2014年01月25日(土) 「熱田神宮」、初めての参拝 (電車、徒歩)
久しぶりに名古屋を訪れる機会ができた。午後からの用事だったので【キタヰの妻】と共に早朝に伊勢を発ち熱田神宮にお参りすることにした。名古屋駅で名鉄に乗り換えると神宮前駅で下車、熱田神宮を巡拝した後、大須へ向かうため神宮西駅から地下鉄に乗った。
実は、「熱田神宮」への参拝は、私にとって生まれて初めての経験だった。半世紀が経過してしまったことになる。せっかくの機会なので境内にあるすべての神社等を巡ることとし、自分なりに決めたルートを熱田神宮のホームページに掲載されている境内案内図に書き込んだ。それがこちらだ。
【参考】
名鉄 神宮駅を出ると駅前にある横断歩道は渡らずに、「じんぐうまえほどうきょう」の階段を上った。
歩道橋の上から熱田神宮方向をパチリ。今日はこの入口から境内へ参入。
歩道橋上で振り返ると名鉄 神宮前駅方向をパチリ。電車でもとても便利な立地だ。
歩道橋を渡り終えてから歩道橋と駅をパチリ。
先ほど歩道橋の上から確認した入口より境内へ入ると右方向へ向かった。そこには次の門がある。このあとは先ほど紹介した独自のルートで境内を巡拝するため、「熱田神宮会館」の看板の脇から先へ進んだ。(写真の見出しに記載された(番号)は境内案内図の番号に対応している。)
道なりに進むと(19)熱田神宮会館、
さらにその左隣りには(18)宮庁(社務所)がある。
宮庁の左手を見ると塀の端が見えた。これは(14)信長塀の一部だ。
予定に反してさらに先へ進むと右手には(15)大幸田神社。
お参り。
さらにその先には正参道が見えていたが、独自に定めた巡拝ルートに戻るために熱田神宮会館方向へ引き返した。
その際、熱田神宮会館の前でカメラを構えている方がいたので近づいて尋ねると「シキザクラ」を撮影していた。
私もパチリ。
熱田神宮会館を背にして
第一駐車場脇の歩道を進むと突き当りを左方向へ回り込んだ。
その先では東門が右手に見えるが、まずは東門を通り過ぎてさらに先へ進んだ。突き当りにある第三駐車場にてパ〜チリ。
左手に見えているのが、(44)相撲場、右手方向には愛知県神社庁と熱田神宮学院がある。
こちらは(44)相撲場。予想よりも簡素だった。
土俵に掛けられたシートには「熱田神宮奉賛会相撲部」と記されていた。
第三駐車場の入口方向へ戻ってくると右手に熱田神宮学院、
こちらが、愛知県神社庁。
第三駐車場を後にすると東門の前に戻り、鳥居に正対、パチリ。この鳥居はかなり大きい。
鳥居をくぐってから振り返ると参拝者と共に鳥居をパチリ。
横幅がかなり広い東参道を進むと両側にある常夜燈の先で参道が絞りこまれた。この常夜燈は(32)佐久間燈籠ではない。
さらに進むと東参道が正参道と交差する場所の左側に
(32)佐久間燈籠が建っている。とにかく大きい。
なお、正参道を挟んで向かい側にも大きな燈籠がある。
東参道から右に折れ、正参道を進むと左手に次の案内板があった。
さらに進むと左手には(45)警衛詰所。
前方には第二鳥居が見える。
第二鳥居の手前右手には、(28)文化殿(宝物館)がある。案内図から想像した程は広くない。
第二鳥居の手前右手にはこのような小舎がある。(この役目は後で分かった。)
第二鳥居をくぐると
左手には(27)手水舎、(21)大楠(熱田神宮)があり、その間には奉納された酒樽が積まれていた。
まずは(27)手水舎にて心身を清めた。
手水舎の両側には荷物を置くための案が準備されていた。
積まれた酒樽の先には
(21)大楠。
さらに大楠の奥には(24)客殿がある。
さらにその右手、(25)千秋閣へは立入禁止となっていた。
大楠から正参道へ移動すると振り返ってパチリ。
さらに、(21)大楠をパチリ。
正参道の右側には創祀千九百年事業の一環なのだろう、「神話と歴史でたどる 熱田神宮千九百年の歴史」が記されたパネルが展示されていた。
そしてパネルが途切れた辺りで右手に・・・? 案内図にはない小社が見えた。近づくと
(14)信長塀の脇にあったのは東八百萬神社だった。
こちらが「東」なら、「西」もあるだろう。
