2015年01月17日(土) 芳草神社(南伊勢町方座浦) (車、徒歩)
国道260号を走っていて引き寄せられた地名板「南伊勢町小方竃(おがたがま)」。
南伊勢町 小方竃(おがたがま)
室町時代の書物には「小久田御厨(こくだみくりや)」とあります。「クタ」は「湿地」を意味しています。
「竃」は、塩をつくるときに用いる「かまど」のことです。
ほかにも竃がつく集落がこの地方に六ケ所あります。(以前は南伊勢八か竃といいました。)
この地名板に導かれたはずが、小方竃ではなく「方座浦(ほうざうら)」へたどり着いてしまった。
前方に海が見えたので、車を駐め歩いてみた。すると前方に鳥居が見えた。
躊躇いもなく近づくと
そこには「芳草神社」の社標が建っていた。
芳草神社 – ほうそうじんじゃ –
古くから地域の氏神様として親しまれてきている神社である。湾の入り口東側から突き出た半島の山腹付近にあり、熊野灘を望む景勝地でもある。
【引用】 芳草神社(三重県神社庁教化委員会) より
鳥居をくぐり参道を進むと
参道脇に立つ電柱には
次の識別標が付けられていた。「222」ぞろ目だ。
坂道の参道をさらに進むと次の鳥居が現れる。
鳥居の先にはさらに急な階段が続いている。
階段を登り切ると空がポッカリと抜けている。
さらに鳥居をくぐって先へ進むと正面には拝殿、その左手には社務所が建っている。
拝殿の扁額には
陸軍少尉 中頭道俊 謹書
とあった。
拝殿にてお参り。本殿の御扉には「本殿」と書かれた札が掛けられていた。
また、拝殿には二種類の絵画が奉納されていた。
さらに、「芳草神社御造営寄附者芳名 昭和51年12月11日」。
拝殿を後にすると、
拝殿の左側から本殿を確認した。
続いて、拝殿の右側へ向かうと
石像が立っていた。こちらは陸軍少尉 中頭道俊さんなのだろうか?
この像の奥を望むと階段があり、真っ白なパイプのフェンスが続いていた。この先はどこへ続いているのか?
階段を進むとその先には
備蓄用のコンテナ(?)があり、車道へと通じていた。津波の避難経路なのだろう。
磐座等を期待した私だったが、階段を登る前に真新しいパイプで気付くべきだった。階段を駆け下ると先ほどの石像まで戻った。
さらに鳥居をくぐり返すと
急な階段を下り参道を戻った。その途中で建ち並ぶ屋根をパチリ。
最初の鳥居まで戻るとその向こうに見える松の木に目を奪われた。
その松の木に近づくと
根元には次の立札があった。
アイグロマツ
南伊勢町指定天然記念物
南伊勢町教育委員会
この後、いきなり雨が降り出し雨足が強まった。急いで車に戻るとしばしの雨宿り。なかなか止まないので方座浦での散策を切り上げて車を走らせた。
【 20150117 の記録 】
- 覆屋のみが残された古殿地(瀧原宮、瀧原竝宮)ほか
- やっと訪れることができた並大神社(大紀町崎)
- 南伊勢町営バス 栃木バスのりば付近の祠(南伊勢町栃木竃)
- 芳草神社(南伊勢町方座浦)
- 金網山西方寺(奈津観音堂)付近の散策、西国三十三番札所めぐりほか(南伊勢町河内)
- 史跡 倭姫命腰かけ岩(南伊勢町河内)
- 河内川が流れ込む神前湾で乱舞するカモメ(南伊勢町河内)
- 五ヶ所浅間山の遠望(南伊勢町五ケ所浦)
- 古殿解体中(伊雜宮)
石像の人物は軍服が海軍なので恐らく東郷平八郎元帥。陸軍の軍服と区別くらい出来ないとダメですね。
南勢町職員さん
ご教授、ありがとうございます。