2015年06月07日(日) 宮川流域案内人の会主催行事「清流宮川の支流を歩こう! 一之瀬川界隈散策(度会町)」 (車、徒歩)
宮川流域案内人の会主催行事である「清流宮川の支流を歩こう! 」の四回目である一之瀬川界隈散策(多気町)に参加した。
前回の濁川では峠を二つ越える山歩き状態だったが、今回は一之瀬川に沿ってほぼ平坦で、アスファルト舗装された道を歩く「界隈散策」の言葉が相応しいウォークとなった。(私には少し物足りなかったが・・・)
集合場所である宮リバー度会パーク第2駐車場には30分ほど早く到着したので、宮川の川原で球状の石を探していた。(外宮の古殿地でお気に入りの丸い石を見つけてから、川原や路傍、斜面で丸い石を探してします。ところが、未だに望む形状の石は見つかっていない。)
探しものをしている時間はあっと言う間に・・・。定刻となったので駐車場へ戻ると開始が少し遅れるとのことだった。
定刻を少し過ぎてから挨拶、ストレッチを終えると「清流宮川の支流を歩こう! 一之瀬川界隈散策(度会町)」が開催された。出発! なお、今回のガイドは宮川流域案内人の会の副会長である中野喜吉さん。
内城田大橋で宮川を渡るとその下流側に
宮川とこれから散策する一之瀬川の合流点を確認した。この辺りか?
内城田大橋を渡ると真っ直ぐに起伏を越えて突き当りにある
川口交差点へ到着。
しばらくは一之瀬川に沿って続く県道22号を歩いた。案内板には道方、南中村の文字が見えるが本日はもっと手前からの折り返しとなった。
横断歩道を渡って南中村方向へ進むと西井商店を前を通過。
さらに川口(度会町)の地名板を過ぎて
SANCO 五里山橋 バスのりばの付近から
神宮の御萱場は望めた。
神宮御萱場には度会町が企画するめぐり旅で訪れたことがあったので感慨深い。また、今回火打石、日向地区を案内してくださった橋本丈男さんにはこのめぐり旅でもお世話になっていた。
【参考】
- 伊勢神宮御萱場とふるさと歴史館めぐり旅(度会町) 2014年12月07日
そんな感慨を抱きながら先へ進んだが、
途中で振り返って何ども パチリ、パチリ。
御萱場が見えなくなると前に集中して歩けるようになった。
しばらくは一之瀬川の左岸に沿って続く県道22号の歩道ウォークが続いた。
SANCO 畦地 バスのりば付近を過ぎると
鮎釣りに関する告示。
さらに進むと県道から外れて右側に続く細い道へと入った。(これは旧道か)
細い道をしばらく進むと右手の小高い場所に山神らしき石がまつられていた。集団から遅れないように寄り道はせずに・・・。
立派な石垣の脇を進むと
先ほど離れた県道22号と合流。この辺りで雨が当たり始めた。
度会町栗原 歩道橋を過ぎると
一之瀬川に架かる栗原橋の前を通過。この付近にはSANCO 栗原 バスのりばがある。
栗原橋付近を後にするとトイレ休憩のために度会町ふるさと歴史館(旧小川郷小学校)へと向かった。
長閑だが、立派なお屋敷が建つ風景を羨ましく望みながら進むと
ほどなく度会町ふるさと歴史館入口の交差点に到着。この交差点の左手前にはJA小川郷店、さらに左手奥には度会小川郷郵便局がある。
案内矢印に従って交差点を右折すると
左側のグランドの奥には旧小川郷小学校の校舎が建ち、こちらが度会町ふるさと歴史館となっている。
休憩時間の間に交差点からの突き当りに建つ鳥居をくぐった。こちらは小川郷神社で、何度かお参りしたことがある。
【参考】
- 小川郷神社(度会町中之郷) 2012年12月29日
鳥居をくぐり返して
度会町ふるさと歴史館付近へ戻ると(予定では天祥橋付近の川原にてだったが)天候の不順を理由にこの場所で早めの昼食をとることになった。
昼食後にパチリ。
しばしの昼食休憩を終えるとウォークが再開された。本日の予定歩行距離が15kmで、今まで歩いた距離が約4km。昼食を終えてまだ3分の2程の郷里が残っていた。
歩き始めに伴走車を確認するその下は濡れていなかった。この場に到着してから雨の勢いが強まったのだった。
度会町ふるさと歴史館を後にして、先の交差点を右折するとすぐ近くにSANCO 中之郷 バスのりば。
県道22号をさらに進むと右手奥の方に・・・。なかなかいい雰囲気だ。
あた、趣はことなるもののこの雰囲気もいい!
周囲に気をとられているとSANCO フリー内野 バスのりばを通過。
さらに中之郷(度会町)の地名板も。
なだらかな坂を下るとその先には二本の橋が架かっていた。
進行方向に向かって左側が旧の橋で「古河橋」、
かつては「ふるこばし」と称されていたとのこと。
また、この橋の隣にかかる県道22号の橋は「古川橋」。
所詮名前、されど名前
こうなったのには理由があるのだろう!
橋を渡るとこのバス邸、SANCO 古河橋 バスのりば。この場所からも見えるのだが、
道路の反対側に建つ石碑上のものを確認することができた。しかしながら文字を読むことは至難の業背はなかった。
石碑には不動尊と刻されていると思われる。
この左は急に下りとなっていた。
なんだ、この古い装飾か?