正参道を横切ると反対側には予想通り・・・。
西八百萬神社。
さらにその脇には(14)信長塀がある。かなり、立派な塀だ。
参道へ戻り、第三鳥居をくぐると
その先には(01)本宮がある。右手に見えるには(09)授与所。
(01)本宮の前で180°のパノラマでパ〜〜チリ。左から(10)祈祷殿・長床(熱田神宮)、(01)本宮、(09)授与所(熱田神宮)。
かなり遠回りしたが、(01)本宮にお参り。
お参りを終えてから本宮を背にしてパチリ。
正面の遠くに蕃塀が見えたので近づいてパチリ。
さらに蕃塀の脇から本宮方向をパチリ。
(01)本宮の拝殿右手には宿衛舎がある。
ホームページの説明には「授与所が開設時間外の場合は、本宮拝殿東側の宿衛舎の神職にお声がけ下さい。」と記されているが、こちらに声をかければいいのだろう。
続いて、本宮に向かって左側、こちらには(10)祈祷殿・長床がある。この写真は挙式が執り行われる長床で、
その奥には「車ばらい」のための祈祷殿がある。この先は立入禁止だったのでこの辺りでパチリ。
長床の前で北を向くとその先には「こころの小径」が続いている。
私は、「こころの小径」で失態を・・・。(反省)
「こころの小径」の先には(03)一之御前神社、(04)清水社、(06)御田神社、(05)土用殿、(07)龍神社と興味深い神社が多いため、先の案内板を撮影したもののよく見ずに進んでしまった。そのため「注意・禁止事項」に気づかずに(03)一之御前神社付近で写真を撮ってしまった。すかさず、警備の方に注意を受けてしまった。「表では撮影しても構いませんが、裏では撮影できません・・・。」
帰宅後に、撮影しておいた「こころの小径」の説明板を見返すと・・・、何と「注意、禁止事項」が・・・
○これより先は熱田神宮における最も神聖な場所です。
さらに、禁止事項の絵「禁煙」「飲食禁止」「ペット連れ禁止」「撮影禁止」「電話禁止」、そして「安全のために防犯カメラ作動中」
「こころの小径」は撮影禁止です。!
こころの小径にある神社は自分自身の目に焼き付けてください。そのなかでも井楼組の(05)土用殿は圧巻で、必見の価値ありです。
こころの小径を抜けると(08)神楽殿の前に出る。
神楽殿に正対すると右手には(11)斎館・勅使館がある。境内案内図によると最初に確認した(18)宮庁(社務所)と一体のようだ。
また、左手には(12)ならずの梅、
その南側には(13)西楽所がある。
桧皮葺の屋根が印象的だったので、パチリ。
(13)西楽所の前から(08)神楽殿を背にして進むとまたもや(14)信長塀。
(14)信長塀の脇から(28)文化殿(宝物館)方向へ進むと
すぐ左手には(16)内天神社。
すぐ、左前方、樹木越しに見えるには最初にお参りした(15)大幸田神社。
さらに、(16)内天神社の右手には(17)六末社が並んでいる。
その順番はホームページの説明にあるように「乙子社(おとごしゃ)・姉子神社(あねごじんしゃ)・今彦神社(いまひこじんしゃ)・水向神社(みかじんじゃ)・
素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)・日長神社(ひながじんじゃ)」である。
六末社の中央付近に賽銭箱が設置されていたので、その近くでお参りすると(28)文化殿(宝物館)へ向かった。今日は時間が余りないので文化殿の見学はなし。
文化殿の前を通り過ごして
東参道を横切ると先へ進んだ。
左手にある熱田神宮神楽堂の門を過ぎると
その先、右手に・・・
そこにあるのは(34)清雪門。
清雪門の先、左手には「御師」の文字が印象的な頭のない常夜燈の石柱、
さらにその奥には朱色の社が見える。
(36)南新宮社だ。
また、(36)南新宮社の左には、
曽志茂利社と八子社がある。
さらに、(36)南新宮社の右手にはこのような小径が整備されている。
階段を下り先へ進むと
そこには(42)孫若御子神社。近道だった。
孫若御子神社から参道へ出て南へ進むとすぐ近く、左手にあるのは(43)日割御子神社。
日割御子神社でのお参りを終えると駐車場を経由して一旦境内の外へ出た。
南門駐車場の入口付近でパチリ。
