2014年03月15日(土) お伊勢さん125社まいり 五十鈴川めぐり+α (徒歩)
以前にも紹介したように平成6年、つまり20年前にザ・伊勢講受入協議会と近鉄が主催で実施されたお伊勢さん125社のマップと資料を元に今回は五十鈴川めぐりを実施した。
【参考】
今回利用したマップでコースを確認すると近鉄 五十鈴川駅を出発し最後はまつり博会場(前回の式年遷宮に合わせて伊勢市朝熊山麓にて開催された世界祝祭博覧会)へ誘導するように設定されていた。まつり博の年にUターンし、まつり博の開催前から終了まで清掃スタッフとして我武者羅に働いていたことを思い出した。(まぁ、そんなことはどうでもいいか。)
今、まつり博は開催されていないので、このマップ通りに巡ることはできない。自宅から歩いて最も近いのが加努弥神社だ。そこで加努弥神社を起点として次の順で巡ることとした。さらに、マップには設定されていない倭姫宮にも最後に訪れることにした。そのため、このマップとは少し異なるルートをたどった。
- 加努弥神社
- 鏡宮神社
- 朝熊神社、朝熊御前神社
- 大土御祖神社(宇治乃奴鬼神社)
- 国津御祖神社(葦立弖神社)
- 宇治山田神社(那自賣神社)
- 葭原神社
- 月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮
- 倭姫宮
今日は起床もゆっくりしていたので出発が9時を過ぎてしまった。出発間近にFacebookをチェックしたところ伊勢志摩経済新聞さ んから「伊佐奈岐宮および伊佐奈弥宮の立柱祭(9時〜、10時〜)と上棟祭斎行(13時〜、14時〜)」のスケジュールが紹介されていた。「あっ、チェッ クしていたのに忘れていた!、今日だったんだ。ちょうど五十鈴川めぐりの終盤には月讀宮に立ち寄るから上棟祭は拝観できるかもしれない。」が「とにかく、 125社まいりを優先しよう。」と決めて出発した。
御薗町から国道23号を内宮方向へ歩くと立体交差に歩道がないため、交差する二見街道へ下ってから上り坂。その坂を上り切るとこの案内板。
次の黒瀬町交差点で左折。この案内板に左折する道路は無いが左折できる。
国道から左折して直ぐを右折して民家の間を道なりに進むと途中でこんな風景。
さらに先へ進むと右への急カーブ。
突き当りを直角に左折するとおかげバス 西鹿海バスのりばがある。もうすぐ最初の訪問地加努弥神社だ。次の丁字路を右折。
この辺りには歴史を感じさせる建物が多い。いい雰囲気の建物を右手に見ながら進むと
この先のカーブミラーで左折するとすぐで加努弥神社だ。
しかし、右手方向に小さな祠を見つけてしまった。実は今まで気付いていたが・・・。
伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮で斎行される上棟祭のことも頭をよぎったが、寄り道の誘惑には逆らえずに右の路地を進んだ。Y字路にある祠には
庚申塚。
庚申堂から元の道へ戻ると加努弥神社へ向かう分岐点へ。左方向には加努弥神社の社叢が見えているが
今日は直進し、次の建物の前で左方向へ向かった。
【加努弥神社】
すると視界が開け、倉庫奥に加努弥神社の社叢が見えた。
加努弥神社へ向かい通り過ぎてから振り向いてパチリ。
社叢の脇の参道を進むとこちらが正面になる。
田んぼの畦道を借りて真正面からパチリ。
小規模な御垣の中には社殿はなく、石神として祭られている。参道からパチリ。
加努弥神社にてお参りを終えると来た方向とは逆向き、五十鈴川へ向かって歩く、途中で振り向いてパチリ。
車道を横断して五十鈴川方向へ農道を進むと前方には小山が見える。あの山の中腹には朝熊神社、朝熊御前神社が鎮座している。
農道を進み、五十鈴川の左岸堤防へ近づくと両側の田んぼは耕されている感じだった。代掻きにはまだ早いから田起こし?