先頭と後尾があまり離れることなく・・・
帰りに対岸からこちらへ渡った日向橋を過ぎてから振り返ってパチリ。
土蔵が目立ったのでパチリ・・・
五ヶ町[ごけちょう](度会町)の地名板(地名板には「Gokecho」と記されているが、地元では「ごかのちょう」と呼んでいることをなかのさんより2015-10-07にご指摘いただいた)を過ぎると
鯉橋を渡ったのだが、新しい橋の左側に旧橋のものと思われる親柱が残されていてた。
鯉橋を渡るとさらに・・・
小川(度会町)の地名板を過ぎた辺りで
道路の反対側にある石垣に興味が・・・
近づくとかなり立派だった。
ここからさらに進むと天祥橋の手前右付近、道路の反対側に石柱を発見。
左端に建つのは「三重県指定天然記念物 火打石 所有者泰道三八」とあり、
その右側の碑の側面には
昭和55年11月吉日
衆議院議員 泰道三八
これらの石碑類を後に、天祥橋を左手に見ながら先へと進んだ。その先とは国道22合から外れた場所にあった
県道22号を離れて細い道へ進むと
県道22号沿いにはバス停を確認できた。
苔むしたブロック積みを後にすると
切り通しを抜けた。その先には
趣のある天祥橋が・・・。
橋上から上流側をパチリ。予定ではこの付近で昼食だった。かなりいい!
ここからはガイド交代で宮川流域案内人でもある橋本丈男さん。先に紹介した「伊勢神宮御萱場とふるさと歴史館めぐり旅(度会町)」でもお世話なった。
「リズムが重要!」との力強い言葉で歩き始めると歩きながらも多数の解説が・・・
ここは火打石の分岐付近。今日は火打石を訪れることはなかった。
この分岐を左へ折れると慈眼寺を目指した。
その途中で
立派な石垣。横輪町にも特に桂林寺には立派な石垣が積まれているが、それを成した石工はこちら火打石の出身とのことだった。
【伊勢市横輪町にある桂林寺の石垣】
【参考】 横輪桜(伊勢市横輪町) 2013年03月31日
この石はお気に入りになってしまった。生命が宿っているような勢いを感じた。
さらに先へと進むと
この先には慈眼寺。
獣害対策のフェンス越しには民家の屋根が望める。
見えてきた見えてきた、あれば慈眼寺だ。
慈眼寺へ到着すると米作り、炭焼きの達人である服部さんからプレゼントが渡された。それは服部さんが焼いた炭だった。
私もたくさんいただいた。(感謝)。服部さんを顔を合わせるとお互いが「どこかでお会いしたような?」の状態だったがどこでお会いしたのか思い出せないでいる。どこでお会いしたのだろう・・・。
炭で黒くなった手は慈眼寺の前を流れる水路で洗い流された。
しばしの休憩を終えると出発。
来た道とは逆の方向、日向多目的集会所を目指した。途中で獅子ヶ岳方向等を遠望。
しばらくはこの水路とともに進んだ。
こちらは十一面観音が納められているお堂。
さらに進むと日向多目的集会所に到着。
この後、周辺を散策しつつ旧庄屋の庭先を見学させていただいてから・・・、その他に立派な石垣など。
そして、火打石、日向地区の散策は終了となり、
橋本さんとはお別れとなった。(ありがとうございました。)
橋本さんと別れると中野さんがガイドにもどり、一之瀬川へと向かった。その先は
先ほど対岸で通り過ごした日向橋だった。
日向橋を渡ると県道22号、来た道を戻った。
SANCO 古河橋 バスのりば、
その先は黙々と歩くと
臨時で昼食をとった度会町ふるさと歴史館(旧小川郷小学校)に到着。
ここには、お伊勢さん125社のひとつである久具都比賣神社周辺で発見された森添遺跡に関する専用の展示室がある。かなり貴重な資料の数々だ。
詳細は先にも紹介した次の記事で紹介しているのでここでは省略。
【参考】
- 伊勢神宮御萱場とふるさと歴史館めぐり旅(度会町) 2014年12月07日
宮川流域案内人の会の会長である巽さんが鋭い質問をしていた。「これらの石にどのように細い穴を開けたの?」 答えは秘密。皆さんも度会町ふるさと歴史館を訪れて質問してください!
度会町ふるさと歴史館を後にすると残りは4kmほど。淡々と歩いていた。SANCO 栗原 バスのりば、
SANCO 畦地 バスのりば、
神宮御萱場が近くに望めるようになり
西井商店があるSANCO 川口 バスのりば付近にて
県道22号を離れると
小高い町並みへ入った。(初めて通る場所だった。)
この途中で記念撮影を終えると後は下るだけ、前方には出発直後に渡った内城田大橋が望めた。
坂道をさらに下ると目の前に内城田大橋が現れた。
内城田大橋を渡り宮リバー度会パーク第2駐車場へ戻ると一之瀬川界隈散策は終了となった。
次回の宮川(支流)ウォーク最終回は7月4日(土)で、横輪川(伊勢市)16km。参加希望の方は次のリンクをご覧ください。では、また、お会いしましょう!
【参考】
「五ケ町」の読みは、「ごけちょう」でなく、正しくは、「ごかのちょう」です。
なかのさん、ご指摘ありがとうございます。地名板のローマ字(Gokecho)を鵜呑みにしてしまいました。訂正しておきます。