2015年11月07日(土) 河邊七種神社の御神遷(伊勢市河崎) (車、徒歩)
伊勢市河崎に鎮座する河邊七種神社の遷座祭が斎行された。川原大祓は合祀された旧八王子社の跡地で執り行われると聞いていたのでまずは川原祓所を確認した。川原祓所は河崎の本通りにあるうどん屋「つたや」の左脇にある世古(路地)を入った先にある。(午前中に確認しておいた。)
川原大祓の儀の開始予定時刻は午後7時で、6時半に到着。
すでに御神宝(威儀物)等は準備され、シートが掛けられていた。(雨が降り出しそうな空模様)
川原祓所を後にすると河邊七種神社ヘ向かった。
社務所前には陣羽織を身につけた威儀物の所役が集まっていた。
こちらが御遷座を迎える本殿。
実は遷座祭後に社務所前で見かけたパネルには式次第等が記されていたので、時系列では逆転するが、全体を把握するためにここで紹介しておく。
ご案内
河邊七種神社は歴史も古く約五五0年の伝統を持ち祖先代々からの信仰によって今日河崎町の発展があり霊験あらたかであります。
この度神遷を迎える事と相成りました。
神遷とは神を遷(うつ)すと云いまして古いお宮から新しいお宮に御稜威(御魂)を遷し瑞々しく永遠にお鎮まりあります様にお祈りする神秘的な儀式であります。
後日は奉祝祭と云うお祭がございます。これは新しい神殿に神饌をお供えして奏でる楽も雅美やかに歌舞も鮮やかに神前に捧げるお祭です。
日時
神遷 十一月七日(午後八時)
奉祝祭 十一月八日(午前十時)
つきましては崇敬者の皆様ご参拝の皆様ご自由にお参り下さいますようお願い申し上げます
河邊七種神社
第二十八回 十一月七日 午後八時
河邊七種神社遷座祭式次第是より先 手水の儀あり
川原祓所(旧天神祭跡)に宮司、祭員、奉賛会長以下諸員列立修祓
次ニ召立(参進 行列をして仮殿に向う)
次ニ宮司以下祭員、氏子総代、奉賛会長所定の座につく
次ニ宮司一拝
次ニ宮司仮殿の御扉を開き畢りて側に候す
次ニ宮司祝詞を奏す
次ニ遷御
「鶏鳴三声」、「出御三声」にて『御』が新殿に向う
次ニ入御『御』が新殿に納まる
次ニ召立順に御神宝を新殿に納める
次ニ神饌を供す
次ニ宮司祝詞を奏す
次ニ玉串を奉りて拝礼
次ニ神饌を撤す
次ニ宮司御扉を閉じ本座に復す
次ニ宮司一拝
次ニ宮司挨拶
次ニ宮司以下祭員、氏子総代、奉賛会長以下退出
次ニ直会
しばらくすると遷座祭の始まりがアナウンスされ、挨拶と共に
川原大祓までに段取りが説明された。
「宮司および祭員、氏子総代は専用の手水を受け、その他御神宝(威儀物)の所役は午後6時50分より各人で手水舎にて心身を清めてから午後7時までに川原祓所(八王子社跡)へ到着していること」
その時刻になると陣羽織を着た所役は各自で手水舎にて心身を清めてから
神社を後にして八王子社跡へと向かった。
八王子社跡に所役が列立すると
続いて宮司以下祭員、氏子総代が登場し、川原大祓が開始された。
まずは、御神宝(威儀物)に掛けられていたシートが外された。(この時、雨は降っていなかった。)
準備を終えると修祓。祓詞が奏上されると
大麻および御塩にて御神宝、宮司、祭員、氏子総代、諸役の順で祓い、清められた。
修祓を終えると召立が始まった。
「めしたて・・・」の一声に続き、所役名と担当者の氏名が読み上げられた。
召立てられた所役は「ゥオー」と警蹕で応え、担当の御神宝等を受け取ると決められた位置に列んだ。以下は召立の様子をパチリ、パチリ・・・
召立が終了すると次の順で列を構成して河邊七種神社(仮殿)への参進が開始された。
召立後仮殿に向う行列
先導→真榊→大麻→御塩→御白杖→御楯→御鉾→御胡籙 (やなぐい)→御弓→御鞆(とも)→菅御翳(さしは)→紫御翳(さしは)→紫御笠→宮司→布単(道敷)→行障→絹垣→布単→奉賛会長→御太刀→菅御笠→御鏡→御櫛筥→御沓→御白馬→後衛→参列者
八王子社跡前の世古(路地)を抜けて河崎本通りへ出ると
