2014年08月02日(土) 清流宮川の源流部から海まで歩こう!第五(最終)区間 宮川ウォーク・右岸 (車、徒歩)
清流宮川の源流部から海まで歩こう!と題する宮川ウォーク・右岸(宮川流域案内人の会主催行事)の最終区間である第5区間に参加した。今回の集合場所はゴール地点がある大湊海岸の駐車場、前回のゴールである宮リバー度会パークまでバスで移動した。
伊勢市大湊町にある大湊海岸の駐車場で受付を済ませると
次のコースマップを受け取った。本区間は約21km、最終区としては適度な距離だ。
参加者は事務局等のスタッフを除いて33名、募集人員は50人だからかなり少ない。5回のシリーズなので途中から参加しようと思う人は少ないのだろう。
【大湊海岸〜宮リバー度会パーク(バスで移動)】
大湊小学校脇で待機していたマイクロバスに分乗すると本日のスタート地点である宮リバー度会パークを目指した。
大湊の町並みを通り過ぎ、
湊橋で大湊川を渡ると御薗町を走った。バスで自宅近くを通過するのは何か不思議な体験だった。
さらに、これから歩くであろう宮川ラブリバー公園付近を快調に走ると宮リバー度会パークへ・・・。
サニーロードへ右折する交差点の手前には今日のチェックポイントである「米山新田開発跡」脇を通過した。
円座町交差点でサニーロードへ右折して、宮川を南伊勢大橋で渡ると次の信号で左折。そこには「←宮リバー度会パーク」の案内板があった。ここからはすぐ近くだ。
【宮リバー度会パーク】
バザールわたらいの前にある駐車場に到着。
今まで「宮川流域案内人」の幟は両手で持っていたが、今回はキャリーカーに取り付けられた特別仕様が登場した。
いつも通り、挨拶と準備体操、
コースの紹介、注意事項・・・。宮川ウォーク・右岸は今回で終了、嬉しいような、悲しいような・・・。
【宮リバー度会パーク〜内城田大橋】
大湊海岸の集合場所では全員が集まるのに予定時刻を超過したが、スタート地点での出発は予定通りとなった。内城田大橋を渡るまでは第4区間の逆行である。
駐車場を出て右方向へしばらく歩くと左手前方には朱色の内城田大橋が見えてくる。
宮川と一之瀬川の合流点を確認しながら内城田大橋を渡った。
【SANCO 内城田大橋 バスのりば〜】
渡り終えると目の前には内城田大橋 バスのりば。右方向へ進めば第4区間で歩いたルートだ。ここは直進。
少し坂を上ると
すぐに下りとなる。その先は丁字路、
【川口交差点】
川口交差点だ。ここは左折。
交差点の先では
【飛瀬浦橋(一之瀬川)】
飛瀬浦橋で一之瀬川を渡る。
橋の上から左方向を望むと先ほど歩いた内城田大橋を望んだ。
【飛瀬浦橋(一之瀬川)〜土場 バスのりば】
ここからはしばらく歩道の無い車道を歩くことになる。
側溝は苔むしていた。
しばらく右側はこんな斜面。
大型のダンプが行き交うし、落石注意の交通標識がある。何と危険な場所だ。
なお、左側は先ほど歩き始めた宮リバー度会パークが広がっている。
黙々と歩くと「度会町」から「伊勢市」へ入った。
伊勢市に入っても道路の雰囲気は変わらず、大型ダンプだけでなく乗用車など交通量は予想以上に多い。
緊張して歩いている時、背中のザックが引っ張られた。「誰だ? こんなイタズラ、子供か。」でも、これは和んでいる証拠。折角なので再現写真をパチリ。今日で最終階、こんなことも今回で終わりだ。
【土場バスのりば〜神薗バスのりば】
そして土場バスのりばを通過。
この先も歩道がない車道がまだまだ続く。
ほどなく、左側にある神薗バスのりばを通過。
【神薗バスのりば〜円座町交差点】
緩やかな坂道を上り始めると右手下に水路を発見。水路の脇には立派な石積み。この写真の左側だ。
坂道を上り切るとそこには次の案内板が見え、サニーロード(県道169号)と交差する。
こちらが
円座町交差点。右手にはコンビニがあり、弁当や飲み物を忘れても手軽に手に入れることができる。
【円座町交差点〜米山新田開発跡】
