2015年12月28日(月) 鹿児島県肝属郡東串良町での散策 (徒歩)
義母が急逝したため急行した【キタヰの妻】の故郷、鹿児島県肝属(きもつき)郡東串良町。
26日通夜、27日告別式にて無事に義母を見送った。朝から葬儀の後作業を終えると午後からは実家周辺を独りで散策した。
東串良町は肝属川の下流部河口付近に位置し、平成の大合併でも合併せずに独自の道を歩んでいる。それは1992年(平成4年)9月に第1工区の操業を開始した「志布志国家石油備蓄基地」の存在は大きいのだろう。
【参考】
今回は、志布志国家石油備蓄基地が見える柏原海岸をウロウロとしてから権現山を遠望しつつ肝属川を少しだけ遡った。(約二時間のウォーク)
実家から国道448号を1.5kmほど北上し右折、道なりに進むと松林の中へと続く道路を見つけたので先へと進んだ。するとこんな光景が待っていた。これは松枯れだろうか。年末だったが道路から奥まった場所では伐採作業が続けられていた。
こんな風景を背にしてさらに奥へ(海へ)と進むと
柏原海岸へと続く道・・・。「車等の乗入れはご遠慮下さい。東串良町」と記された警告板があるにもかかわらず砂浜へはしっかりと轍が残されていた。私は歩きなので気兼ねなく浜へと向かった。
風に舞い上がる程の細かなサラサラとした砂の浜、ここはちょっとした砂丘だった。白い石が点在していたのでそれらを手に取ると「軽い!」、この石ならバランスを保てば人差し指でも軽々と支えられるほどだ。(私にはそんな能力はないので三点支持にて安定確保)
誰もいない砂丘に独り。これはやるしかない。「僕の前に道はない。」
「僕の後ろに道はできる(た)。」
時々吹く風に舞う砂とさまざまなモノが織りなすオブジェのような・・・、パチリパチリ
これは
ヒトデだった。
波打ち際の近くを歩いても砂に足をとられてしまう。
なるべく水際を歩こうとしたのだったが、
そんな決心も一瞬にして消し飛んだ。それはこんなにも美しい砂の平面を眺めてしまったから。
「ここに自分自身の足跡を残さなくては!」
一歩を踏み出したらどんどん砂が深くなった。
僕の前に道はないと思っていたら、進行方向と交差する足跡を発見した。いつのものだろう?
・・・
その足跡と交差すると
その先で振り返ってパチリ。奥に見えているのが埋め立てられた島である「志布志国家石油備蓄基地」だ。
さらに進むとこんな足跡を発見。ここで何があったのだろう?
さらに進むと打上げられた(?)冷蔵庫、しかも上部の扉は数m離れた場所に落ちていた。下部の扉はどこへ行ったんだ?
柏原海岸を歩き終えるとこちらの堤防に沿って志布志国家石油備蓄基地へ渡る橋へ向かった。
志布志国家石油備蓄基地へは立ち入れないので、橋の下を通り抜けて東串良漁港へ、目の前には権現山の勇姿が望めた。
漁港に停泊中の船越しにも権現山をパチリ。一度登ってみたいのだがなかなかそのチャンスがない。
ネットで調べていたら次のブログを見つけた。次回の参考にさせていただこう!
【参考】
東串良漁業協同組合の建物、魚捌場を通り過ぎてこの場所から望むと
志布志国家石油備蓄基地の巨大なタンクを遠望できた。
停泊中の仲良しな漁船達を微笑ましく思いながら漁港を後にすると
権現山に近づいた。
船を引き上げるためのレールを眺めてから
漁港へと流れこむ肝属川を遡った。
中洲にはこんな施設が・・・
河口に最も近い橋である第一有明橋の下から権現山をパチリ。
さらに橋の上からもパチリ。
肝属川を後にするとかごしまロマン街道の案内板に従い、唐仁古墳群方向へ歩いた。
そしてすぐ近く、道路沿いに建っているのがこの案内柱「神武天皇御発航伝説地碑↑」。
以前訪れた時と比較すると石段下の鳥居がなくなっていた。
【参考】
- 鹿児島県肝属郡東串良町の散策 2010年12月31日
急な石段を登ると
登り切った左手には戸柱神社が鎮座し(今回はお参りせずに通り過ぎただけ)、
その向かい側に・・・(?)、こちらを奥へ進むと
神武天皇御発航伝説地碑が建っている。
『神武天皇御發航傳説地』と刻された碑。
神武東征の御発航伝承地はいくつかあるようだが、この場(石段の上)に立つとこちらが御発航地だと勝手に確信してしまった。(理由はないのだが・・・)
石段の途中からまたまた権現山を遠望。
実家へ戻る方向には水神宮。(ここも素通り)
近くには児玉醸造がある。(鹿児島の醤油は甘い。)
そして、この看板の近くには鹿児島焼酎「小鹿」の幟が立てられていた。
私がお気に入りの芋焼酎「小鹿」を醸造する小鹿酒造は昭和46年、4軒(梅北商店,児玉醸造,岩下酒造,佐多酒造)の焼酎会社が集まって「小鹿酒造協業組合」として再スタートしたそうだ。つまり、こちらの児玉醸造も起源となっていた。
【参考】
さらに進むと、こちらの空き地の隅に
こんな・・、水神さま?
やっと実家付近へ戻ると近くにあるお寺「専念寺」の階段を上った。その先にはこんな石柱「町指定専念寺の仁王像地蔵像」が建っている。
こちら専念寺の境内に建っているのが
こちらの「仁王像地蔵像」で、阿像は両腕がない。子供の頃にこの蔵を見た【キタヰの妻】はお寺が怖くて近づけなかったそうだ。
背面からもパチリ。