2015年11月23日(月) 新嘗祭、箕曲神社(伊勢市小木町) (車、徒歩)
外宮にて斎行された新嘗祭 奉幣の儀の拝観を終えると急いで伊勢市小木町、イオンタウン伊勢ララパークの隣に鎮座する箕曲神社へ向かった。
それは、11月20日の昼休みウォーキングで次の案内を見かけ、箕曲神社でも新嘗祭が斎行されることを思い出したからだった。
外宮にて退下を見送るや急いでやってきたため、箕曲神社での新嘗祭斎行の30分前、9時過ぎには到着することができた。
前面に日の丸が掲げられた鳥居をくぐると
その右手にある手水舎で心身を清めた。本日の柄杓は日常的に置かれているものとはは異なる特別品が準備されていた。(後日訪れた時には日常的に置かれているタイプに変わっていた。)
こちらがいつもの昼休みウォーキングで使用している柄杓。
綺麗に筋目がつけられた参道を進むと
拝殿をくぐり抜けた。本殿は日常からは全く想像できない雰囲気となっていた。御遷座の時を思い出した。
【参考】
本殿に向かって左側に置かれた案の上には多数の玉串、
さらに右側に置かれた辛櫃の中にはすでに神饌が納められていた。その上部には神札の束も、
祭典が開始されるまで境内の隅で待機していた。
定刻になると宮司が最初に手水を受けた。
箕曲神社の宮司は、外宮 勾玉池の辺りに鎮座する茜社の宮司である鈴木瑞穂さんが兼務されている。
宮司、氏子総代、さらには参列者である町民が続いた。
宮司と氏子総代は手水を受けると祓所(拝殿前の鳥居の左側)の前に整列し、
一揖。新嘗祭が開始された。
祓詞の後、
宮司が大麻を手にして本殿の前へ移動した。
神饌を大麻で祓うと御塩に持ち替えて清めた。その後も玉串等が順に祓い清められた。
本殿前を後にして祓所へと戻ると氏子総代が祓い清められた。その後、私も含めた参列者が祓い清められた。(低頭のため写真なし)
すべての修祓を終えると
参進。宮司を先頭に氏子総代は本殿の前へと移動した。その後に続いた参列者は拝殿の下へと移動した。
本殿の前にて氏子総代と宮司が相対した後、
宮司一拝。
続いて開扉、本殿の御扉を開くために御鑰と御匙が鍵筥よりとり出された。
これらを捧待した宮司が本殿への御門をくぐった。
開扉の際は警蹕とともに御扉が「ギッギギー、ギッギギー」と音をたてて開かれた。(開扉の間は私も低頭)
参列者は30名ほどだっただろうか。
本殿の御扉が開かれると
献饌となった。
先ほど見かけた辛櫃から神饌が順番に取り出されると
手渡しにて
本殿前に案に並べられた。(準備の際の打ち合わせで、今回は1〜6の神饌を案の中央に近い場所から右、左を繰り返して外側へと並べると・・・)
献饌を終えると宮司による祝詞奏上となった。(低頭)
祝詞奏上を終えると宮司に玉串が渡され、
玉串奉奠。
宮司が玉串奉奠を終えると本殿前に案が準備された。
まずは、氏子総代による玉串奉奠。
続いては参列していた町民が順に玉串を受け取ると先の案にて奉奠。
多くの町民が
列を作った。
おじいちゃんとお孫さん、
神様を崇敬する心がまずは形から受け継がれていく。
列はどんどん延びていった。
準備された玉串がもう少しでなくなろうとした時、玉串奉奠は終了となった。(素晴らしい予測)
参列者による玉串奉奠も終えると撤饌となった。献饌と逆の順にて神饌が撤っせられた。
撤饌を終えると閉扉。開扉とは逆の手順で御扉が閉じられたはず(低頭していたので・・・)。
御扉が閉じられたので頭を上げると御扉の前では御鑰等を手にする宮司の姿が見えた。
鍵を掛け終えると
御鑰と御匙を捧持して御門を出た。
御鑰等が鍵筥へ戻されると
宮司一拝。私たちも宮司に合わせて拝。
その後、御門の御幌が下げられた。
終了。
この後退下となる前に、神社庁からの永年奉仕(10年)に対する功労表彰者が紹介され、表彰状が授与された。
その後、退下となり箕曲神社の新嘗祭は終了となった。
参列を終えた人々には直会として丸与製パン製のカタパンが手渡された。
参列者は私がいつも昼休みウォーキングで歩いている参道を通り、家路へと向かった。
こちらはイオンタウン伊勢ララパーク脇の参道、歩く人はひとりもいなかった。
帰り際に顔見知りの区長さんに声をかけて頂き、私も直会の品をいただいた。(感謝)
【 20151123 の記録 】
- 新嘗祭 奉幣の儀(外宮)
- 新嘗祭、箕曲神社(伊勢市小木町)