月夜見宮のお稲荷さんの御由緒

2015年01月31日(土) 月夜見宮のお稲荷さんの御由緒 (徒歩)

先日、宇治青年団による寒参り(稲荷講)に参加させていただく前に予備知識を得ておこうと伊勢市史を読んでいたら月夜見宮のお稲荷さんに関する記述を見つけた。(いつもつまみ読みなので、精読の重要性を痛感)

【参考】

 

月夜見宮の宮域にまつられているお稲荷さんについてはかなり前に気づいていた。しかし、神宮の神職に伺っても奉賛会の方に伺ってもその由緒を知ることができなかったのだった。こんな形で知り得るとは・・・。

【参考】

 

月夜見宮の御敷地の左側にある

月夜見宮(豊受大神宮別宮)

月夜見宮(豊受大神宮別宮)

 

小径(参道)を進むと

お稲荷さんの参道(月夜見宮)

お稲荷さんの参道(月夜見宮)

 

その先にはお稲荷さんがまつられている。

月夜見宮のお稲荷さん

月夜見宮のお稲荷さん

 

伊勢市史第8巻-民俗編、第三章 信仰と生活、第三節民間信仰の神仏と諸堂の節(P.522)、神宮新域内の稲荷の項には次のように記されていた。

 外宮の別宮である月夜見宮(宮後一丁目)域内の楠大木の根元にも稲荷として木製小鳥居、石造狐、賽銭箱などもおかれている。これは、太平洋戦争後に、須原大社(一之木一丁目)の氏子区域の商店主有志が中心となり奉賛会を結成しまつるようになったとされ、月夜見宮奉賛会による春秋の大祭(四月・九月の十九日)にも祠前に幟が立てられる。当稲荷奉斎の契機は、山田空襲で焼夷弾が投下されたときこの楠に被害が及んだが、地域の人々はそのおかげで守られ、感謝してまつるようになったと言い伝えられている。

(伊勢市史第8巻-民俗編 p.522より引用)

 

これによるとクスの木が炭化しているのは落雷ではなく焼夷弾により焼かれたことが原因のようだ。戦後からまつられているのだからそれほど古いものではないようだが、神宮の宮域にまつられているお稲荷さん、もっと知りたくなった。

月夜見宮のお稲荷さん

月夜見宮のお稲荷さん

 

お参りすると、鳥居には先週の日付が書かれた寒中御見舞の札が貼られていた。

「河崎吉家講」と

寒中御見舞札(月夜見宮のお稲荷さん)

寒中御見舞札(月夜見宮のお稲荷さん)

 

「本町協友会」

寒中御見舞札(月夜見宮のお稲荷さん)

寒中御見舞札(月夜見宮のお稲荷さん)

 

私も、宇治青年団による寒参り(稲荷講)に参加させていただいてから、お稲荷さんへの興味がかなり高まっている。別宮の御遷宮が終わったら『伊勢のお稲荷さん巡り』を企画してみよう。網羅するとなるとかなりの数になるだろうが・・・。

 

 

【 20150131 の記録 】

 

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