2017年08月19日(土) 伊勢の町の歴史と文化 ブラタモリ伊勢出演者による町歩きとトークセッション (徒歩)
案内人のひとりとしてブラタモリ伊勢編に登場した千枝大志さん(中京大学文学部学芸員)。学生時代から河崎、伊勢と関わり40歳を迎えた今でも週末には伊勢詣でを繰り返している。毎週のように名古屋と伊勢を往復することは容易ではない。では休日を利用してまでなぜにそんな大変なことを続けているのか、その原動力は何なのだろう・・・?
まちづくりや町の歴史文化保存活動などでは一般に見た目でわかり易い町並みの保存などハード面が注目されることが多い。一方で歴史の生き証人であるはずの古文書や古絵図などソフト面が軽んじられ、これらの貴重な史料が不用意にいや無意識に廃棄されるケースも少なくないと聞く。
特に伊勢市は観光都市と銘打ちながらも伊勢神宮への依存度が高いため周囲を見渡せばさまざまな歴史・文化を伝える多数の資源があるにもかかわらずそれらが活かしきれていない。また、妄談のような情報がまかり通ったりもしている。
実は私も2010年にお伊勢さん125社まいりを始めるまでは歴史にも過去にも一切興味がない人間だった。しかし125社を巡りにめぐると現在という時間軸の断面からその背景を知りたくなり、過去の断面を掘り起こしたくなった。過去の事実は古文書や古絵図など我々の祖先が残してくれた情報に頼るしかない。そんな思いが高まった時、私は古文書の先生としての千枝さんと出会った。(2011年01月)
【参考】
今、思い起こせばちょうどその頃だったのか、
伊勢市郷土資料館が平成23年(2011年)3月31日(木)に閉館し、このことを告げた伊勢市のホームページには「将来的には市の空き施設を利用して郷土資料館を再開する予定です。」と記されていた。しかし未だに再建される見通しは無さそうだ。さらに旧御師 丸岡宗大夫邸は行政から見放されたようだし・・・、形骸化しているような伊勢市全市博物館構想など、 伊勢の歴史と文化はどうなって行くのだろう?
【参考】
- 【閉館】伊勢市立郷土資料館 2011年05月22日
- 「さあ、伊勢市が重い腰を上げる時が来た!」、旧御師 丸岡宗大夫邸(伊勢市宮町)の特別一般公開 2016年06月12日
- 伊勢市は何と天秤にかけたのか?、旧御師丸岡宗大夫邸(伊勢市宮町) 2017年02月19日
ただ一部の救いとしては、伊勢市内のまちづくり協議会のなかに歴史や文化に関する活動を積極的に推し進める団体もあること。私が知る中では四郷地区まちづくり協議会、修道まちづくり協議会だ。
【参考】
行政は住民主導という心地よい響きで都合のよい言葉と引き換えにすべてをアウトソーシングするのだろうか? たしかに地域住民が独自に動くことは重要である。しかし、伊勢市全市博物館構想を実現しようとするならそれぞれが役割を果たすべきで、センター博物館はバーチャルではなくリアルな存在が必要だろう。伊勢市郷土資料館の復興を期待する。
また、日々刻々と貴重な史料が姿を消しているとも聞く。数年前の私なら史料には目もくれなかったことだろう。しかし、今はとても気になってしまう。
過去を紐解き現在という断面に重層な価値を肉付けできるのはこれらの史料しかない。
つまりこれらの史料を紐解くしか歴史や文化の変遷を知ることはできない。これらがなれば表面だけの薄っぺらいものしか残らない。そんなものに誰が(継続的に)興味をもつだろう。重層化された歴史や文化はさまざまなストーリーを紡ぎだし、さまざまな切り口でさまざまな人を魅了することだろう。観光という面で考えればリピーターとなってもらうためにどうすればいいのか熟考が必要だ。
【千枝大志さん】
千枝さんはこのような状況を危惧し「なんとかせなば」と身銭を切りながらも伊勢にこだわりさまざまに活動しているのだろう。そのひとつがブラタモリへの出演を機に始めた「ブラッチェise」(古文書や古絵図などの史料をもとに根拠のある伊勢の歴史文化を知るまち歩き)だ。
【参考】
- ブラッチェise | 神宮巡々2
また、一年ほど前から河邊七種神社での古文書整理、今年の3月からは伊勢市立図書館での古文書同好会のサポートなど史料の保存、活用に力を入れるとともに人材の育成にも一役かっているのだろう。
【参考】
- 古文書 | 神宮巡々2
さらに、覆面歴史家とのトークバトルも興味深い。来月9月16日に第三弾が実施予定だ。
【参考】
- 『何が出るかわからない伊勢の昔語り~歴史家によるトークバトル Part2 』@ロカンダボーノ 2017年02月18日
