2016年10月08日(土) 御塩護送と御塩殿での御塩焼固(御塩殿神社) (車、徒歩)
伊勢の神宮では自給自足を旨としている。こちらは皇大神宮所管社である御塩殿神社、その隣の建つ御塩殿では神嘗祭をはじめとした各種祭典にて使用される御塩が奉製される。それは毎日執り行われるのではなく年に二回、各5日間である。
実際に、御塩が仕上げられるまでには多くの工程を経る。御塩のもととなる鹹水(濃度の濃い塩水)は伊勢市二見町西にある御塩浜(入浜式塩田)にて夏の土用の時期に採取(採鹹作業)される。採鹹作業を終えると鹹水は御塩浜から伊勢市二見町荘に鎮座する御塩殿神社(皇大神宮 所管社)に併設された御塩汲入所へ運ばれる。その鹹水は御塩汲入所の隣に建つ御塩焼所の平釜で焚き上げられると水分が抜けた荒塩となり、この荒塩は御塩殿の奥にある御塩倉にて保管される。
そして年に二回、御塩を仕上げる御塩焼固作業が地元の奉仕者(喜多井さん)により奉仕される。御塩殿、荒塩が三角錐の土器に詰められると御塩殿の中に設置された窯で焼き固められ、堅塩として仕上げられる。3月および10月の年二回、それぞれ5日間で100個が焼き固められ、一年で合計200個の堅塩が作られる。
なお、神嘗祭を前にして執り行われる10月の御塩焼固の初日(10月5日)には御塩殿祭が斎行され、御塩焼固がそのひより5日間に及ぶ。また、4日目には前半三日間に焼き固められた堅塩が、最終日の翌日6日目には後半二日間の分が外宮の斎館へと護送される。
本日、神職に確認したところ
御塩護送の手段は軽トラックに取って代わられたが護送の経路ついては現在も御塩道を利用している。そして前半に護送される御塩(60個)は内宮分で後半(40個)は外宮分
とのことだった。
【参考】 2016年、御塩浜での採鹹作業ほか
- まもなく採鹹作業開始?(御塩浜) 2016年07月17日
- 五十鈴川から塩水が引き込まれた御塩浜(伊勢市二見町西) 2016年07月18日
- 採鹹作業が始められた御塩浜(伊勢市二見町西) 2016年07月21日
- 早朝に強雨が降った御塩浜(伊勢市二見町西) 2016年07月23日
- 本日も採鹹作業、早朝の御塩浜(伊勢市二見町西) 2016年07月25日
- 御塩焼所(御塩殿神社)での御塩焼き(荒塩の焚き上げ作業)、その予定は・・・ 2016年07月28日
- 御塩浜にて「浜をよせる」・「潮をおそう」(伊勢市二見町西) 2016年07月31日
- 御塩浜から御塩汲入所へ運ばれていた鹹水の樽(御塩殿神社) 2016年08月06日
- 御塩焼所での荒塩の焚き上げ作業(御塩焼き)、御塩殿神社(皇大神宮 所管社) 2016年08月08日
【参考】 御塩道
- 御塩道ウォーク2016 2016年07月18日
本日は10月5日より数えると4日目で御塩護送の日だった。御塩護送は午前8時半頃の予定なので、8時前には御塩殿神社に到着した。
鳥居をくぐり参道を進むと喜多井さんが参道を掃き清めている最中だった。挨拶を交わすと
参道を進んだ。
御塩殿の前に建つ鳥居をくぐると
御塩殿の竃の上では焼き固められた御塩が護送の時を待っていた。
まずは御塩殿神社にてお参り。
雨に濡れたおかげだろうか、瑞垣の脇に白く輝く石を見つけた。
祭典や神事は予定があっても無いような場合もあるため早めに訪れたが今日は予定が早まることは無さそうだった。御塩殿神社の裏手へ向うと二見浦海岸側の出入口をパチリ。こちらの出入口の扉が開かれるのは年に数回、御塩焼き(御塩焚き上げ)と御塩焼固の時だけだろう。
さらには鹹水が荒塩に仕上げられる御塩焼所と鹹水を保管する御塩汲入所の前でしばし佇んだ。
御塩殿の前へ戻ると知人がやって来たのでしばらく歓談していた。
そして、午前8時50分を迎える頃だったか、辛櫃を載せた軽トラックが御塩殿神社の前に到着した。軽トラックから降りてきた神職らを出迎えると
喜多井さんは辛櫃を先頭で担いで御塩殿を目指した。
御塩護送用の辛櫃は御塩殿の前の鳥居をくぐると
御塩殿の中へと運び入れられた。
辛櫃の蓋が開けられると
護送される堅塩はひとつひとつ丁寧に
辛櫃のなかへ納められた。
10月5日から昨日までの3日分、20個/日×3日=60個を納め終えると
辛櫃には油単が掛けられると御塩殿を出発。
参道を戻ると
軽トラックの荷台へ載せられた。
喜多井さんが見送るなか御塩(堅塩)を載せた軽トラックは御塩道を走り始めた。
御塩が次の角を右へ曲るまで見送る喜多井さん、さまざまな思いがあるだろう。今度お会いした時に尋ねてみよう。
御塩を見送った喜多井さんは御塩殿へ戻った。千葉県から伊勢を訪れていた参拝者を促すと
休憩することもなく
御塩焼固の作業を始めた。
荒塩が三角錐の土器へとていねいに詰め込まれ・・・
千葉県から訪れた参拝者の方々は、御塩護送や御塩焼固をも拝観でき喜んでいた。地元住民でもなかなか目にすることができ(をし)ないこと。素晴らしい旅の記憶になったことだろう。