2017年11月26日(日) 再び訪れた中万町から伊射町への散策 (車、徒歩)
先週は、中万市が開催された松阪市中万町を訪れた。
【参考】
- 豪商の里 現代の中万市〜楽しく歩こう! 中万のまちを〜(松阪市中万町) 2017年11月19日
その際、中万町公会堂前に建てられた中万コミュニティ掲示板に魅入っていた。そこに掲示されたマップには多くの見どころが記されていたのだった。私はそのマップに惹き寄せられるように中万市の記憶がいまだ鮮明に残るなか今週も中万町を訪れることとなり、今回は昼食のおにぎりを持ち【キタヰの妻】と共に各所をじっくりと巡った。
スタート 【中万町公会堂付近】
中万町公会堂を訪れると今週は町民文化祭が開催されていた。駐車場に車を駐めると不都合があるかもしれないと思い、先週に中万市で訪れた際に「中万コミュニティ掲示板」のマップを見て再び訪れたことを説明すると公会堂から現れた男性が駐車場の利用を快諾してくださり、さらには自宅まで取りに戻った「中万地区まち歩きマップ」を手渡してくれた。(感謝)
その男性にお礼を述べるとまずは乳熊寺方向にあると記されていた鴻ノ木遺跡を目指した。
【乳熊寺】
乳熊寺は先週とは全く雰囲気が異なり、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
乳熊寺を後にすると路地へ入ったり出たりを繰り返したが、遺跡っぽい場所は見つからなかったため道路脇で畑作業中の男性に声を掛けた。鴻ノ木遺跡について尋ねたが地元の方でも正確な所在地はわからないようで、造成された公園の辺りに痕跡があるかも・・・と。さらに雑談のなかでこの先へ行けば黒塀が続く國分家や竹川家にたどり着くこと。さらにはこの堤防を越えると櫛田川の中に灯明岩が望めることを教えていただいた。当初は中万町内の巡りを考えていたが、この男性の一言でいきなり射和町まで足を伸ばすことになった。
【灯明岩(櫛田川)】
まずは堤防道路への階段を上ると
中万第4排水ひ門付近から櫛田川の中にある灯明岩を遠望した。
【鴻ノ木遺跡】
その後、造成された住宅地の公園を目指したがかなり遠回りしないと公園の入口に辿りつけないことが分かりこの付近から鴻ノ木遺跡だろうと思われる方向を遠望しておいた。
帰宅後に調べたところ、それらしい方向を眺めていたようだ。
【参考】 一般国道42号松阪・多気バイパス建設地内埋蔵文化財発掘調査報告 4
- 鴻ノ木遺跡 123-4上 (PDF)
- 鴻ノ木遺跡 123-4下 (PDF)
【 】
乳熊寺から歩いてきた櫛田川沿いの道へ戻ると松阪多気バイパス(国道42号)をくぐった。
【蓮生寺】
ほどなくたどり着いたのが蓮生寺。
四種類の石塔群が文化財として登録されているようだが、
山門をくぐり抜けた先、本堂に向かい右手方向にある建物を魅入ってしまった。(ただし、お住まいのようなのでここでは写真の掲載は控えた。)
さらにこちらも興味深い。今にも動き出しそうだ。
また、大淀三千風さんの句碑が建っていた。
【 】
蓮生寺を後にすると射和寺跡まで・・・
【射和寺跡】
こちらが射和寺跡で
敷地に隅には国指定重要文化財 地蔵菩薩坐像が安置されていると思われる立派な保管庫が建っている。
【 】
射和寺跡を後にすると
こちらの案内板にもあるように
【國分家】
何度か目にしたことがある長い黒塀の場所にたどり着く。こちらが國分家で、
【竹川家
こちらが竹川家(射和文庫)である。
【 】
射和文庫を後にして信号のある交差点を過ぎると車輪が置かれた建物を見つけた。こちらは何の・・・?
近藤美容院付近で振り返ってパチリ。なお、
この美容室の前で道標を見つけた。
「満つ坂みち・久ま野ミち」と刻されていた。「満つ坂みち」は歩いて来た方向、それでは「久ま野ミち」は? その方向へ歩いてみると行き止まり。その先では何とか櫛田川が望めた。当時は渡しとなっていたのだろう。すると河原まで下るルートがあるはずだが。今は民家の敷地となっているため、それを探ることはできなかった。
道標の場所まで引き返すと元の道を先へ向かった。
【本宗寺】
右手には本宗寺。実は私たちはこの山門の手前、車が通れる経路で境内へ入っていた。
山門の前にはこちらの説明板。
本堂にてお参りするとその脇に置かれていた瓦が気になった。
鬼側の側面には「相可瓦屋」なる文字が見えた。(その隣は?)