いつも以上に前振りが長くなってしまったが、今回実施されたイベントにはこのような熱源あったのだろうと思い紹介しておいた。
さて、ここからが本ブログタイトルの記事となる。
本イベントはブラタモリ本 「ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見) 志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)」の発行を機に千枝さんが企画し、町歩きとトークセッションとの二部構成。
【福原稔浩さん】
案内人および語り手として、同じくブラタモリ伊勢編に出演された近畿日本鉄道株式会社 秘書広報部 主査 福原稔浩さんをお迎えした。
私はブラタモリ伊勢編で初めて福原稔浩さんを拝見したが、鉄ちゃんの世界では超有名な方のようだ。福原さんを中心とした数名でフィルムコミッションのような役割を果たし、その他にも映画やTV番組などさまざま企画の黒子役として活躍されているとのことだ。また、さまざまな調査については自社が有する資料だけではなく古文書なども含め外部資料を重視しているとのことだった。第三者的な資料をもとに不足している情報の穴を埋めるだけでなく、客観性も増し説得力が高まることだろう。
ブラタモリに関しては5ヶ所も誘致していて5回目の伊勢編にて初めて福原さんが黒子から案内役へと変身されたそうだ。
活躍の場はこんなところにも及んでいるとのこと。(こちらは、このイベントで知り合った長谷川さんからの情報)
また、福原さんに、以前から気になっている鳥羽の赤崎神社の近くに掘られたトンネルのことを尋ねたところ懇切丁寧に説明していただけた。要点はこんな感じ。「あの路線は志摩電気鉄道のもので地域の要請で開通したため、各地区に駅を設置することが重要だったのではないだろうか。御陵を横切る鉄道はないが神社の境内を分断するように走る鉄道はあるから」と、実際はもっと詳細に・・・。志摩電気鉄道についてさらに調べてみる気力が湧いてきた。
【参考】
- 赤崎神社(豊受大神宮 末社)の近くに近鉄志摩線のトンネルが掘られた経緯は未だわからず・・・ 2017年07月29日
【長尾正男さん】
町歩き後のトークセッションではトークに先立って上映会が実施された。そこで紹介された映像は8mmフィルムをデジタルし音入れされたもので、宇治山田駅を建築している場面や勢田川が改修される前の状況などが映し出された。8mmフィルムからこの映像に仕立ててくださったのは以前の記事で紹介した長尾正男さんだ。
【参考】 次の記事の後半部に長尾正男さんが登場
- 河崎ぶらりでさまざまな出会い・・・ 2017年08月06日
【町歩き】
さて、さまざまな場面で主役となった近鉄 宇治山田駅へ駅舎を訪れた。
知人が受付を担当してくれていた。
定刻になると千枝さんの挨拶に始まり、最初は福原さんによる宇治山田駅の紹介となった。
福原さんの軽妙な語り口に惹き込まれてしまう。いろいろと説明していただいたが、ここでは余り知られていないことを中心にまとめておこう。
宇治山田駅はでは「八角形」がポイント。正面の入口上部に取り付けられた窓も八角形。
続いては今は余り使用されていない団体待合室へ。伊勢志摩への修学旅行が盛んな頃は多くの人がこの場所を利用したのだろう。私も利用したのだと思うが記憶にない。
最近この階段を上ったのは「伊勢神話への旅」宮澤正明写真展を観覧した時だった。
【参考】
- 「伊勢神話への旅」宮澤正明写真展 2012年04月07日
写真展の会場とは思えない風景、あたり前の待合所の風景が目に入った。
階段の先にはホームへと向かう改札があり、こちらにて
切符切りを体験した。
ボックスの中にはヒーター用のコンセントが設置されていた。また、このボックスも以前が木製だったと。
改札を抜けるとさらにホームへの階段を上った。
ホームに出て名古屋方向へ進むと福原さんが何かを指差していた。
その先に見えたのは、先ほど正面から眺めた塔屋だった。この上部、近鉄の文字が取り付けられた部分は「八角形」となっているそうだ。なぜに・・・。「それはこの部分が火の見櫓だったから」。だとのこと。
ホームをさらに進むとこんな場所を通過する。左側が新しいホームで、右側が古くから存在するホーム。屋根の構造でもわかるし
足元でもわかる。さらに進むと
古くからあるホームの柱は・・・、よく見ると二本のレールが合わせて立てられていた。リユースなのだろう。
そして、振り返るとブラタモリでも紹介されていたバスの転車台へと・・・
当時は終点だった宇治山田駅で速やかにバスに乗り換えられるように、ホームを挟んで電車とバスの乗り場が隣接している。
