2017年01月07日(土) 午後の豊川散策に先駆けて・・・ (徒歩)
午前中に世木神社で御頭神事を拝観する予定だったが、確認ミスで日程を誤っていた。お昼までどうしよう?(そのまま帰宅すればいいものを寄り道してしまうのが私だ。)
来週に開催される「図書館の古文献で伊勢の歴史の謎にチャレンジ!」講座の第2回では、グループ発表なるものがあり「豊川の流れを調べる」をテーマに考えている。それに向け本日の午後からグループメンバーで散策する予定となっていた。そのため、豊川で気になっている場所を確認しておくことにした。
伊勢市役所裏を走るおかげバス(ラッピングバス)を遠望した後、市役所の表へ移動するとその前にある横断歩道を渡った。その先にあるのはカトリック伊勢教会。
横断歩道を渡った先で見つけたのは
勢田川浄化用水事業豊川導水路の説明板で。ここには勢田川を浄化するために宮川から導水されている流路が図示されていた。
この掲示板の脇に架かる「みさかえばし」から眺めると
とても勢い良く流れる豊川が確認できる。この先を確認したくなり、
(教会はオープンな場だから断りなく敷地に入っても問題ないと勝手に判断し)カトリック伊勢教会の敷地の最奥へ進むと豊川の流れをここでも確認。向かい側は法務局で、上流側をパチリ。
下流側をパチリ。
この後、プチお伊勢さん125社まいり(この内容は別記事で紹介)を終えて茜社を訪れた。
こちらは茜社の参道入口付近から法務局の方向を眺めたもので、この道路の下を川が流れている。
その流れは勾玉池からのもので、先ほどカトリック伊勢教会付近で見かけたほどの勢いはない。
そもそも勾玉池は明治22年(1889)財団法人神苑会によって造られたものだからこの流れは豊川ではなかったのか?
外宮の火除橋の下を流れる堀は豊川だったのか? まだまだ疑問は多い。
現在の豊川の流れはかなり勢いを有しているがそれは勢田川浄化のために意図的に作り出されたもの。往時の様子はどうだったのか、まだまだ不明なことは多い。また、現在の流れは法務局付近から百間堀までは暗渠となっている。どこを流れているのだろうか?
外宮前交差点付近を流れている?
交差点から熊野古道の起点道標を過ぎると
外宮のタクシーのりば入口付近にはこんな石が残されている。
この石は初穂曳やお木曳、お白石持ちでも注意される場所、警備員の方も言っていた。「自転車がぶつかることがよくあり危険・・」 幅広い道幅だが両側にあるこの石から判断するとここは橋だった? 豊川?
想像は続く・・・