2017年07月29日(土) 豊栄稲荷神社が移転遷座された賀多神社(鳥羽市鳥羽) (車、徒歩)
017年07月28日の伊勢新聞を開くと次の見出しが目に飛び込んできた。
豊栄稲荷神社が遷宮
鳥羽 ご神体、電機メーカー工場に【鳥羽】鳥羽市の豊栄稲荷神社の遷宮祭が二十七日、同市鳥羽一丁目の電機メーカー「シンフォニアテクノロジー」鳥羽工事であった。同市二丁目の賀多神社からご神体が同工場に移された。
豊栄稲荷神社はかつて、鳥羽造船所の設立に尽力した旧鳥羽藩士稲垣幸作邸で弁財天とともに祭られていた。明治二十九(1896)年に造船所が譲り受けたが、昭和三十三年から賀多神社境内に移設されていた。どう造船所内で創業した同社の創業百周年事業の一環で、工場への遷宮が実施された。
遷宮祭では、地元の宮司が祝詞を奉納し、参列した同社の幹部らが玉串を納めた。
同社の古谷浩三社長(65)は「昔の先輩たちが守ってきた神社をこれからも大切にしていきたい」と話していた。 (伊勢新聞より引用)
豊栄稲荷神社は賀多神社の拝殿へと続く石階の途中、右手に鎮座するお稲荷さん。以前の様子は頭に描きだされる。
豊栄(とよさか)稲荷神社
古く明治三十一年以来、鳥羽城跡(城山)の一角に祀られていた通称「ドック稲荷」が前身で六十有余年の歳月、風雨にさらされ社殿の傷みもひどくお参りの人も絶えたため、当社境内へ移管される運びとなった。昭和三十三年十月三日、新しい社殿の完成に伴い、神遷式が行なわれ、正一位豊栄稲荷神社と改称された。
以来、開運・商売繁盛の神様「いなりさん」として多くの人に親しまれ、崇敬されている。
平成二十七年七月記
【参考】 式年遷宮の準備が進められる賀多神社(鳥羽市鳥羽) 2015年08月23日
何度もお参りしたことがあるので、どうなっているのかとても気になり、こちらを訪れてしまったのだった。
手水を受けると拝殿へと続く石階の鳥居へ。
「あれ? 豊栄稲荷神社の殿舎は?」
賀多神社にお参りを終えてからこの場所を何度も眺めた。
何度も、
何度も・・・。何度ながめても殿舎は姿を消し、完全なる更地と化していた。
社務所には参拝者の案内のために祢宜さんが詰めてみえたので、豊栄稲荷神社について尋ねてみた。
今回の豊栄稲荷神社の移転は、神鋼電機(現、シンフォニアテクノロジー)のOBである賀多神社の氏子さんが懇親会にて豊栄稲荷神社の話をしたことに始まり、以前は「ドック稲荷」と呼ばれ当社の敷地内に祭られていたことを知った社長がもとの場所に戻すことを創業百周年記念事業のひとつと考え、とんとん拍子に決ったそうだ。賀多神社の境内社として60年、殿舎はかなり傷んでいたため、移転先には新しい殿舎が建てられ、こちらの殿舎は解体されたとのこと。なお、氏子さんは参拝できるように配慮されているそうだが、私はもうお参りすることは叶わないのだろう。(残念)
さらには、賀多神社についても詳細な説明をいただけた。賀多神社の長い歴史、組み立て舞台、セキュリティが確保された土蔵で管理されているお宝や九鬼千本杉の残り一本となった御神木などなどファイリングされた写真とともにとても楽しく興味深いひとときだった。
詳細な説明を聞き終えるとお礼を述べ、私は改めて豊栄稲荷神社の跡地に佇んだ。すると先ほどの祢宜さん(お名前を聞きそびれてしまった)が鬼瓦を手にして呼びかけてくれた。
これは解体された豊栄稲荷神社の殿舎の屋根に乗っていた鬼瓦だった。
よく見ると正面にはプロペラのようなマークがあった。
祢宜さんと話しているなかで、「ドック稲荷」だから船のスクリューだ。に落ち着いた。
この瓦を作った人の銘を探したがどこにも見つけることはできなかった。まぁ60年くらい前のモノだから・・・。なお、今回新しい殿舎のためには新しい鬼瓦を作ったそうだが、このマークを作るのに手がかかったそうだ。
素晴らしいお宝を拝見し、更地になってしまったことを何とか受け止めることができた。(ようだ)
日和山へ通じる日和山道の階段の途中から俯瞰してのパチリ。
また、先の話にでた御神木でもある九鬼千本杉の残り一本をパチリ。この一本が残ったのは近くに井戸があるからではないかとのことだったので、その井戸を探してみた。
「あっ、こんな所に!」
井戸が残されていた。
祢宜さんはできる限り社務所に詰めておられるとのことなので、賀多神社をお参りしてお話を伺うと楽しい。
ぜひ!