2017年01月21日(土) 宇治青年団による寒参り2017 (車、徒歩)
夜には宇治青年団による寒参りに参加させていただいた。こちらの寒参りではお稲荷さんにお参りする稲荷講に加え、お伊勢さん125社などにもお参りし「油あげ」をお供えするのだから興味深い。二年前に参加させていただき昨年もと思っていたが、昨年は喪中のため辞退した。
【参考】
- 宇治青年団による寒参り(稲荷講) 2015年01月24日
そのため今日が待ち遠しかった。なぜにそんなに待ち遠しいのか? 実は、宇治青年団の寒参りでは特別な場所にてお参りできるから、それは・・・
午後7時、おかげ横丁入口の常夜燈付近に集合。宇治浦田町交差点からおはらい町へ入ると
黙々と歩き赤福本店に到着。
おかげ横丁の一部には照明が灯されていたがすでに営業時間が終了していた。人影もないおかげ横丁だったが、
その入口付近に建つ常夜燈には多数の人が集まってきた。
主催者である宇治青年団より挨拶があり、寒参りが開始された。参加者は26名で、お伊勢さん観光案内人の方も数名が参加していた。
今年は順拝地図は配られなかったようなので、二年前にいただいたものを再掲した。この地図には巡拝するお稲荷さん他の名称と位置が番号と共に記されている。巡拝のルートは2年前と同様だったので私としては安心して巡ることができた。
ここでは、巡拝地図に示された番号と名前を利用して巡ったルートを紹介する。
(12)浜田邸内(名称不明)
(1)天徳稲荷
(2)阿田邸内(名称不明)
(3)四ッ谷稲荷
(4)津長神社
合格神社
(5)大水神社
(6)蓬莱稲荷
(7)丸山稲荷跡
(8)おさぶ(楠の大木の祠)
(9)こさぶ(杉の倒木)
(10)石井神社跡
(11)岩井田稲荷跡
(14)吉村稲荷(※個人宅邸内)
(15)浦田邸内(鎮守稲荷)
まずはスタートの際に集合写真の撮影。私は列が乱れたところでパチリ。(とりあえず自然のぼかしで・・・)
常夜燈を後にすると
まずは(12)浜田邸へ向った。この近くの木戸を入ると通路の脇に建つ鳥居の奥に「油あげ」をお供えしてから参加者全員で「寒中御見舞い、分けておあがり」と唱和し、柏手を二度、そして一拝。この後も各社にてこの次第が繰り返された。
人気の無いおかげ横丁を通り抜けて
おはらい町通りへ戻るとすし久付近にある個人宅にまつられている(1)天徳稲荷にお参り。
(1)天徳稲荷を後にするとおはらい町通りを後にして暗闇の中、民家の間をくねくねと進んだ。
そして辿り着いたのがこちらの駐車場で、番号は[5]の位置。フェンスの向こう側が(2)阿田邸でその庭には(名称不明)の稲荷がまつられているそうだ。現在は住まわれていないそうで、
子どもたちは稲荷の姿をひと目見ようとフェンスをよじ登っていた。(昼にしろ夜にしろ、独りでフェンスによじ登っていたら警察に通報されるだろう。稲荷を見てみたいが・・・)
続いては(3)四ッ谷稲荷へ向った。
私はこちらには先日お参りしているので、暗闇でも見えたも同然だった。
【参考】
- 久しぶりに訪れた四谷稲荷(伊勢市今在家町) 2017年01月04日
「油あげ」をお供えしてから・・・
続いては国道23号(御幸道路)を渡ると津長神社へ向った。
夜にお伊勢さん125社を訪れることはほとんど無いことなので貴重な体験だ。
昼間の様子は昨年に御遷座を終えて直後の記録で紹介しておこう。
【参考】
- 9月15日に御遷座を終えた津長神社・大水神社(皇大神宮 摂社) 2016年09月17日
こちらはお稲荷さんではないのだが、ここでも「油あげ」をお供えして・・・
なぜか饗土橋姫神社にはお供えせずに
(5)大水神社へ向かう途中、この社号標の前で立ち止まると「誰か受験する人はいない?」
受験者がいるのかいないのか、不明な状態だったがひとりの女性が先頭を歩き出すと数名が、さらに数名がそしてかなりの人数が合格神社へと続く荒れた参道を進んだ。足元に注意しながら階段を登るとこちらにてお参り。ここでは二拝二拍手一拝だった。(「油揚げ」はお供えされていなかった?)