堤防への道路は右方向へ斜めに続いているが面倒なので正面を直登した。堤防にてパ〜チリ。前方の小山が朝熊神社の社叢で、右手に見える小さなこんもりが鏡宮神社。鏡宮神社は朝熊川と五十鈴川に挟まれている。
そして、こちらは朝熊川と五十鈴川の合流地点のすぐ下流側。川の色が明らかに異なる。手前の五十鈴川の流れは澄んでいるが、奥の朝熊川からの流れはかなり濁っている。
こちらは左岸側の流れ。
こちらは左から順に朝熊神社、朝熊川、鏡宮神社、五十鈴川。
鏡宮神社の石垣に川辺へ下る階段を発見。今日は水が引いているので近づけそうだ。また寄り道のネタを見つけてしまった。
早く鏡宮神社へお参りしたいが、この付近には橋はなく上流側に見える堀割橋を渡るしかない。逸る気持ちを抑えながら堤防道路をゆっくりと歩いた。
堀割橋を渡ると折り返しだ。
今後は右岸の堤防道路を歩く。
水位が低いとよく分かるが、川の中には川の流れ方向に石が積まれている。
そして、その先、鏡宮神社のすぐ近くには「木場(内宮造営貯木場)」の説明板がある。川の中の石積みも貯木と関係があるのだろうか?
【鏡宮神社】
「木場」の隣、五十鈴川と朝熊川の合流地点に鎮座するのが鏡宮神社。堤防からはコンクリート製の階段を下ると
参道が続く。
こんなに開放的な社域はお伊勢さん125社のなかでも他にはない。
お参りを終えると社殿の右側に続く小径を進み、石階を下った。この下には柵に囲まれた石(虎石と呼ばれているそうだ。)がある。
川の水位が低ければ
五十鈴川の朝熊川の合流地点が下流側へと伸びる。先端まで歩いて行き
振り返ってパチリ。
これが合流地点にある鏡宮神社。
先ほど左岸から遠望した階段に近づくと
確かに、石垣の上へと通じていた。
踏み跡があり、利用されているようだ。「五十鈴川の下流にある二見の海にて牡蠣などの御贄を採取する御贄神事のためにこの場所から船を出した。」と言う話を聞いたことがあるが何か関係があるのだろうか? 定かではない。これ以上は参入できないのでこの場所で引き返した。
鏡宮神社の参道へ戻ると階段を上り堤防へ戻った。堤防を左へ進むと
朝熊川にはお互いが横を向かないと対向できないほどの狭い橋が架かっている。
名前は朝熊橋(歩道橋)となっている。
歩道橋を渡ると
左手に朝熊神社、朝熊御前神社の石階が見える。
朝熊川の対岸には先ほどお参りした鏡宮神社が望める。川の水はかなり濁っている。
【朝熊神社、朝熊御前神社】
石階を登ると
その先には
次の空間が開けている。
同じ形状、規模の社殿が並列している。右側が皇大神宮(内宮)の第一摂社である朝熊神社、左側が朝熊御前神社だ。朝熊神社からお参り。
以前の記事でも紹介しているが、私が発見した朝熊御前神社、朝熊神社の相違点は一箇所であった。御扉の柱の根本の・・・。
【参考】
ここでは、「社格による区別」「リサイクル」などの理由を考えたが、この神宮式年遷宮に際して修繕された外宮の五丈殿や九丈殿の柱の様子を見ると朝熊御前神社の柱もただ単純に修繕されただけなのかも知れない。その答えは朝熊御前神社が御造替される時までお預けだ。何時になるやら?、これだから「お伊勢さん125社まいり」は止められない。
そんなことを考えつつ、朝熊御前神社にもお参を終えると堀割橋まで戻ってきた。マップのルートでは加努弥神社に戻ることにあるが、今日は五十鈴川の左岸堤防を歩くことにした。
橋を渡って左岸を上流方向へ進みしばらくするとこんな風景。川のなかが岩だらけだ。
せっかくなので堤防から下り川岸まで近づいてパ〜チリ。この付近は岩の川床となっている。
一筋の流れをズームでパチリ。
ここからしばらくはのどかな雰囲気。天気が良く歩くには最高の日和だった。
しばらくするとマップのルートと合流。
伊勢二見鳥羽ラインの下をくぐると
その先には五十鈴川の対岸に大土御祖神社ほかの社叢が見える。
大土御祖神社の社叢の対岸までたどり着くとそこには石積みの上に一本の木が立っている。この場所にも何か意味があるのだろう?