それを実現していたのがこの転車台だった。
一行は転車台を後にすると最後の八角形へと向かった。
ホームの屋根の端を出るとその先を眺めた。視線の先にあったのは
これもブラタモリで紹介されていた鉄柱のジョイント部分で、左端の鉄塔には左隣りに鉄塔が無いのにジョイントは八角形となっている。福原さんによると路面電車がここまで上れるように準備していたのではないかとのこと。
以上で宇治山田駅の紹介を終えると暑い日差しが照り付ける空の下へ飛び出した。駅舎を出て右方向へ進むと先ほど見た鉄塔の八角形を見上げることができた。ここなら入場料なしで見えます。
近鉄の線路の下をくぐると
右手には転車台へと続くスロープの入口だ。今は真っ白はガードレールもブラタモリ出演時は錆びていたそうだ。TVの力はスゴイ。
ここからは案内人が福原さんから千枝さんに交替して河崎を目指した。この先のまち歩きはブラッチェiseの記録にもあるし、ブラッチェiseのようなまち歩きは今後も続けられると思うので千枝さんに案内してもらってください。(つまり、参加してください!) 残りの町歩きについては私自身のメモとしてポイントにコメントを残しておこう。
JR参宮線 吹上新道架道橋をくぐり
こちらの道標にて右へ。
ここは河崎表通りの入口で、この下には豊川が流れ、河崎の環濠からの流れが合流している。
河崎南町の庚申堂。
庚申堂の脇を進み途中で環濠の眺めをチラ見。そして、こちらは山田羽書の発行運用金を扱う御用金取引会所があった場所。不動院のみが残っている。
ここで、最近の古文書整理の成果が披露された。これは河邊七種神社に残されていた史料のなかから古絵図の片割れが見つかり、これが出たことにより新たな事実が明らかになったと。
注目すべきは「榎本三右衛門」の名前。この名前を記憶しておいて・・・
この場を後にすると暗渠になった環濠の上をしばらく歩き右へ曲がった。ここは茶屋之世古。
茶屋之世古を進み表通りに突き当たるとこちらのお宅が千枝さんの運命の場所だった。偶然にも通りかかったこの場所でブラタモリの案内人になることが決定したのだった。
その隣に建つこちらも「榎本三右衛門」。「榎本三右衛門」家は当初環濠の外に住んできたが、商売を盛り立てて環濠内しかもメインストリートへ移り住んだことが想像できる。このように古文書などの史料は時代の断面を多層化し興味深いストーリーを紡いてくれるのだった。河崎の史料はまだまだ新たなストーリーが見つけ出されることだろう。
9月16日には同様のツアーが計画されているので、あまりネタバレにならないように(実は気力が・・・)以降は写真のみをお楽しみください。
ここは河邊七種神社の参道。福原さんが「トークででてきますので河邊七種神社の名前を覚えておいてください。」と。このことは覚えていたのだが、トークの時に聞き逃してしまった。ああ。残念。
中橋から勢田川の下流方向の風景。後ほど目にした上映会では勢田川改修前の映像が流れ、現在とのギャップに驚いた。
以上で町歩きは終了。
【上映会&トークセション】
定員の40名を越える大盛況のトークセッションは、医師で歴史研究家でもある飯田良樹さんの司会で進められた。飯田さんはブラタモリに史料を提供するなど裏方として活躍され、医療系の専門誌「三重医報」第669号に「ブラタモリ伊勢」顛末記なる興味深い記事を掲載された。
ブラタモリ伊勢編、ゴリ夢中を振り返ってから、8mmの映像をデジタル化し音を乗せた映像が上映された。
上映会が終了するとトークセッション。千枝さんの口からは「どうしてバラエティなのにしっかりした番組ができるのか、それは伊勢に歴史があるから。伊勢は根拠のある町だから。しかし、根拠をもって語れる人は伊勢にはほとんどいない。」(だから千枝さんが採用された)また近鉄さんについて「近鉄は便乗商法でブラタモリに乗っかってきたと思っていたが、それは大きな間違いで近鉄さんが誘致していたことを知り大企業の力を感じた。」と。
続いて、福原さんは「宇治山田駅誕生について〜伊勢参宮と歩んだ歴史〜」のテーマで、駅舎、神都をめぐる鉄道および車両開発や大神都特別聖地計画案について興味深い講演だった。
【懇親会】
町歩きとトークセッションが終了すると遠方の方々は帰途につかれた。(お疲れ様でした)
その後は希望者がこの場に残り、懇親会となった。
【お開き】
一時間ほどの懇親会、名残おしいもののお開きとなった。
福原さん、長尾さん、飯田さん、千枝さん。
そして準備に携わってくれた皆さん。
参加された皆さん。お疲れ様でした! 素晴らしいひとときでした。
では、また、