ここから正門(南門)へ向かい、その前でパチリ。
正門(南門)の手前へ左へ向かうと正門の鳥居に較べると小ぶりの鳥居(でも、十分に大きい)をくぐると
その先には広い空間が広がっている。
まず、右手にある手水舎で心身を清めた後、その先に見える
(02)別宮八剣宮にお参りした。
(02)別宮八剣宮の前には(40)太郎庵椿がある。
「十一月末から四月のはじめまで淡紅色の花をつける。」と説明されていたが・・・、
現在咲かせていた花はこれだけ。
続いては初えびすの看板が目立っていた上知我麻神社にお参り。
右側には(38)大国主社、
中央が(37)上知我麻神社、
そして、左側に(37)上知我麻神社。
(39)事代主社の左手には(41)上知我麻神社 社務所がある。熱田神宮の摂社とは言え別格の雰囲気だ。
【キタヰの妻】が栞をもらってきてくれた。
以上でこちらを後にして正参道へ戻った。
正門(南門)の鳥居をくぐると右手には(35)楠之御前社。
社殿はなく、楠の神木が祭られている。
また、「子安の神」とも呼ばているようで、小さな鳥居が多数奉納されていた。
この風景はお伊勢さん125社のひとつである子安神社を彷彿とさせる。
【参考】
また、正面の両側に配置された常夜燈には新しい垣が設置されていた。
さらに正参道を進むと右手に(33)徹社(とおすのやしろ)。
こちらには天照大神の和魂(にぎみたま)が祭られているとのこと。内宮と比較するとかなり小規模だ。
さらに正参道を進むと小さな橋があり、左手を望むと
遠くに石橋が見える。(31)二十五丁橋だ。
ズームでパチリ。
参道もどると(31)二十五丁橋へ近づき、
その前でパチリ。
説明板の下には名古屋甚句の石碑。
せかっくなので、できる限り近くから・・・。石が曲線を描くとは!
二十五丁橋の下の流れの水源となっているのは(30)南神池。池の辺りには(29)休憩所がある。この中ではおみやげが売られ、飲食もできる。伊勢神宮では考えられないことだ。
休憩所の前からパチリ、パチリ。
さらに、きしめんも食べられる。境内に飲食店があるのだ。
そして、第二鳥居の小舎まで戻ってきた。実はここはボランティアガイドの方の拠点となっているようだ。ガイドは青い法被を着ている皆さんだ。
残る最後の区画である大楠の裏手への経路を探ってみたが、(26)又兵衛・茶席へのルートも立入禁止となっていた。(客殿の左手から千秋閣へのルートも立入禁止)
帰宅後にわかったことだが、この奥の区画は現在公開されていないようだ。
結局、この区画への参入は諦めて、西参道へ向かった。清め茶屋の案内板を左手に見ながら進むと
右手には参道から見える場所に(26)又兵衛の説明板とその背後に・・・。
そして、西門の手前で振り返るとそこには(23)菅原社。
(23)菅原社の前で左手を望むと本日は参入できなかった区画の一端を垣間見ることができた。いつかは・・・。
西門を出ると、その前には多数の観光バスが停まっていた。
西門付近から地下鉄 神宮西駅を目指して北方向へ進むと
勾玉苑の看板が掛かった門が閉ざされていた。やはりここからも立入りできないのだ。
道路には駐車場が空くのを待つ車の列ができていた。
ここは伏見通り。
旗屋町交差点に近づくと
右手に鳥居が見える。こちらは(46)下知我麻神社だ。こちらも熱田神宮の境内なのだろうか?
下知我麻神社でのお参りを終えると
旗屋町交差点にある神宮西駅から地下鉄に乗り、大須へ行くために上前津駅を目指した。
【 20140125 の記録 】
- 「熱田神宮」、初めての参拝
- 久々に訪れた大須観音
- 迫力満点! 名古屋市科学館
名古屋に戻ったそぶえです。大須・伏見(科学館)は、子供の頃の遊び場でした。
熱田神宮も丹念に回られましたね。
sobueさん
ご無沙汰しています。
> 名古屋に戻ったそぶえです。大須・伏見(科学館)は、子供の頃の遊び場でした。
そうなんですか。特に大須はいい雰囲気ですね。都会だけどそうじゃない・・・
> 熱田神宮も丹念に回られましたね。
熱田神宮だけに熱が入りすぎて警備の方に注意を受けてしまいました。大人気なく反省です。
では、また、