一昨年の10月に架け替えられた五十鈴橋の上流側では旧五十鈴橋の撤去作業がほぼ終了していた。
五十鈴橋を渡ると左手にある社叢へ向かうのだが、
その前に川面を見下ろした。工事箇所以の水は澄んでいる。この水が鏡宮神社まで流れているのだから朝熊川との合流地点で二層の流れになるはずだ。
【大土御祖神社(宇治乃奴鬼神社を同座)、国津御祖神社(葦立弖神社を同座)】
橋を渡り左手にある社叢へ。
小さくくり抜かれたような入口へ進むと石柱と定の立札がある。この札には神宮司庁の名が記されているのでお伊勢さん125社であることが分かる。大きな木々が遮るように立っている参道を進むと
手前には大土御祖神社(宇治乃奴鬼神社を同座)が鎮座する。
こちらでは神宮神田の御田植初式に際して田舞や団扇破りの行事が執り行われる。
【参考】
さらに、同じ社域の奥には国津御祖神社(葦立弖神社を同座)が鎮座する。
【櫲樟尾神社】
お参りを終えて社域を出ると左方向へ進んだ。隣にも神社があるこちらは地元楠部町の櫲樟尾神社。
こちらでは、楠部町萬歳楽が斎行される。
【参考】
櫲樟尾神社にてお参りを済ませると近くにある神宮神田へ立ち寄った。
【神宮神田】
4月4日(金)9:00〜 神田下種祭(しんでんげしゅさい:神宮諸祭典で使用する御料米の種を蒔く祭典)が斎行される予定だ。
神宮神田を後にして五十鈴橋を渡ると左岸の上流側へ移動。五十鈴橋を振り返りながらパチリ、
パチリ。
しばらく歩いてから五十鈴橋と近鉄鳥羽線の高架橋の中間点付近でパノラマ。
近鉄鳥羽線の高架橋をくぐり
さらに進むと
左手にこの風景、
水の流れに見惚れてしまった。
その時列車の音が聞こえたので振り返ると、クラブツーリズム専用列車「かぎろひ」が鳥羽方向から走ってきた。
今までかなりの寄り道を重ねてしまった。伊佐奈岐宮の上棟祭の開始時刻が迫って来た。堤防道路を黙々と歩き御側橋までやってきた。
五十鈴川の河川敷を遠望すると今日も満車状態だった。
【宇治山田神社(那自賣神社を同座)】
御側橋の反対方向(右折)へ進むと突き当りにこの風景。左前方には興玉の森。その南側に宇治山田神社が鎮座する。直線ではたどり着けないため、左側から右へ巻くように進む。
右手に森を見ながら進むと
この場所が宇治山田神社(那自賣神社を同座)の参道だ。
参道を進むと石階になり、石階を上り切ると
苔の絨毯となる。踏みつけるのが申し訳ない位に敷きつめられている。
お参り。
少し急ぎ足になってしまった。
【月讀宮】
国道23号を渡ると月讀宮の裏参道を進み
鳥居をくぐると12時45分頃。
【葭原神社】
鳥居をくぐってすぐ右手にある葭原神社にお参りしようとしたら前方で報鼓が聞こえた。
この場から手水を受ける間もなく、報鼓の聞こえた参道へと急いだ。このようにして伊佐奈岐宮の上棟祭には間に合った。この後、伊佐奈岐宮に続き、伊佐奈弥宮の上棟祭も拝観した。
上棟祭については別の記録で。
伊佐奈岐宮の上棟祭は修祓から祭典までを拝観したが、伊佐奈弥宮の上棟祭は板塀に阻まれて祭典自体を拝観することができなかった。そこで伊佐奈弥宮の祭典の間に月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮にお参りした。途中で宿衛屋の前を通過する際に、宿衛屋の玄関には祭員が手水を受けたと思われる土堝(?)が置かれていた。