交差点を横断し、田んぼの脇を歩くと水路には多量の用水が流れていた。水しぶきだけでも気持ちいい。
ここで振り返ると先ほど紹介したコンピニをパチリ。
コンピニで買い物を終えた彼女がみんなを追いかけて差し入れてくれた。
アイスキャンデー。曇っているので太陽の日差しでの熱さはほとんどないが、歩き続けて温まった身体を冷やしてくれた。気分も爽快に!(感謝)
【米山新田開発跡】
アイスキャンデーを食べ終わると米山新田開発跡に到着した。小さな祠は道路とは逆の方向を向いている。
その先にはこのような田んぼが広がっている。
【参考】 本説明板についてはこちら、
【米山新田開発跡〜船戸橋(横輪川)・NTTドコモ伊勢津村無線局】
米山新田開発跡を後にするとしばらくは車道の脇にある農道(?)を歩きいた。
反対車線には円座バスのりば。
この先で、左側に歩道があるため、こちらへ移動した。
右手には日本特殊陶業の看板が見えた。
坂道を下ると途中で再び右側の歩道へ移動し、船戸橋で横輪川を渡った。
その先にNTTドコモ伊勢津村無線局があり、
【船戸橋(横輪川)・NTTドコモ伊勢津村無線局〜伊勢自動車道 宮川橋】
ここからは農道を歩くため道路の反対側(進行方向左)へ渡った。この自転車が通り過ぎてから全員が一気に横断、
道路脇にある農道へと進んだ。しばらくは車も通らない長閑な風景が・・・・。
しばらく進むと右手には「花開道」が遠望できた。これからはコスモスだろうか?
農道は右へと曲がり、
我々はその先の十字路を左折した。
左折した近くにはこのような工場があった。ウォークの参加者がこの辺りはタバコ畑が多かったこと、そしてこの建物はタバコの葉を乾燥させるための工場であることを教えてくれた。
しばらく進むと右手にこんな風景。ひとりなら絶対寄り道必須の場所だった。『竹林の向こうは?』
さらに進むと右手にはお伊勢さん125社のひとつであり皇大神宮摂社 園相神社の社叢が見えた。今の裏通りを歩いているので、お参りすることはできなかった。
道幅はさらに細くなり・・・。
左方向へ進むと視界が開けた。前方には伊勢自動車道が走っている。
【伊勢自動車道 宮川橋〜佐八町公民館】
伊勢自動車道をくぐる際にパチリ。この高架は伊勢自動車道の宮川橋とのことだ。
伊勢自動車道を背にして進むと小さな橋を渡って突き当りを右へ。
この先で県道22号と交差する。左へ折れれば佐八小学校の前へ出るが、この道路も道幅が狭い。今回のウォークでは県道を交差して佐八町の町並みを歩いた。
緩やかな坂道を進むと道幅が徐々に狭まり、ここを左折した。
ほどなく佐八公町民館前に到着。
こちらはかんこ踊りで有名だ。
【参考】
【玉田山 長泉禅寺および周辺】
佐八公町民館の向かいには休憩ポイントとなっている玉田山 長泉禅寺がある。
なお、 佐八町公民館と長泉禅寺の間に鳥居があったので、神社好きな私としては迷わずにくぐった。
その先には小さな社が二宇。
手前の社、こちらには囲いがあり、その前には常夜燈も建っていた。
かんこ踊りが舞われる佐八町公民館前の広場をパチリ。一度は見学したいものだ。
社を後にすると長泉禅寺へ戻った。
本堂の左手には庚申堂、観音堂、薬師堂が建っている。
しばしの休憩を終えると長泉禅寺を後にした。
【佐八町公民館〜川原神社付近】
長泉禅寺の生け垣に沿って道なりに進んだ。道幅はかなり狭い。
こんな場所、
さらにこんな場所を通り過ぎると
この丁字路に突き当たる。ここを左折し、その先を右折した。
すると直進の前方には、こちらもお伊勢さん125社のひとつである皇大神宮摂社 川原神社の社叢が望める。今回のルートには含まれていなかったため、社叢の手前を左へ折れて県道22号へ合流した。
【川原神社付近〜松井孫右衛門の碑】
県道を伊勢方向へ数十m進むと道路の左側へ渡った。
堤防道路へ続く坂道の取り付きで休憩。今回は宮川ウォーク・右岸の最終日であり、事務局が飲み物を準備し、伴走車で運んでくれた。しばしの休憩、氷で冷やされた冷たい飲み物で気力も回復!
