2014年05月10日(土) 神田御田植初 田植え、大団扇合わせ(神宮神田) 動画あり (徒歩)
空には雲がなく晴れ渡った。が、冷たい風が時々強く吹いていた。心身ともに心地よい状態にて、神田御田植初(しんでんおたうえはじめ)が執り行われる神宮神田へ徒歩で向かった。
まず、この御田植え行事の名前について「どう記すか?」を悩んだが、結局は「神田御田植初」とした。書籍等では「御田植初式」、「御田植式」、「神田御田植初式」・・など多様である。以前私自身が投稿した記事を振り返っても一定していない。
【参考】
- 御田植初式(神宮神田) 2012年05月12日
- 神田御田植初(神宮神田、大土御祖神社) 2011年05月07日
伊勢神宮における年中祭儀の神饌御料である御稲を生み出すのが神宮神田。御稲は自給自足の象徴であり、御稲を中心として年中の祭儀が進められる神宮にとっては最重要な場所だ。
神田での稲作は、忌種を蒔く神田下種祭に始まり、収穫時の抜穂祭で終わる。最初と最後には「祭」の文字が付くが、今回訪れた御田植え行事は「祭」として位置付けられていない。そのために、この行事の名前が統一されずにいるのかもしれない。
また、この御田植え行事は1971年に三重県の無形民俗文化財に指定されている。
【参考】
このように神事としてよりも民俗行事としての色合いが強いと思われる。とはいえ神宮神田で執り行われる行事であるので、できれば神宮が使用する用語を利用しようと思い、神宮司庁が発行する「瑞垣(みずがき)」を読み直したところ冬季号の「神宮の祭典」欄に「神田御田植初」の言葉を確認した。そこで、以降の記事では「神田御田植初」を使用することとした。
「神田御田植初」は、儀式に始まり神宮による田植えの開始、つづいては地元楠部町の神宮神田御田植祭保存会による田植え。田植えが終了すると神田での行事が続き、恵比寿と大黒がそれぞれ描かれた二柄の大団扇を合わせて豊作を祈願する。
その後、神宮神田から場所を移動する。移動先は神田の近くにある、お伊勢さん125社のひとつ大土御祖神社だ。大土御祖神社では神前にて稲作の所作を模擬した田舞が披露される。そして最後にはあの大団扇が見学者に差し出されると見学者は縁起物としてその一部を破りとる。大団扇破りが終了するとすべてが終了となる。
いつものことだが、前置きが長くなってしまった。本題である「神田御田植初」を紹介する。一昨年の記録もご参考に。
【参考】
- 御田植初式(神宮神田) 2012年05月12日
自宅を出ると途中で、お伊勢さん125社である加努弥神社、鏡宮神社にお参りしてから神宮神田を目指した。五十鈴橋で五十鈴川を渡ると大土御祖神社に立ち寄った。お参りしていると頭上から大きな音が聞こえた。神田御田植初が始まる合図だった。
大土御祖神社を後にして神宮神田へ向かう途中でも、「パン、パン・・・」
神宮神田では・・・
普段は閉じられている黒木鳥居から神田へ入った。
遠くに見える神宮神田の事務所前には神職、作長(さくちょう)、作丁(さくてい)そして御田植えを奉仕する楠部町の神宮神田御田植祭保存会の皆さんが集まっていた。
定刻になると来賓が登場し、
その後から
作長、作丁が神職とともに参進を開始し、
神宮神田御田植祭保存会の皆さんが続いた。
【動画】 1分(8.2 MB )
全員が着座すると
作長による献饌。
続いて神職が献饌の前に歩み出ると拝を重ねた。
簡単ではあるが以上で儀式は終了し(?)撤饌となった。
【田植え】
続いて、早苗が神職から作長に手渡された。
早苗を捧持した作長は
神田の北面中央へ移動するとひと束の早苗をその場所に落とし、さらには右手(西側)、左手(東側)にそれぞれひと束を落とした。
【動画】 1分11秒(7.1 MB )
続いて、作長の前で二名の作丁が田んぼへ足を踏み入れると
先ほど落とし入れた早苗の束を解き、
分け合った。
両者は北面の中央、作長の前で
早苗を植えると左右へと別れ、田植えが始まった。
その後は黙々と植え続け、
左右の端で折り返すと中央へ戻ってきた。先頭を植え終えると役目が終わったのだろう、
作丁は神田の脇に流れる水路で足に付いた土を洗い落とした。
以上で神宮による田植えは終了し、
作長は空になった折敷を捧持しながら
自らの版へ戻った。
【楠部町の神宮神田御田植祭保存会による田植え】
このあとは神宮神田御田植祭保存会による田植えが続いた。
交互に並んだ男女が田に足を入れた。
早苗の束が渡されると準備完了。
田植えが開始された。
【動画】 45秒(4.7 MB )
田楽が奏でられるなか室町時代の衣装を着た奉仕員は黙々と田植えを進めた。
見学者はこんな感じだった。少なくもなく、多くもなく程よい人数だった。
風が強く、肌寒くなってきた(田植えは寒いだろう)ので、私は一旦神田を出て上着を羽織った。神田へ戻る際にパチリ。こちらが黒木鳥居で、この前には角落としのような構造があり、板が積まれていると進入できない。
今日はそれらの板が外されていた。
黒木鳥居前からテントをパチリ。その奥では田植えが続けられていた。
植え始めから植え終わるまでは約1時間。
そろそろ半分くらいだろうか。風が強く、大団扇を支える手も力が入る。
隣の水田に張られた水が波打っていた。
寒さにはビクともせずに、田植えは進められた。
そんななか、北面に脱ぎ捨てられた草鞋を回収し、植え終わりとなる南面へ移動させる人の姿、
まだまだ風は強い!
田楽に合わせて同じ所作を繰り返すと、
ついに最終列付近へ到着。大団扇を立てているだけでも大変そうだった。
風は強さをさらに増し、大団扇を支える人数が三人に!
隣の田んぼに張られた水はさらに波立っていた。
そして、田植えは最終列、植え手の向きが逆転した。
田植えを終えると作丁と同様に田んぼ脇の水路で足に付いた土を落とした。
【大団扇合わせ】
田植えに続いては大団扇が左右から登場。右(西)側お団扇には恵比寿が描かれ、左(東)側の団扇に大黒が描かれていた。
左右から大団扇が中央へと移動すると左へ回りながら途中で団扇を合わせる行事で、豊作を祈願するそうだ。一説には男女の営みを表すとも言われている。そうだ。
右から、
左から
中央へ移動して・・・
【動画】 1分16秒(10.1 MB )
大団扇が合わされて・・・
【動画】 1分03秒(7.3 MB )
以上で神宮神田での行事は終了となった。
この後は、皇大神宮の摂社である大土御祖神社へ会場を移すと、田舞、大団扇破りが執り行われた。
【 20140510 の記録 】
- 神田御田植初 田植え、大団扇合わせ(神宮神田) 動画あり
- 神田御田植初 田舞、大団扇破り(大土御祖神社) 動画あり