2017年02月04日(土) 獅子頭安置所での祭典(下久具の御頭神事) (車、徒歩)
度会町下久具でも毎年、甘酒神事とも称される御頭神事が執り行われる。その経緯を度会町史の第八編文化財より引用すると次の通り。
伝承によれば、久具の氏神が祀られたのは正徳元年(1711)正月七日とされ、これより神事の際に獅子舞が奉納されたという。また、獅子の頭上につけられた幣を所持していると無病息災ですごせるといわれる。
由緒ある獅子頭として下久具御獅子保存会が結成され、故刀根幸太郎、中西丈助、中西楠八氏ら区民の尽力で県有形民俗資料として指定を受けたものである。
(【注】 昭和47年4月1日には県指定有形民俗文化財に指定)
この獅子には、次のような伝説(青字)がある。田間の夫婦獅子が下久具の獅子岩に流れつき雄獅子は棚橋の人が拾いあげ産土の八柱神社に奉納した。
雌獅子は円座の人が拾ったが、雌獅子は円座を嫌ったので円座の人々は腹を立てて川へ投げ捨てた。これが逆流して下久具の獅子岩にたどりついた。これを中西楠八氏の祖先が拾いあげてまつったという。名をオサキ(左京)といい、棚橋のものは雄頭でダイジョウという。この獅子頭は、もと下久具の岡垣外にあった八柱神社の甘酒神事のときに獅子頭が使われた。
獅子舞は午後7時から遙拝所、つづいて海蔵寺の境内(下久具公民館)にて執り行われる。それに先駆け、午前11時には一年間保管されていた獅子頭が安置所から取り出されるのである。その場には下久具区の老若男女が集い、お祭り騒ぎとなる。年に一度のその光景を楽しむため私も獅子頭の安置所へ向った。
宮リバー度会パークに車を駐めると内城田大橋を渡ってから右折すると下久具へ。ここをまっすぐ進めば獅子頭安置所へ行けるのだが、夜の祭場が気になったのでこちらを右に折れて下久具の町並みを歩いた。
こちらが海蔵寺の境内(下久具公民館)ですでに忌竹が立てられしめ縄が張られていた。
さらに、甘酒をふるまうテーブルも用意されていた。
下久具公民館を後にしてさらに進むと
こちらが遙拝所。夜にはここでも舞が奉納される。
遙拝所前に佇んでいると太鼓を叩きながら軽トラックが通り過ぎた。区民に参集を促す太鼓だ。「さあ、はじまるよ!」
太鼓の軽トラの後ろにはたくさんの奉納品を載せた軽トラが続いた。
遙拝所を後にすると獅子頭安置所へと続く道路へ向かい・・・
道路から一歩奥まった場所にある獅子頭安置所へたどり着いた。
すでに見学者が集まり始め、おばあちゃん達には
特別席が準備された。
しばらくすると舞手が登場し
安置所の扉が開かれた。一年ぶり?
太鼓が鳴らされるとそれにあわせて獅子頭が安置所よりとり出された。
準備が整うと内城田神社の宮司により神事が斎行された。
祓詞、
修祓につづき
献饌、祝詞奏上、
そして玉串奉奠。その後、撤饌、宮司一拝にて祭典を終えた。
そして今年初めての舞。天狗の舞手が面を付け、
獅子頭の舞手は腰紐をきつく縛り(腰紐はなんのために?)、獅子頭をかぶった。
ついに今年の初舞い。
獅子頭の鼻を上向きにすると太鼓にあわせて歯を合わせる。太鼓の音とともに獅子頭が歯を打ち鳴らす音が響き渡る。太鼓とタイミングを合わせるのは難しいだろう。
過去の記録には動画もあるので、ご参照を。
【参考】
- 獅子頭安置所での祭典(下久具の御頭神事) 2015年02月07日
- 獅子頭安置所での祭典(下久具の御頭神事) 2013年02月02日
地元の老若男女に見守られながら獅子頭が舞を終えると
赤飯やお菓子、みかんなどの振る舞いが開始された。そして、鳥居の前では
子どもたちが頭を噛んでもらっていた。
次から次へと・・・
この場所にこれだけの人が集まるのは一年で一時間ほど、貴重な時間だ。
そして、獅子頭による噛みも終盤を迎えるとおばあちゃん達の頭を噛み尽くした。
「噛まれていない人はもういない?」
振る舞いの最後には、たくあんも・・・
おお、最後のひとり。以上で終了となり
獅子頭は公民館へ移動するために専用の木箱へ戻された。
祭典の後、宮司さんには貴重な時間をいただき、祝詞について説明をいただいた。(感謝)
獅子頭安置所を後にすると宮リバー度会パークへ向かう途中でパチリ。過去の記録と比べると新しいデザインだ。
夜の天狗の舞、獅子舞を拝観することができなかったので、過去の記録で振り返った。
【参考】
- 天狗の舞、獅子舞(下久具の御頭神事) 2015年02月07日
- 天狗の舞、獅子舞(下久具の御頭神事) 2013年02月02日