2015年06月14日(日) 瀧原宮第一鳥居が御下賜された赤須賀神明社の御木曳き祭(桑名市赤須賀) (電車、徒歩)
午前に桑名の神社ほかめぐりを終えると本日の最終目的地である赤須賀神明社(桑名市赤須賀)へと向かった。
【御木曳き祭、奉曵のスケジュール】
赤須賀の漁師町を南から北へ、12:30に整列し、13:20から神明社に向かいます。
12:30
赤須賀弁天町(赤須賀の一番南側)に祭車6台と御用材車が整列
※前から3番目が御用材車です
13:00
修祓式
13:20
出発
13:50
御用材車がはまぐりプラザ
14:00
再出発
14:30
御用材奉告祭式典
15:00〜17:00
石取祭車渡祭Facebookページ 桑名七里の渡し場 伊勢国一の鳥居お木曳 にて教えていただいた。
このバスのりばを過ぎて道なりに進むと
左手が赤須賀神明社。当神社には第62回神宮式年遷宮に際し、内宮(皇大神宮)の別宮で遙宮とも称される瀧原宮の第一鳥居が御下賜される。午後からお木曳(こちらの掲示には「御木曳き祭」と記されていたので、この記事ではあえて「御木曳き祭」と記した。)が執り行われた。
時刻は11時半、集合が12時半なので時間的には余裕があった。まずは御木曳き祭を前にした赤須賀神明社にお参りすることにした。
赤須賀神明社(桑名市大字赤須賀1817番地の一鎮座)
御祭神 天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)
御由緒 創始年月不詳、永禄6年9月11日に三河国額田郡市場村の神明社よりその御霊代を移遷奉祭す。
合殿 宇迦之御魂命(稲荷社)寛政11年山城国紀伊郡伏見より勧請
火之迦具土神(火鎮社)文政7年桑名藩公の命により奉祭す。
市杵島姫命(厳島社)
大国主神・事代主神(出雲社)
建速須佐之男命(津島神社)
建御雷男命(鹿嶋社)明和2年常陸国鹿嶋郡鹿嶋者より勧請
(明治40年12月13日に境内六社と東野の三社を合せて浦安神社とし、明治41年10月4日に全て本社へ合祀す。)【引用】 境内の掲示板より
なお、神馬の像の前には次の掲示があった。
赤須賀神明社鳥居建替工事について
6月15日(日)6:30~17:30の間
鳥居建替工事の為、
鳥居周辺を通行止めとさせて頂きます。
(※雨天等は順延致します)
鳥居周辺への駐車は御遠慮下さい。
ご協力のほど宜しくお願い致します。
翌日には建て替えられるとのこと。
参道を進むと誘導用の掲示物とテントが準備されていた。
さらに奥へと進み、赤須賀神明社にお参り。拝殿の前面の引き戸には
次の通り掲示されていた。
赤須賀神明社
大鳥居造替 御木曳き祭 六月十四日(日)斎行
さらに、右隣りにまつられている一目連神社にもお参り。
摂社 一目連神社
御祭神 天目一箇命(あまのまひとつのみこと)
御由緒 寛政3年5月に桑名郡多度大社より水災除守護神として勧請【引用】 境内の掲示板より
続いて、楠の御神木の奥、背の低い朱色の鳥居をくぐると
その先には赤須賀稲荷神社がまつられていた。お参り。それにしてもこちらの鳥居は背が低い。私でも頭を打たないように注意していた。
境内末社 赤須賀稲荷神社
御祭神 正一位稲荷大神熊鷹大神(くまたかおおかみ)
御由緒 昭和29年7月28日に社殿設立し、同41年1月12日に京都府紀伊郡伏見より勧請す。【引用】 境内の掲示板より
さらには、逆方向赤須賀神明社の左方向へ向かうと神馬の像をまつった祠の先には恵比寿社。お参り。
境内末社 恵比寿社
御祭神 大国主命・事代主命
御由緒 明治三十九年、赤須賀村営(村)【丸印の中に村の文字を配した記号】魚市場の守護神として奉祭す。【引用】 境内の掲示板より
すべてにお参りを終えると赤須賀神明社を後にして
今回建て替えられる鳥居へ近づいた。
くぐってから振り返ってパチリ。
赤須賀神明社の鳥居を後にすると奉曳の出発点である辨天町南端へと向かう途中でこのお願いを見かけた。
さらに進み、家並みを抜けると奉曳の休憩ポイントであるはまぐりプラザに到着。
一回の入口付近には稚児行列に関する掲示があった。
堤防沿いで川を眺めながら(珍しく近くで買った)ちらし寿司を食べていると、御木曳き祭で御用材の前後を守る(?)石取祭車が集合場所への移動を始めた。
残りを口の中へかき込むと石取祭車を追った。この先に二台。
道路上から町筋を眺めると交差点に祭車が止まっていた。
トントントンと階段を下ると石取祭車へ近づいた。各町の法被を着込んだ町の衆が集まっていた。
準備完了。
御木曳き祭の出発点付近へ向かうと川沿いの道路から御用材を積載した大型トラックが登場した。
御木曳き祭の出発点へ向かう前に
このトラックは北勢運送株式会社のもので、ホームページには瀧原宮から赤須賀神明社へ御下賜された鳥居御用材の輸送を担当した内容が紹介されている。(桑名七里の渡し場跡伊勢国一の鳥居の御用材の輸送も担当)
【参考】
- 神宮鳥居材御撤下の輸送をいたしました | 北勢運送株式会社