看板を気にせずに、坂道を上ると
宮川ウォーク・右岸らしい風景が続く。最終回にしてまさに宮川ウォークの風景だ。
堤防道路は単調だけど、さまざまな話題で盛り上がっていたらもうすでに水管橋の下へ到着。
「この水管橋で宮川を渡りたい!」発言あり。歩けないのだろうか?
また、この場所。イニシャルと囲ったようなテープの跡?。これは宮川の花火大会のために場所取りした跡だそうだ。たしかに障害物が無く花火が見えるいい場所だ。
そして、こちらは国土交通省 河川距離標「宮川河口から8.6km」、つまりゴールまではそれ以上。
前方で説明板に見入っている四名。あれは何だろう?
それは、日本最長の断層である中央構造線に関する説明だった。
ひとりで歩いていると距離を感じる堤防道路も知らぬ間に通り過ぎた印象だった。そしてほどなく松井孫右衛門の碑付近に到着した。
左側へと続く手すり付きの細い道を進むと
【松井孫右衛門の碑付近】
こちらには何度も訪れているので、それらの記録をまとめたのがこちら。
【参考】
松井孫右衛門人柱堤の説明が終わるとついに昼食の時間となる。
堤の脇から河川敷へ下ると
度会橋方向へ進んだ。パチリ。
浅間堤を下ってから振り返ってパチリ。
【松井孫右衛門の碑〜度会橋】
度会橋付近へ到着すると30分ほどの昼食休憩となった。
宮川ウォークなので、川を望みながら昼食をとった。でも、人工物で固められた護岸はいまいちだ。
【宮川堤(度会橋〜桜の渡し(宮川)の説明板)】
昼食を終えると度会橋から宮川橋のたもとにある桜の渡し跡の説明板を目指した。
「日本さくら名所100選」に選定されている宮川堤は、
護岸工事中であり歩くことはできない。
【参考】
河川敷の歩道を進むと
右手に駿河堤、周防堤を確認しながら先へ進むと
【参考】
棒堤へ上がり堤防道路へ出るとすぐ近くにある桜の渡し(宮川)の説明板前へ向かった。
【桜の渡し(宮川)の説明板付近】
説明板の前で桜の渡しの説明を受けたが、(15時半までの山田奉行所記念館に到着するために)時間がなく渡し跡を見学できなかった。
【参考】 桜の渡しの記録はこちら、
【桜の渡し(宮川)の説明板付近〜磯の渡し跡広場】
桜の渡しの説明板を後にするとJR参宮線の架道橋をくぐり堤防道路を下流側へ進み、野球グランドを過ぎた辺り、ここから河川敷へ下った。
坂道を下り道なりに進むと「→磯の渡し跡広場」の案内板に従った。
アスファルト舗装された道を真っ直ぐ進むと
途中で、地道に変わると道幅はどんどん狭まった。
この先で近鉄山田線の高架をくぐる。
頭上を電車が通過して行った。
続いて、豊浜大橋。ここでは飲み物休憩となった。生き返る!
この近くには「国指定重要無形民俗文化財 高向大社 御頭神事」の禊斎の場がある。
【参考】 高向大社の御頭神事、次のリンクの下部には神事全体に関する各リンクがある。
数十m先へ進むと
そこには浅間神社高向冨士講遥拝所があり、
【磯の渡し跡広場付近】
そこから川寄りには次の「磯の渡 由来」の説明板がある。
【磯の渡し跡〜上條の渡し跡】
宮川大橋(国道23号)へ向かい
くぐると
左側、対岸を遠望。あの場所には磯の渡しの碑がある。
ズームでパチリ。
【参考】
そして、さらに河川敷を進んだ。
立派な船着場を過ぎると
ここでもアスファルト舗装路は地道へと変わった。
地道をしばらく歩くとこちらに到着。
この建物は「上條排水ひ管」。それにしても屋根付きで立派だ。
【上條の渡し跡】
この屋根の下には次の説明板が掲げられている。
対岸の船着場は
護岸工事の切れ目がある、この辺りだったそうだ。
【上條の渡し跡〜山田奉行所記念館】
上條排水ひ管を後にするとこの先で堤防道路から離れ、
右側の坂を下った。
途中で右へ曲がると前方にはそれらしい建物が建っている。
途中で左を望むと、御薗町小林、上條で行なわれる大念仏行事で使用する手筒花火を作る御薗手筒花火製造所がある。
【山田奉行所記念館】
ほどなく山田奉行所記念館に到着。
玄関を入ると
お決まりの太鼓を叩いてから鑓の間へ入った。
鑓の間で山田奉行所記念館の説明を受けて一番驚いたことは、『この縮尺1:100の山田奉行所復元模型が、なんと驚くなかれ、製作費は1,000万円也!』だった。伊勢市と合併する前の御薗村には余るほどのお金があったのだろう。
絵図にて周囲を含めた全体観を見てから
再度この復元模型をパチリ。やっぱり勿体無い。もっと安価でできただろうに・・・。
自由見学状態になると白洲の前で休憩する人影が多数。
何を思いながら白洲に望んでいたのだろう?
