2016年05月14日(土) 海士潜女神社(あまかづきめ、あまくぐりめ)(鳥羽市国崎町) (車、徒歩)
鎧崎を後にすると海士潜女神社へ向かった。以前に訪れた時にはこの周辺の路地を歩きまわったので少し不安ながらも迷うこと無くたどり着くことができた。
理容店の角を右へ曲ると途中で井戸端会議していた二人のおばあちゃんに挨拶。しかし、聞こえなかったのか、無視されてしまったのか? 返答はなかった。
そんなことなど気にせずにさらに進むとここで左折すると丸仙を背にして
坂道を登った。この右手は海士潜女神社の社叢だ。
坂を登り切ると右側に参道が続いている。
坂を登ったいたら二船祭を拝観するために訪れた時のことを思い出した。
【参考】
御潜神事の際には、神事に参加する海女がこちらをお参りすると記された文章を目にしたが、私が訪れた時には誰の姿も見られなかった。
なお、御祭神、御由緒ほかが記された説明板はこちら。
海士潜女神社(あまかづきめ、あまくぐりめ)
主祭神 潜女神(かづきめのかみ) ほか27柱
古くは鎧崎(よろいざき)に鎮座し海女御前(あまごぜん)と呼ばれていました。伝承によると、約二千年前、垂仁天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が、皇大神宮御鎮座ののち神饌を求めて志摩の国を巡られていたとき、国崎の海女(伝説の海女「お弁(べん)」)が差し出した鰒(あわび)をたいそう喜ばれ、国崎神戸(くざきかんべ)として御贄処とし、国崎に「湯貴潜女(ゆきのかづきめ)」を定められました。国崎神戸と定められてから、毎年神宮の神饌として熨斗鰒(のしあわび)を奉納しています。
明治2年海士潜女社(あまかづきめしゃ)と改められました。
明治39年、剱宮舎・白鬚大明神・八雲神社ほか11社を合祀しました。明治40年に神明社・熊野社ほか1社を合祀し、海士潜女神社と改称しました。神明社以下の村内の神々をここに全て合祀して以来、国崎の氏神様と崇められ、その後、昭和九年に鎧崎より現在の宮の谷へ遷祀して今日におよんでいます。
潜女神を主祭神とする神社は全国で一社だけで、地元の海女をはじめ、日本中のダイバーら海に関わる方々の信仰を集めています。大祭
祈年祭(きねんさい)・祷祭(とうさい) 2月24日
例大祭 7月1日
二船祭(にふねまつり) 11月23日(21日から24日)藻場まもる 国崎の海女ら 晴ればれと
得し海幸を われに示せり
秋篠宮妃 紀子
平成16年宮中歌会始にて詠まれる
【参考】
こちらの鳥居の左手には
社号標が建っている。
鳥居をくぐり社務所を左手に見ながら参道を進むとほどなく石階となり、その中段にて
手水を受けた。
石階を登り切るとこちらの鳥居をくぐり
拝殿の扉を開けた。
この場でお参り。
7月1日の例大祭では神宮の舞人や舞女によりこの場所で神宮舞楽が奉納されるそうだ。
拝殿を背にすると左側に宮域遙拝所、
その向かい側、右側には
神宮遙拝所が設置されている。
お参りを終えてこの場所からパチリ。神社に面したお宅の庭に女性の姿が見えたので挨拶したところ話し込んでしまった。その方はあわびと伊勢エビのお宿「たまや」の女将さんだった。
【 20160514 AM の記録 】
- 風日祈祭(外宮)
- 目立たぬ場所にある外宮の駐輪場
- 御潜神事を拝観するために鳥羽市国崎町へ
- 神宮御料鰒調製所と鎧崎(鳥羽市国崎町)
- 海士潜女神社(あまかづきめ、あまくぐりめ)(鳥羽市国崎町)
- 海士潜女神社から老の浜へ(鳥羽市国崎町)
- 伊勢志摩サミット開催記念事業 御潜神事 再現(鳥羽市国崎町 老の浜)