荷台の前方部に御幣を取り付けた。
準備が完了するとトラックは道幅の狭い町筋へと入った。
この付近は町筋が左右に走っているので、別ルートで先回りすると出発前の祭典が執り行われる場所にて待機した。
今回の奉曵ルートはこちら。ここから前後を石取祭車に挟まれた御用材が出発するとはまぐりプラザで小休止、先頭を石取祭車から稚児行列に入れ替えると赤須賀神明社を目指す。
御用材を積載した大型トラックの先頭に案が準備され、その上には神饌が並べられた。
その前方に配置していた石取祭車の脇からパチリ。
こちらは神事が執り行われる直前、
桑名だけに立派な「はまぐり」が山盛り。
そろそろ、神事が始まる。どうもトラックに立てられた御幣が前後反対だったようで、急いで入れ替えられた。
トラックの前面では綱が準備されていた。綱が地に着かないように注意深く作業が進められた。(準備完了)
定刻となると御木曳き祭を開始する祭典が執り行われた。式次第は次の通り。
一、修祓
一、降神の儀
一、献饌
一、祝詞奏上
一、玉串奉奠
一、撤饌
一、昇神の儀
一、宮司一拝
祓詞、降神の儀、祝詞奏上、昇神の儀では低頭していたので、祭典の写真は少しだけ。
(修祓)
(玉串奉奠)
(撤饌)
祭典が終了すると太鼓が鳴らされ、神饌が下げられた。ここに登場した力士は大相撲峰崎部屋の方々とのことだった。御木曳き祭を通じて各力士が活躍していた。
【動画】 43秒( 3.4 MB )
神饌が下げられるなか石取祭車の鉦が打ち鳴らされ、太鼓が・・・。
【動画】 47秒( 3.4 MB )
そして、綱が引き出されると大鳥居御用材の御木曳き祭が開始された。
石取祭車に先導されて・・・
道幅の狭い町筋を祭車が通り過ぎた。(これは石取祭の風景なんだろう。一度は訪れてみたい)つづいて、御用材が「エンヤー、エンヤー」と曳かれてきた。
【動画】 1分42秒( 8.1 MB )
トラックの前方をパチリ。
御用材はこちら。
はまぐりプラザからの稚児行列に参加する子どもたちも歩を進めていた。
先頭へ向かうと神職、巫女が先導していた。
・・・
・・・
ここは「はまぐりプラザ」付近、先頭が到着。
高い所からは失礼かとも思ったが、20年に一度のことなのでその雰囲気をパチリ。
【動画】 45秒( 3.6 MB )
恵比寿に続き、辨天の祭車が上りの急な曲がり道を引き上げられた。
その後には宮司を始めとする神職に伴われた御用材が続いた。
【動画】 2分29秒( 11.9 MB )
御用材がはまぐりプラサの脇へ到着すると小休止。失礼を承知で、二階から御用材をパチリ。
柱の材には「滝原宮 第一右」の文字を確認することができた。
小休止の間に石取祭車と入れ替わった先頭には稚児行列に参加する子どもたちが集まってきた。
御用材を載せたトラックがはまぐりプラザの角を右へ曲がると稚児行列の後ろにて待機。
しばし、こんな雰囲気でザワザワしていた。
神職と巫女が先頭に、パチリをパチリ。
予想よりも長い休憩(到着が早かったから小休止が・・・・)を終えて定刻になると奉曵が再開された。
町の至るところには御用材、稚児行列(どちらか?)を待つ人々が多数。
もう少し赤須賀神明社なのだが、この行列の進行が か〜な〜〜り ゆっくりだった。
神職は町の辻々を祓いながら・・・
私は赤須賀神明社の鳥居へ先回りすると到着を待った。
数分、いや10分ぐらい経っただろうか、
ついに、先頭が鳥居をくぐった。
先頭の神職、巫女が赤須賀神明社へと進んだ。
【動画】 31秒( 2.5 MB )
その後、稚児行列の子どもたちが赤須賀神明社へ入ると巫女が手にした鈴を鳴らして向かい入れた。
稚児は続々と・・・
ベビーカーに乗せられた幼児も、「おまわりさん、お疲れ様でした!」
子どもたちも「お疲れさま!」
稚児行列に続いては御幣を手にした力士が二名、「エンヤー、エンヤー」
御用材を載せたトラックが
【動画】 37秒( 2.9 MB )
鳥居を・・・
くぐった。
トラックは左へ曲がろうとしたが道幅が狭いために切り返して・・
【動画】 11秒( 0.9 MB )
その間に別の町筋からトラックの前方へ移動した。
こちらで待機していると
切り返しを終えたトラックが前進してきた。
所定の位置に停止すると
先の御幣がトラックから取り外され
赤須賀神明社へと運ばれた。
その御幣は境内へ入った。
神職に手渡されると拝殿の中へ消えた。
この後、拝殿では祭典が執り行われた。
私はまだトラックに載せられている御用材を確認してパチリ、パチリ。
祭典が続く赤須賀神明社を後にすると
建て替えられる(6月15日に建て替えられたはずなので、この記事が投稿された時点では、建て替えられた)鳥居を確認すると
鳥居の柱の根元のアスファルトは剥がされていて、建て替え作業の準備は進められていた。
この後、石取祭車渡祭を拝観した。
【 20150614 の記録 】
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