右折して河邊七種神社を目指した。その歩みは非常にゆっくりで一歩一歩を踏みしめるように・・・。
じっくりと時間を掛けて神社の東参道へたどり着くと
鳥居をくぐった。
私は受付のテントで呼び止められて署名していたら遅れをとり、参進の列は社務所の前へと進んでいた。
この場で確認する威儀物を捧持した所役のみは社務所前で待機し、宮司以下祭員と遷御に関わる所役ほかが仮殿へと向かっていた。
こちらは威儀物等を捧持した所役。
また、社務所前に張られたテントの下には多数の拝観者が待機していた。
テント越しに・・・
社務所前をパチリ。
仮殿の御扉が開かれる音が聞こえたので、その後に宮司により祝詞が奏上されたと思われる。
威儀物の所役が待機するなか
いよいよ遷御の開始が迫ってきた。
そして、消灯。境内は真っ暗になり「鶏鳴三声」、「出御三声」にて『御』が仮殿から出御されると浄暗のなか新殿に向へと向かった。消灯中は公式記録員以外の撮影が禁止されていたので写真はなし。
その時のイメージ写真を作成してみた。私の記憶ではこんな感じだった。消灯直後が真っ暗に感じたが伊勢の夜は明るい。地面付近は真っ暗だが、空はほんのりと青かった。そんななか提灯の明かりで先導された絹垣(『御』を囲っている)がゆっくりと進んでいることを感じた。
絹垣が拝殿、幄舎を抜けて本殿へと吸い込まれ入御となった。遷御が終了すると照明が戻され
入御を終えた祭員、所役が本殿を後にした。
続いては、御神宝(威儀物)等が本殿へと順次納められた。ここでも川原祓所と同様に召立文が読みあげられた。
各所役は召立に警蹕で応じると御神宝を捧持しながら本殿へと向かい
御門にて待機する祭員に手渡した。
召立は行障、絹垣、布単を除いては川原祓所と同様に繰り返された。
御神宝(威儀物)等がすべて本殿へ納められると御神遷は終了となった。
続いては一般的な祭典の儀式である献饌、祝詞奏上、玉串奉奠、撤饌が執り行われた。
献饌、
宮司による祝詞奏上(宮司は御門のなか本殿の前にて・・・)、
御扉は開かれた本殿に向かい。
祝詞奏上を終えると玉串奉奠。
宮司が本殿の前に置かれた案に玉串を奉奠すると
祭員も御門の前にて合わせて拝礼した。
その後も玉串奉奠が続き、氏子総代、
所役一同、代表が幄舎下にて玉串を奉奠すると
拝殿下にて一同も拝礼。
以上で玉串奉奠を終えると撤饌となった。
撤饌の後、本殿の御扉が閉じられた。(閉扉) これは御扉が開けられている状態。
閉扉の際は低頭。御扉が閉じられ際、警蹕の「ゥオー」と共に「ギッギィー・・」と音がする。左、右と繰り返されて頭を上げると
御扉は閉じられていた。
その後、宮司一拝、拝観者も共に一拝。
最後の最後に宮司が挨拶を終えると
退下となり、遷座祭は終了となった。
退下が終了し、賽銭箱が元の位置へと戻されると早速お参りが可能となった。御遷座後の初参りに列ができた。
列ぶのが嫌いな私もこの時ばかりは列んでお参りした。
お参りを終えてから仮殿を確認するために吉家神社(吉家稲荷神社)へ移動する途中、西の参道入口を封鎖するために設置されていたコンパネが取り外されていた。この場所からは真正面に仮殿が望めるため立ち入りを禁止するためと蕃塀の役割も持たせて設置していたのだろう。
振り返るとこんな感じ、多数の鳥居の奥に仮殿となっていた吉家神社(吉家稲荷神社)が望める。
社務所前まで戻ると社務所の壁にこれらのパネルが掲示および立て掛けられていた。(多くはすでに紹介済み)これらを拝見するとかなり丁寧に準備されていたことがよく分かった。
すでに行列がなくなった拝殿では女性がひとり初参り。
【河邊七種神社の御神遷まで・・】
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【 20151107 の記録 】
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