【 】
本宗寺を後にするとまだ出来たてのような新しい屋台庫が建っていた。(現時点のGoogleMapにはこの建物は存在していなかった。)
さらに先へ進むとこの通り突き当りの丁字路となり、次の案内板が置かれていた。
どちらでも良かったが、読めない漢字が含まれる「伊馥寺」方向へ向うことにした。
【伊馥寺】
櫛田川へと続く道を右へ折れると山門があり、鐘楼が目に着いた。
[浄土宗 伊馥寺]の名前を確認すると山門をくぐった。
本堂の左側へ向かうと
こんな風景を見た。以前に反対側から眺めた記憶が蘇った。おそらく・・・
それがこちら、
【参考】 誤って近鉄山田線 漕代駅で降りると櫛田川左岸を上流方向へ、そしてJR多気駅 2017年06月04日
また、境内には鳥居も見られた。
享保八年に建てられたこの鳥居には富山の名が刻されていた。
本堂の正面にある山門にて伊馥寺を後にすると
立派な石垣が続き延命寺の山門まで、さらにはその先(この先がどこまで続くのかは未確認)まで続いていた。
【 】
延命寺までの間に清水地蔵尊がまつられ、【キタヰの妻】が熱心に眺めていたのでどうしたのだろうと覗くと地蔵脇にあるはずの花立てが水溜りへと没していた。その水がかなり深かったため救出できずに放置してしまった。
【延命寺】
立派な石垣を仰ぎ見ながらたどり延命寺の山門付近にたどり着くと
左方向に櫛田川が望めた。
櫛田川を背にするとこちらが山門。石垣と相まって立派だ。
大淀三千風関係資料は市指定有形文化財、山門は県指定有形文化財とのこと。
落慶之碑の脇には
大淀三千風さんの句碑が建てられていた。
立派な山門を改めて眺めると延命寺を後にした。
山門とは反対方向から延命寺を後にすると右手方向へ進んだ。すると以前に目にした風景に再会した。
【 】
さきほど伊馥寺の本堂脇から眺めた場所だ。この先を道なりに進み、県道701号へ出ると射和小学校の前を過ぎた。(途中、コンビニでトイレを借りた。私はトイレを借りたら何か買わないと気が済まない派)
射和交差点から左手を眺めると紅葉の山が望めた。あの方向へ向うはず。
交差点を横断すると県道701号を少し進んだところで
左斜め方向へと進んだ。このお地蔵さんが目印だ。
正面からもお参りしつつパチリ。
【秋葉山公園】
お地蔵さんを後にして進むと松阪市の旧市章を見つけ二人で盛り上がった。(上下を逆転させるとドラえもんみたい)思わずSNSに投稿してしまった。
そんな通りを抜けると左手に経金塔があり、その斜め奥には
役行者がまつられる洞穴のような祠があり
その近くには「秋葉山公園」の案内板がある。前回訪れた時には登れなかった(先の記録)ので今回は山頂を訪れることにした。
坂道を登り始めた辺りに「不生居士三千風之墓」なる墓石が建っていた。この前からは
こんな風景が広がっている。
さらに高度を上げると射和町交差点から眺めた紅葉のまっただ中を歩いていた。
そしてこちらが山頂。ベンチを期待したがそれらしいモノは無かったため【キタヰの妻】と二人で立ちながらの昼食となった。おにぎり二つと温かいお茶。
【 】
昼食を終えると早々に山を下り、伊佐和神社へ向かった。
【伊佐和神社】
私は、伊佐和神社にお参りしたことがあったので
「今日は通過してもいい」と言ったところ
【キタヰの妻】は「せっかく来たのだから」と先行して石階を上っていた。
【 】
伊佐和神社にもお参りを終えると国道42号を目指した。変則的にルートを選択し
途中で振り返るとパチリ。
行きもそうだったが、帰りもトンネルと国道42号をくぐった。(しかし行きと帰りでは別のトンネル)
【松電廃線跡】
一度、県道701号へ出るとここから県道を離れて田んぼ道を歩いた。
帰宅後に気づいたのだけど、ここは松電廃線跡で次の写真の交差点の角に中万駅があったようだ。
さらに線路跡を進むと途中で右方向、石前神社を目指して地道を進んだ。
【 】
