る。
横断歩道を渡るとそこには近畿自然歩道「滝原駅0.3km・・・」の道標があった。
矢印に従うと「大内山川」に架かる
滝原大橋を歩いた。
右手方向(下流側)をパチリ。
左手方向(上流側)もパチリ。紅葉には少し早かった。
滝原大橋を渡ると大紀町から大台町へと切り替わる。ここは大台町 大ヶ所(おおがしょ)。
橋の先に続くなだらかな坂道をさらに進むと左手にある掲示板には
三瀬谷神社「秋の例大祭」の案内掲示があった。
なお、三瀬谷神社はJR紀勢本線でひと駅離れた三瀬谷駅の近くに鎮座している。
【参考】
ここから数十mで滝原駅に到着。駅には列車が到着していた。思わず飛び乗りたくなった・・・。
駅の前から来た道を振りかってパチリ。
駅の構内もパチリ。昨年は車窓から眺めた風景なのだろう。
こちらは上の写真とは線路の反対側だが、多気駅方向へ戻る際に撮影したもの。
歩道橋が大好きな私なので、跨線橋も大好きだ。自然と足が向かった。
駆け登るとパチリ、パチリ。これだけの高さの変化で見えるものが一変する、それがいい。
滝原駅を後にすると滝原大橋まで戻ってきた。橋を渡る手前、右側に鳥居を発見。
まだ、時間的には余裕があったので参道(右側に水路が流れるコンクリート舗装された幅の狭い道)を進むと鳥居の前には常夜燈が建っていた。
鳥居をくぐると左手には神社ではなく、三界萬霊塔があった。
さらに奥へと続く細い道を進むと
突き当りには小さな祠が祭られていた。振り返ってお参り。
この祠の右隣りには
こちら。
また、先ほどの水路の辺りには橋の欄干と思われる石造物が立っていた。
近くでパチリ。周囲を確認してみたが文字は刻まれていなかった。
帰りは水路を左側に見ながら細い道を戻った。
滝原大橋を渡ると少し思案。同じルートを辿るのも面白くないので国道42号を歩いて瀧原宮へ戻ることにした。橋を渡り終えて左へ折れると橋の親柱をハッケン!!
その柱の正面からパチリ。奥に写っているのは先ほど渡った滝原大橋だ。
その前に下りの階段があったので、下方から見上げてパチリ。左右の親柱が確認できる。
階段を戻って国道42号の歩道からもう一度パチリ。
国道42号を滝原方向へ進むと「道の駅 奥伊勢木つつ木館 1km」
道路の向かうでは、先ほど祝詞橋で見た提灯と同じ形の提灯が撤収されていた。やはり、昨日の遷御までは残されていたのだろう。
「渋いだろうな」と口にしながらパチリ。
柿と同じ色の・・・、 大宮郵便局の看板。
その先には青面金剛像があり、
さらにその先には小さな祠が祭られていた。
祠の脇に供えられていた拳ほどの大きさのお白石がひとつ、印象的だった。
歩道へと戻ると提灯を回収する軽トラックが通り過ぎた。(先ほどの車か?)
もうすぐで道の駅 奥伊勢木つつ木館、ここは「浜松まで158km」ボスト付近。
ここから歩道は車道を離れ、歩道専用の橋となる。
この下に流れているのは、あの頓登川。瀧原宮の御手洗場からの流れだ。
見上げると車道には瀧原宮、道の駅 奥伊勢木つつ木館の案内板が望める。
橋を渡り終えてから振り向いてパチリ。
瀧原宮へ直行しようかとも思ったが、まだ時間があったので遠回り。
SANCO 滝原宮前 バスのりばを越えてさらに進むと
次の丁字路で右折して国道42号を離れた、道なりに進むと見慣れた場所に出た。そこは熊野古道伊勢路。
足神さんの近くだった。
足神さんにお参りすると瀧原宮へと向かった。
宮域の間をゆっくりと進むと
こちらで駐車場から参道と合流。
この近くにはこんな注意看板がある。
瀧原宮の前にある滝原小学校跡を散策すると
次の標石を見つけた。「元神宮寺、野後小学校跡」とある。
大紀町役場付近から熊野古道伊勢路を外れると自由気ままな散策となってしまったが、なんとか予定時刻には瀧原宮へ戻ることができた。この後は遷宮諸祭儀 奉幣の儀を拝観した。
【 20141108 の記録 】
- 遷宮諸祭儀、大御饌(瀧原宮、瀧原竝宮)
- 瀧原宮周辺、熊野古道伊勢路ほか、きままな散策
- 遷宮諸祭儀、奉幣(瀧原宮、瀧原竝宮)
- 初めて拝観した所管社の遷宮諸祭儀(瀧原宮所管社 若宮神社、長由介神社ほか)