【月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮】
まず目に入るのは月讀宮。
こちらは左から伊佐奈弥宮、伊佐奈岐宮、月讀宮、月讀荒御魂宮が並立している。ちなみに、参拝順は月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮がお勧めだ。
パノラマでパチリ。この写真が気に入ったので、Facebookのカバー写真に設定した。
最後に月讀宮をパチリ。
続いて、先にお参りできなかった葭原神社へ。
【葭原神社】
葭原神社へお参り。
お参りを終えると上棟祭の退下が始まりそうだったので、先ほどの場所へ戻り退下も拝観した。
帰りは表参道を通って御幸道路へ出た。
横浜から伊勢に観光に見えている方とお話をさせていただいた。
五十鈴駅まで行きたいとのことだったので途中まで同行した。地元にいると分からないことだが、公共交通機関を利用した場合、伊勢は不便だとのこと。その理由は路線が分かりにくい、本数が少ない。(私は何も言えなかった。)
横浜のお二人と分かれると先ほど会話を思い返しながら倭姫宮へと歩いた。
伊勢自動車道をくぐり坂道を進むとその先には大鳥居が見えてきた。
先日、グリーンライトアップされている姿を確認した鳥居だ。昼間とは全く別人(?)だ。
【参考】
倭姫前交差点付近に到着すると
歩いている人が多かった。
スロープの手すりを見ると阪急交通社によるハイキングの案内。
近くで誘導している女性に確認したところ、大阪からバス十数台とほかにその他関西方面からも・・・とのこと、ざっと500人以上は参加していることになる。
【倭姫宮】
多くのハイカーと逆行するように私は倭姫宮の参道を下った。
参道の底から長い石階を登るとすでに禊を終えた気分だ。
手水を受けてから倭姫宮へ近づくと新御敷地には覆屋(簀屋根)が準備されていた。
どうも簀屋根の屋根を張る大詰めの作業中だった。
これで準備は完了?
また、常夜燈はこんな状態に。
お参りを終えると本日のめぐりは終了となったが、
まだ時間に余裕があったので神宮徴古館、神宮美術館に立ち寄った。
【神宮徴古館】
まずは神宮徴古館、
ロータリーの中心にある庭園は工事中だった。どんな風になるのだろう。
この企画展は昨年にも拝観したが繰り返し拝観した。
【参考】
館内は撮影禁止なので写真はなし。式年遷宮にて実際に使用された道具なども展示されている。上棟祭で使用された木槌の傷(?)などは本日拝観した伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の上棟祭とラップし感動モノだった。
神宮徴古館を後にすると
式年遷宮記念 神宮美術館へ
【式年遷宮記念 神宮美術館】
神宮美術館では『特別展 静 Sei ー歌会始御題によせてー』が開催さいれていた。
拝観。
(私が気軽に神宮徴古館や神宮美術館に立ち寄れるのは、第62回神宮式年遷宮に際して奉賛した際に特別参宮章を授与していただき、平成28年までは神宮徴古館農業館、神宮美術館を自由に拝観できるから。)
【神宮農業館】
今日は神宮農業館にはよらずに駐車場方向の坂道を下った。
その先には「皇大神宮 別宮 倭姫宮参道」の石柱が建てられている。
本日のお伊勢さん125社まいり 五十鈴川めぐり+αはこれにて終了。
しかし、帰途には寄り道の繰り返しが待っていた。(別の記録で)