2014年07月16日(水) 御塩殿神社から採鹹作業が開始された御塩浜へ (車、徒歩)
伊勢の神宮では自給自足を基本とし、祭典にてお供えされる御塩、修祓での清めに使用される御塩も例外ではない。御塩のもととなる鹹水(塩分濃度が高い海水)は夏の土用の頃に五十鈴川の河口付近にある御塩浜(入浜式塩田)で作られる。その鹹水は御塩殿神社の裏手にある御塩汲入所に運び入れられると隣にある御塩焼所の大釜にて水分を飛ばした荒塩に仕立て上げられる。そして荒塩が三角錐の土器に詰められて御塩殿の竃にて焼き固められると堅塩となり神宮に護送される。このように五十鈴川の辺りにある御塩浜で作られた鹹水をもとに御塩殿神社にある施設で荒塩、堅塩に仕立てられると外宮へと運ばれる。堅塩を作る御塩焼固は年に二度行われるが、鹹水を作り荒塩に仕立てる作業は年一回である。なお、二見浦での御塩調進の歴史は古い。倭姫命が天照大神の御杖代として諸国を巡り二見の浜に着かれた際、土地の神である佐見都日女がお迎えし堅塩を奉ったところ倭姫命がそれを愛でて堅田の社を定められた。この社は現在の皇大神宮摂社 堅田神社(二見町江)であり、二見から御塩を調進する起源となったとされている。
昨日(7月15日)より御塩浜にて採鹹(鹹水を作る)作業が始まったとの情報を得たので出勤前に見学することにした。御塩の調進には御塩浜だけでなく、御塩汲入所、御塩焼所、御塩殿とさまざまな施設が関わっている。そこで、御塩浜を訪れる前にその他の施設を有する御塩殿神社を訪れることにした。
こちらが御塩殿神社の前の道路。
横断歩道の先、道路に面した鳥居から参道が始まる。
また、横断歩道のこちら側、左手には御塩殿神社の説明碑がある。
さらにはその近くに次の案内板が置かれていた。御塩殿で調製された御塩(堅塩)は辛櫃に納められるとつい戦後まで人が担いて外宮まで運んでいた。御塩殿から外宮へと御塩を運ぶルートが御塩道と呼ばれている。
参道を進み突き当たりに見えるのが御塩を焼き固めるための御塩殿。こちらは神社ではない。
鳥居をくぐり、御塩殿の前を左へ進むと少し奥に御塩殿神社が祭られている。
まずはこちらでお参り。
御塩殿神社の前から
さらに御塩殿の前を過ぎ、さらにその先を左への巻き込むように進むと
御塩殿神社の裏手には建物が二棟。
生け垣で囲われ、入口には立派な扉、さらにその奥には鳥居が建っている。
向かって右手の建物が御塩汲入所で、左側は御塩焼所だ。
また、この後ろ側は二見浦に隣接している。
「注意」として車を乗り入れないこととあるが、御塩焼所での荒塩の焚き上げ作業の際にはこの付近は奉仕者の車でいっぱいになる。
御塩殿へ戻ろうとすると
小径が綺麗に掃き清められ、先ほど私が歩いた足跡のみが・・・・
御塩殿で堅塩の焼固作業を奉仕している喜多井さんが毎朝掃き清めてくださっている。
休憩中の喜多井さんに伺ったところ、今年の御塩焼所での荒塩の焚き上げ作業は8月1日〜2日にかけて行われる予定だ。8月1日は金曜日なので夜に御塩焼所へ伺うと荒塩を炊き上げる作業を見学できそうだ。
喜多井さんの日頃の奉仕を感謝し御塩殿神社を後にした。
車を走らせること5分ほどだろうか、五十鈴川に架かる汐合大橋の下流側、右岸にある御塩浜へ到着した。車からお利用とすると御塩樋管付近に人の姿を発見。パチリ。
御塩浜へ向かうとすでに準備が始まっていた。
今後の作業の予定などを伺ってから、神職の方に質問した。
「黒木の鳥居に直交するように建っている素木の鳥居は何のためですか?」
それは、私がずっと疑問に思っていたことだった。やっと解決できると思ったのだが・・・
【参考】
- 御塩浜 2010年12月04日(土)
神職の返答は「あれは鳥居ではありません。立派過ぎますが道具掛けです。」
「あっ!」、確かに「浜ぐわ」が掛けられていた。長年の私の疑問はあっけなく解決されてしまった。
御塩浜はこれからの作業を待ち構えている雰囲気だった。
御塩浜を後にして五十鈴川に近づくと、そこには御塩浜へ(海)水を浜へ引き入れるための樋管がある。
その名は「御塩樋管」、しかも管理者は神宮司庁となっている。御塩浜専用の樋管である。
左側が御塩浜、堤防道路を挟んで右側が御塩樋管、五十鈴川だ。パ〜チリ。
御塩浜側をパチリ。
御塩浜の全景はこんな感じだ。
しばらくすると作業が始まりそうだった。
待機していると奉仕者の皆さんが作業道具である浜ぐわを手にして御塩浜に現れた。
そして作業が開始された。最初は「浜をひろげる」作業だ。
神宮広報シリーズ(三)神宮の御塩によると、御塩浜での作業は『早朝に塩水が付着した砂を「浜ぐわ」で御塩浜全体にまき広げ(浜をひろげる)、天日で砂の水分を飛ばす際、乾燥を助けるために「砂かき」で砂を掻き起こす(浜をかえす)、 そして天日で乾いた砂を「えぶり」を使って四カ所にある沼井に集め(浜をよせる)、仕上げには沼井に海水を注ぐ(潮をおそう)。しばらくすると沼井の下穴に砂の塩分を溶出した「鹹水」が溜まるので「潮だこ」で運び出す(採鹹)。』です。つまり、一連の作業は「浜をひろげる」、「浜をかえす」、「浜をよせる」、「潮をおそう」、「採鹹」である。
これからは「浜をひろげる」。
浜の隅々まで、均一に広げる。
そろそろ出勤時刻が迫ってきたので、御塩浜を後にすることにした。
参考にしたのは御塩調進の際に配付していただけるこちらの資料、神宮広報シリーズ(三)神宮の御塩だ。
なお、私の御塩に関する記録はリンクを含め、次のページにほぼまとめてある。
【参考】 御塩焼固のほか、採鹹作業、荒塩焚き上げ、御塩護送など