とても不気味で印象的だったのは、ひとり虚空を見つめる尾崎咢堂の胸像だった。
合格神社を後にすると(5)大水神社へと続く参道へ戻った。
大水神社への急な石階を注意深く登るとここでも「油あげ」がお供えされた。
(5)大水神社から宇治橋前へ出るとここは右方向へ進み
宇治神社へ向った。
宇治神社には境内社として(6)蓬莱稲荷がまつられている。
昼間の宇治神社と蓬莱稲荷はこちら
【参考】
- 宇治神社 2012年09月22日(蓬莱稲荷の写真あり)
- 昨日に御遷座を終えた宇治神社(伊勢市宇治今在家町) 2016年11月27日
(6)蓬莱稲荷にも「油あげ」と・・・
続いては宇治神社の拝殿に向って左手、石垣の上を10mほど山の中へ。
身軽な子どもたちが石垣を駆け上がると、以前は置かれていた小さな鳥居が姿を消してしまった所に「油あげ」をお供えした。そして、みんなで唱和・・・。ここは(7)丸山稲荷跡。近くに神宮の丸山祭場があるのだろうか?
宇治神社を後にすると内宮の宇治橋前へ移動した。
ここからが私にとってもっとも興味深い場所となる。宇治青年団が神宮の許可を得て、参拝停止となっている内宮へと足を踏み入れることになった。
宇治橋の前で点呼をとって人数を確認すると神宮衛士に伝えた。参入を阻んでいた柵が一時的に外されると私達は宇治橋を渡った。
常夜燈のみが灯された暗い参道を進むと空には星が輝いていた。
先へ進むに連れて暗さが増して行く錯覚に囚われた。
こうなると常夜燈がやけに明るく感じてしまう。
第二鳥居をくぐりその先を右へ折れると風日祈宮へ向った。
風日祈宮橋を渡り、辿り着いたのは
風日祈宮の番舎の前。この脇から
昼間の光景はこんな感じ。
【参考】
- 風日祈宮にて「おさぶ稲荷」、「こさぶ稲荷」の遠望 2017年01月05日
今夜は番舎に神宮衛士が詰めていなかったので、自らの手でしめ縄は緩めるとその奥へと歩を進めた。
そして、手前には(8)おさぶ(楠の大木の祠)。
「油あげ」をお供えした。
さらに奥へと進むと、こちらが(9)こさぶ(杉の倒木)。
ここでも「油あげ」。
お参りを終えて番舎付近へ戻ると
なかなかできない経験に参加者からは感動の声が上がった。神域なので静粛にすべきなのだが、この感動はなかなか抑えきれないものだった。
(8)おさぶ、(9)こさぶのお参りを終えると内宮を離れるため、帰りの参道を急いだ。
参集殿の脇を通り過ぎようとした時、「シカ!」の声にみんなが立ち止まった。光る目がいくつも見えていたそうだ。(残念ながら私は確認することができなかった。)
宇治橋の東詰に近い衛士見張所前で再び点呼を取ると誰ひとりとして減ることもなく無事に内宮を後にした。皇大神宮所管社である大山祗神社、子安神社の脇を通る際、遙拝する方が多数。また、通常は誰も立ち入れない大山祗神社、子安神社だが明るく照らされていた。
そして神宮司庁の脇を
通り過ぎると
山口祭の祭場付近に到着した。こちらは(10)石井神社跡でここにもお参りする。側溝に架けられた板状の石橋を渡ると
急な斜面を登る。その先には
磐座と思われる巨石が重なっている。こちらにも「油あげ」をお供えして・・・。
続いては、こちら
庚申さん、宇治舘町 六地蔵石幢への階段を進むと
宇治舘町 六地蔵石幢の奥に(11)岩井田稲荷跡がある。
【参考】 宇治舘町 六地蔵石幢はこちら
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(五十鈴公園から宇治岳道へ) 2011年07月16日
そして、宇治舘町 六地蔵石幢の奥に石が積まれただけの場所、ここが(11)岩井田稲荷跡のようだ。ここでも「油あげ」・・・。
(11)岩井田稲荷跡を後にすると、先ほど宇治橋で渡った五十鈴川を新橋で渡り返すと
赤福本店の前に戻ってきた。残るは二ヶ所。ここからは
おはらい町通りを宇治橋とは反対方向へ進むと
県道32号を注意しながら横断した。
この道標の近くにある民家の庭に(14)吉村稲荷がまつられている。
(14)吉村稲荷でのおまいりを終えると再び県道32号を横断した。
地下道「内宮おかげ参道」付近のトイレの横を通り過ぎると
こちらが最後の(15)浦田邸内(鎮守稲荷)。
塀で囲われた中へ入ると大きな鳥居と立派な祠。最後の「油あげ」をお供えした。
以上で宇治青年団による寒参りとなった。
しかし、この後は武雷庵にて
オモテナシをいただいた。(感謝)
そこではお稲荷さんにお供えしたのと同じ「油あげ」もふるまわれた。
この場で以前から気になっていた姫子橋の奥にあったはずの建国寺稲荷の所在について尋ねてみた。すると当稲荷は社殿とともに名古屋へ遷されたとのことだった。それはいくら探しても見つからないはずだ。この謎は解明できたホッとした。
【参考】
- 建国寺稲荷はどこへ?(伊勢市宇治浦田) 2015年05月24日
今夜は所用があり、早々に退席してしまったが、次回はじっくりとお話をうかがいたいものだ。
それにしても素晴らしい時を過ごすことができた。皆さんに感謝!