2015年01月01日(木) 歳旦祭(外宮) (徒歩)
5年前に興味を抱いてめぐり始めたお伊勢さん125社。125社をめぐると興味の連鎖が始まり神宮の祭儀、市中のお祭など・・・、興味の対象はどんどん拡大してくる。
【参考】
なかでも興味深いのは神宮にて執り行われる祭儀である。ただ、これらはほとんどが式日にて斎行されるため休日のものでないと拝観できない。なお休日に拝観できるお祭だったにもかかわらず未だに拝観したことがなかったのが歳旦祭だった。
歳旦祭は、1月1日、新しい年の初めに皇室の弥栄と五穀豊穣、国家隆昌、国民平安を祈念して執り行われる。
御正宮への初詣を終えてからその周辺で待機していたところ、報鼓が鳴らされた。
斎館を出た参進の列は表参道の第二鳥居をくぐると神札授与所の前を右折して北御門参道へ入る。それは北御門参道の鳥居の手前左手にある忌火屋殿前庭にて修祓を受けるためである。
以前、元始祭を拝観した時は表参道から北御門参道へ折れる様子を見守ったのだが今回はズームでパチリ。
【参考】 なお、元始祭の様子はこちら
- 元始祭(外宮) 2012年01月03日
私が正宮の板垣の東隅付近で待機していると背後で動きがあった。提灯を手にした神職が・・・
そして、さきほど報鼓を鳴らし、太鼓を手にした白丁は御正宮へと向かった。
参進の列が忌火屋殿前庭へ向かってから予想以上に時間が経過した。
約10分後、修祓を終えた参進の列が表参道へ戻ると
神宮衛士に先導され、松明(しょうみょう)による微かな明かりでの参進。
・・・
参進の列が私の前を通過した。
玉砂利を踏む浅沓の音は軽快である。かなりの速度だ。
神饌が納められていると思われる辛櫃が二丁。
参進の列は板垣南御門へと吸い込まれていった。
御正宮の板垣内は撮影禁止なので写真はない。私は参拝停止が解除されると外玉垣に張り付いた。
御正宮での歳旦祭は約30分、庭上祭祀の形式なので寒さが極まるこの時間帯は神職にとってかなり厳しい奉仕となる。外玉垣に張り付いて拝観していた私は今までにない不思議な自分を体感することになった。ある瞬間から私の前面にあるはずの外玉垣を感じなくなった。私自身も神職と同様の庭上にいる錯覚に囚われた。それは自分自身が歳旦祭に奉仕している感覚だった。寒さと眠気、その他にもさまざまな要因があったのかも知れない。それにしてもあの数分間は貴重な体験だった。
その不思議な感覚から現実世界へ引き戻してくれたのは神宮衛士のひと言だった。「そろそろ祭典が終了しますので、右手の方へ移動してください。」 外玉垣南御門の左(西)側にいた拝観者への声掛けだった。
私は板垣の外へ出ると祭典が終了するのを待った。
蕃塀の裏側では松明に点ける火が守られていた。
そろそろ祭典が終了となるとその火に水が掛けられた。
そして板垣南御門の周辺では参拝の規制が開始された。
御正宮での歳旦祭が終了すると外玉垣南御門の御幌が上げられた。
祭典を終えた神職は御正宮を後にした。
この列は別宮方向へ向かい、多賀宮および土宮のふた手に別れる。
別宮への参進となった神職の列は別宮遥拝所の先を右折すると
松明に照らされる微かな明かりのもと
多賀宮および土宮へと向かった。
参拝者は別宮遥拝所付近にてしばし待機となった。
待機(前進の規制)が解除されると別宮への参道を進んだ。しかし、多賀宮および土宮では歳旦祭が斎行されているため、風宮付近から先へ進むことはできなかった。風宮では、土宮での祭典を終えた神職がこちらへ移動して歳旦祭が執り行われるが、それまでは自由に参拝できた。
風宮に参拝する人々の傍らには、
松明の火を守る姿があった。
しばらくすると土宮での歳旦祭を終えた神職が風宮へと移動した。
多くの拝観者が見守るなかで風宮の歳旦祭が開始された。目の前で庭上祭祀を拝観できるとはありがたいことだ。
献饌。
風宮での歳旦祭が進められるなか、多賀宮にて歳旦祭を終えた神職が退下となり、石階を下ってきた。
多賀宮から退下する神職の列と風宮にて歳旦祭を斎行する神職。それを見守る拝観者。
風宮ではその後も歳旦祭が続けられた。
祭儀が終了すると
撤饌となり
風宮での歳旦祭も終了となった。
風宮での歳旦祭を終えた神職も
退下となった。
【 20150101 の記録 】
- 初詣は歳旦祭の拝観を兼ねて外宮および月夜見宮
- 歳旦祭(外宮)