2017年07月30日(日) 白山比咩神社跡地に立つために伊勢山上 行場へ、飯福田寺(松阪市飯福田町) (車、徒歩)
京都の友人から伊勢山上(の行場)を訪れたいと連絡が入った。あれはいつのことだろう。私は二つ返事でそれに応じていた。
【参考】
- 伊勢山上 飯福田寺 ホームページ
このホームページには次のように説明されている。
当山は伊勢山上と称され、ご本尊は『薬師如来』。
大宝元年(701年)、役小角(えんのおづぬ)により開創された霊場である。広大な表行場・裏行場を有し、古来より諸侯国司をはじめ、信奉の参拝者は多く、北畠家の祈願所として栄える。
また、天正11年(1583年)には、織田信雄に寺領・百十五貫文を寄付されたが、松坂城主・蒲生氏郷により、当山の伽藍を壊し、その材を用いて松坂城を築くなど、衰退の止む無きに至る。その後、津藩主・藤堂家の信奉を得、寺運は興隆し、今多くの人々が修行と順拝に参詣している。
下の3つの堂宇と、行場を合わせて飯福田寺と呼ばれている。
それは私も伊勢山上の行場を訪れたいと思っていたからだった。それにはふたつの理由があり、
ひとつは純粋に多くの行者が修行の場とする行場を体感してみたかったから、そして
もうひとつの理由は、表行場の最終地点(急な苔むした階段の上)にある場所にあった。
その場所とは白山比咩神社跡であり、二年ほど前に実施した白鷺伝説 七白山めぐりにて訪れることができなかった場所だった。
- 白鷺伝説 七白山めぐり(津市白山町、美杉町、松阪市飯福田町ほか) 2015年03月07日
なぜに訪れることができなかったのか、それはその階段への立ち入りが規制されていたからだった。
- 飯福田寺と白山比咩神社跡(松阪市飯福田町) 2015年03月07日
この時、寺務所を訪れてご住職から表行場を歩けばその階段の上に立てる、つまり白山比咩神社跡地に立つことができることを聞き、いつかは行場を歩きたいと思っていた。
しかし、行場には鎖場も多くひとりで訪れることを控え、同行者が現れる機会を待っていたのだった。
このように私にとっては二年越しの思いが叶う素晴らしい日となったのだった。友人に感謝!
松阪IC付近から伊勢寺神社を通り過ぎ、堀坂山の登り口付近をさらに奥へ走るとこちらの山門へたどり着く。山門脇の駐車スペースに車を駐めると
まずは飯福田寺の寺務所へ向かった。
朱色の橋を渡ると
その先に寺務所がある。ご住職による足元(シューズ)の点検の後、表行場の概要と注意事項についての説明を受けると入山料500円を納め、表行場へ向かった。小雨が降ったこともあり岩場が濡れている恐れがあるためくれぐれも注意し、無理しないようにとのこと。
橋を渡り返した先には石段が続き、その先には薬師堂が建っている。
石段の下には行場の案内図、
さらには行場の説明、注意事項が掲示されている。
それらを再度確認してから石段を上ると薬師堂にお参りし、その左手に建つ鳥居をくぐった。この先は表行場だ。
しばらくは上りとなり、
所々で祠や役行者などの像が迎えてくれる。
最初の鎖場、油こぼし。なんとも行場っぽい名前だ。
久しぶりに鎖を使ったので、おっかなびっくりの状態で上まで登った。見下ろせばゾッとする。こんな上りと下りが繰り返される。
こちらは岩屋本堂付近で、本堂をカメラでとらえることはできなかったので、気になったモノをパチリ、パチリ。
岩屋本堂の脇から本堂に覆いかぶさるようにせり出した岩の上へと登るルートがあるが、私は腰が退けて迂回ルートを選んだ。ところが友人は果敢にもそのルートにチャレンジし見事に登り切った。振り向けば・・・
岩屋本堂の上部から抱付岩をハイハイしながら進むとこんな場所に。知らぬ間にかなり高度を上げていた。
この後は尾根道を歩き、終盤に岩が現れる。私は行場を歩きながらも思いは白山比咩神社跡地に・・・。
前方の鞍掛岩に人影が見えた。
ここまで来ると周囲は山々山、まさに行場であると感じられる。
振り返ると友人が小さく見えていた。
さらに歩を進め、小尻返しへたどり着くと登りは1.5mほどだが、下りは10m以上の極端な場所にたどり着いた。
ご住職いわく小尻返しからの眺望は350°、素晴らしい景色だ。前方の飛石の上に屹立する人影。
そこから視線を右へ振ると先ほどお参りした岩屋本堂が望める。また、岩屋本堂の左側、さらに奥へと視線を送ると裏行場の獅子ケ鼻も望めた。
そして、飛石へたどり着いた。こちらでしばし休憩していたところ、雨粒がぽつりぽつりと落ちだした。
岩場に別れを告げると鎖場を下った。
役行者にお礼を述べると表行者の最終盤を急いた。
最後の下り坂を下りきった場所は平らに開け、
その隅には白山比咩神社跡地があった。「ここが、ここが、私を待っていてくれた場所」、感慨一入だった。
しばし、この場を楽しんでからあの危険な
危険ですから ここからは
絶対に登らないでください!
上には何も有りません。
飯福田寺住職
と規制されている階段を下った。
名残惜しさを踏み付けるように、一歩々々注意しながら歩を下ろした。
そしてたどり着いたのがこの看板が立つ場所だった。二年前にはこの場所で見上げていたことを思い出した。
2時間ほどで表行場の体感を終えると一度寺務所にて無事に戻ったことを伝え、続いての裏行場の概要と注意事項の説明を受けた。裏行場の岩場が一箇所だが、急な下りの鎖場となっている。約30分の行程だ。
山門まで戻ると車で走って来た道路を進んだ。
右手には太一と刻された常夜燈、朱色の鳥居、さらには「←裏行場入口」の案内板がある。
案内に従って橋を渡ると川沿いの道へ右折する。川底を眺めると驚くだろう。これが川底だから・・・
橋のあたりから目に入った鳥居までたどり着くとその前には岩の壁がそそり立っている。初めて目にすれば驚くが、表行場を経験した今となってはハイわかりました。と素直に鳥居をくぐることができる。
鳥居の前の油こぼしを登るとその先は道なりに・・・
たどり着いたのは小尻返しでチラリと望めた獅子ケ鼻。
こちらも大きな岩だ。
岩屋本堂が望めたので、小尻返しも望めたのだろうがどこにあるのかわからなかった。
そして最後はこの岩を落ちるように私が下ると
続いて友人が下って来た。
裏行場も無事に体感することができ
寺務所へ戻るとこちらの伊勢山上行場全圖を求めた。
素晴らしい行場の体感。わたしにとっては先にも紹介したように二倍の感動となった。
誘ってくれた友人に感謝。
伊勢山上を後にするとサルタヒコを御祭神とする阿射加神社(松阪市大阿坂および小阿坂)を訪れ、遅めの昼食(ほぼ夕食)をとってから二見(伊勢市)へ巡った。