山田奉行所では興味深い企画展示が年に二回ほど開催されている。来る8月22日(金)から10月8日(水)までは『山田奉行とその文運 – 幕末期の「松杉和歌集」を中心に – 』と題して、山田奉行へ赴任した旗本、御家人および土着役人たちと神宮の神官や御師たちとの交流の足跡、また神都の文化興隆に果たした奉行の実績などが紹介されるそうだ。
【参考】 今までの企画展示で私が見学したものはこちら、
宮川堤防の図(神宮文庫所蔵模写図) 2011年09月11日
企画展「災害と山田奉行」その3(山田奉行所記念館) 2012年08月25日
企画展「懐古 宮川水運」(山田奉行所記念館) 2013年03月20日
夏季特別展「ご遷宮と山田奉行」(山田奉行所記念館) 2013年09月15日
特別企画展「伊勢湾・遠州灘を渡った人たち・船参宮を中心に」(山田奉行所記念館) 2014年02月23日
【山田奉行所記念館〜宮川河口 0.0km】
山田奉行所記念館前で記念写真を撮り終えると再び右岸堤防へ戻った。
ここから宮川と大湊川の合流点までは黙々と・・・。しかし、もう少しで宮川ウォークが終了すると思うと名残惜しい。
参加者は和気藹々と歩きながらも、一歩一歩を踏みしめるように歩いているように思えた。
道幅が変化するとこの先では
かなり広くなっている。宮川堤もこんな感じになるのだろうか?
左手、宮川の中央辺りには樫原新田と呼ばれる小島が見える。
さらに下ると
宮川を離れて右方向へ・・・。
大湊川を挟んで対岸が大湊町である。この先に見えているのはお伊勢さん125社のひとつである豊受大神宮末社 志宝屋神社。
近くに架かっている新しい橋、第二湊橋で大湊川を渡った。
渡り終えると左方向へ。「あれ?」、「そうそう、宮川ウォークだから宮川の脇を歩かねば・・・」
道なりに進むといつも不思議に思っている場所に近づいた。
今回は思い切ってパチリ。
帰宅後に調べると、この橋は御祓橋。
【参考】 詳細はこちらの、 御祓橋(おはらいばし)跡 部分を参照
ここには国土交通省 河川距離標があり、「宮川河口から0.4km」であった。あとトラックを一周すればゴール。目の前だ。
とは言え、こんな説明板には立ち止まって、パチリ。
そして、宮川ウォーク・右岸 ゴール !
ここはまさに宮川河口から0.0km、つまり起点でもあり、終点でもある。
この場所で最後の記念撮影。伴走車を運転してくれた方が登場するのを待つ間、
自由な時を楽しんだ。
大湊海岸をパ〜チリ。
鳥羽方向には
神島、答志島などを望めた。
そして、全員が整列すると最後の記念撮影、パチリ!
改めて 『0.0km』何とも感慨深い。
こちらの河川距離標もパチリ。
あとは駐車場へ戻り、第一区間〜第五区間を踏破した完歩認定書の授与をまつのみ。
駐車場へ向かって歩いていると、左側に富士山が見えたとの情報が舞いこんで来た。
義良親王御乗船地付の説明を受けた後、
義良親王御乗船地付近から坂の下にある弥栄の松を見学。
続いては、鷲ヶ浜の前を過ぎてから
改めて富士山を遠望した。工場の煙突の左側に微かにシルエットが見えていた。
通常はこんな処理はしないのだが、富士山の姿を鮮明化させたくて画像処理に頼ってしまった。パチリ。
最初の集合場所へ戻って来た。
こちらで完歩者の表彰、22名が完歩だった。(私も)
表彰式が終了すると宮川ウォーク・右岸はこれで本当の最後となった。
お疲れ様でした。皆さんまた会いましょう!
完歩の感慨にひたりながら、先ほど見かけた富士山を改めて見ようと大湊海岸へ戻った
ここからパチリ、
ズームでもパチリ! まだ、富士山は見えていた!