地道を進むとこんな変則的は道路にたどり着いた。この橋が無ければ水路を飛び越えるか、水路と交差する細い水路の上を歩かなければならなかった。【キタヰの妻】は「それは無理、遠くても迂回する。」と言っていたからこの橋には助かった。ガードレールに沿って道なりに進むと
見覚えのある祠の前に出た。前回は草が膝上まで伸びていたのでこの場所に足を踏み入れることができずにいた。今回はこの状態だったのでお参りすることができた。
【石前神社】
そしてたどり着いたのは石前神社。
ここでも【キタヰの妻】が先頭をきって鳥居をくぐった。
【弘道寺】
石前神社へのお参りを終えると近くにある弘道寺へ向かった。
なお、スタートの際に中万町公会堂でいただいた「中万地区まち歩きマップ」によるとこちらの釣鐘は著名な蛸路の天命氏によると紹介されていた。
ここにその鐘が吊り下げられていた。
また鐘楼の下で見つけた瓦には
「相可郷 瓦師」と刻されていた。先に紹介した本宗寺で見つけた鬼瓦にも「相可 瓦屋」とあった。
【 】
弘道寺を後にすると道標を探しながら県道701号へ向かったが、道標を見つけることができずに
県道701号にたどり着いた。県道を横断すると近くの路地へ入った。
すると見たことのある場所に出た。これは堀木家の洋館、先週にも訪れた場所だった。
【聖徳寺】
近くにある聖徳寺を訪れると「鬼之墓」を探したがなかなか見つからない。「中万地区まち歩きマップ」に紹介されていたことを思い出し、マップを見ようとしたところ手元から無くなっていた。どうやら途中で落としてしまったようだ。私はすでに諦めモードに入っていたが、【キタヰの妻】が「来た道を戻って探そう!」と言ってくれたので最後に目にした場所(石前神社)まで戻ることにした。
【弘道寺付近】
急ぎ足で来た道を戻ると何と前方に白っぽいものを見つけた。ここは弘道寺の前の道路の中央だった。貴重な「中万地区まち歩きマップ」を拾い上げると二度と落とさないようにシッカリと握りしめた。
【中万町上野集会所付近の道標】
ここまで戻ったのだから先ほど見つけられなかった道標を探そう。ということになりそれらしい方向へ進んだ。すると中万町上野集会所の近く、
こんな所にひっそりと寂しそうにひとり立っていた。
[ 左 まつさかみち ]
【 】
道標近くではこんな風景を目にすることができた。この辺りにも古くからの家が建っているのだろう。
道標の発見に満足しながら再び聖徳寺を目指したが、今度は先ほどと別の経路で・・・。途中石前神社方向へ振り返るとパチリ。
県道701号を横断すると今度はこんな場所にたどり着いた。この細い道を進むと
【聖徳寺】
聖徳寺はすぐ近くに現れた。
今回は「中万地区まち歩きマップ」に力を借りると容易に鬼之墓を見つけることができた。
マップの解説には次のように記されている。
これは中万市にやってきた鬼之丞という男が赤子の手を食っていたので村人が退治したという伝説があり、その鬼を供養して作った墓といわれている。
鬼之墓以外にも「雷の爪あと」、「長者の失明」など聖徳太子にまつわる伝説が残されているそうだがそれらは?
【中万学校跡】
鬼之墓を見つけただけでも満足して聖徳寺を後にすると今は畑になっている中万学校跡を眺めた。先週には中万町公会堂で見た中万学校の扁額を思い出しながら・・・
今日は射和町まで足を伸ばすなど予定を超過したのでこの通りは早足での通過となった。
一か所、「中万文庫」の表札だけはパチリ。
ゴール 【中万町公会堂付近】
そして、スタートから4時間半、午後2時前にゴールである中万町公会堂へ戻った。
お礼を述べるため公会堂へ向かうとその前には数名の町民が集まっていた。中万市の話や継続の大切さ、次世代への継承などさまざまにお話させていただいた。
また、町並みを活用したまちおこし、60年ぶりの中万市の開催のために、伊勢の河崎にも訪れたとのことだった。
中万町がどのようにまちおこしを続けるのかも興味深い。近いうちにまた訪れてみよう。