2016年11月23日(祝、水) ブラッチェiseミニツアー 第1回〜勢田川トレイル中流域(河崎〜王中島)編〜 (徒歩)
中京大学の学芸員である千枝大志さんが主催する『ブラッチェiseミニツアー』。古文書や古地図などの史料に基づいて伊勢を正しく深く知ること、さらには博物館と観光のリンク、カフェ等のサロンとの連携などを模索しつつ、何度ものパイロット版を繰り返してきた。そして、ついに正式版の開催となったのだ。(各パイロット版の概要については本記事の最後尾に各記事へのリンクを掲載)
古文書や古地図などの史料を手にした散策は常に発見がありワクワクの連続、ありきたりのツアーにはない面白さ、だから癖になってしまう。また、案内人の千枝さんは上っ面の事実では満足できず常に真実の追求にチカラを注ぐど真面目な人、そんな人柄もブラッチェiseの魅力のひとつである。
参加者がワクワクできるブラッチェise。今 見つけた事が明日には覆されるかも、絵図を読み込むと今までの常識が非常識になったり、複数の史料で新たに真実を見つけたり、フィールドでヒントを得たり、実は千枝さんの内心はハラハラ、ドキドキなのも知れない。
正式版の第一回目は、彼が学生時代から関わり特に思い入れのある伊勢市河崎を中心としたルート設定で、その最後はブラッチェiseの前身のような巡りをともにやっていた知人のお店での昼食だった。
私は早朝から外宮、御塩殿神社へとあちこちを巡っていたら集合場所である河崎蔵に到着したのは集合時刻の8時半。何とか送れずに到着できた。ところが出発は9時だったので、珈琲を飲みながらゆっくりすることができた。
しばらくすると千枝さんからの課題、「この蔵は村田仙右衛門家(通称、角仙)の所有で畳表部が使用していた。そのことを示す証拠が残されていて、その年代を示す文字も・・・」 配付された主要ルートを示す資料は穴埋め式のワークシートになっていた。出発前だというのに、いきなり河崎蔵内でフィールドワークとなった。参加者に顔見知りの方もいれば、全く初めてお会いする方もいたが、ひとつの目的のために一緒に身体を動かすと私は不思議と一体感を感じた。
思い思いにここだ、あそこだ・・・
この柱には「大▲九年・・・」
また、千枝さんが天井を見上げながら指差す先には
こんな棟札が掛けられていた。棟上げの日は見えなかったが、もしかしたら裏側に記されているのかもしれない。
こちらが配付された資料の数々、話を聞きながら探しだすのも大変なほどの資料だった。
そしてこちらが、先に紹介したワークシート形式の主要ルートを示した資料。
主要なルートはこちら。
①河崎蔵(村田家所蔵蔵)、字里中の街並み
②字北里中の待並みと魚問屋
③字八津町の街並みと酒問屋(小川三左衛門家:伊勢河崎商人館)
④寺院(掌善院)跡と堀・墓地跡(村松治郎兵衛家付近)
⑤船江の廃寺Ⅰ 願成寺、船江寺・海蔵庵
⑥船江の廃寺Ⅱ 瑞泉院と芭蕉、大江寺
⑦船江の廃寺Ⅲ 袖石(お袖石)で有名であった金剛寺
⑧船江上社と朧池 「カンロウジ」(「甘露寺」と表記)と言われた地域
⑨船江の墓地
⑩桧尻 別名「舟江川」「甫蔵主川」
⑪河原淵神社の旧鎮座地
⑫今はウェズデーだがもとはトンカツ屋!
定刻の9時となったので、ブラッチェiseミニツアー正式版 第1回のツアー開始となった。まずは資料の説明、
さらに河崎蔵の説明、ここは「加登(角)仙商店畳表部」だっただけあり、畳を積み上げていた名残が各所に残されている。
ついに外へ飛び出して・・・、しかしまだ河崎蔵での説明が続く。
瓦の形状による簡単な年代判断方法の実践。(興味が有る方は次回のブラッチェiseにご参加を!)
さて、どちらが古いだろう?
斜向かいの屋根を眺めると
鬼瓦に波の文様が添えられている。防火の願いを込めているのだろう。
河崎蔵を後にすると中橋通り方向へ向かい、
信号機のある交差点で中橋通りを横断した。
こちらは和具屋さんの店先。
こちらは河邊七種神社参道入口付近。
今日は冷たい風が吹き荒れ、資料もあおられる。
神社の参道を背にするとその先には魚市場があったはず。今はこんな風景だ。
さらに先へ進むと右方向を見上げてパチリ。この瓦には「藤」と「井」の模様が見える。つまり「藤井」家。
「藤井」の瓦を後にすると
こちらは左方向に続く「中之世古」、
河崎本通りを挟んで右方向を望むと勢田川まで続いている。こちらも「中之世古」だろう。
さらに進もうとすると興味深げに覗きこむ姿。
こちらは左手に「うどん屋つたや」、右には「藤村計量器店」。藤村家はかつて魚問屋だったが明治7年に仕事替えして今は・・・。
この十字路を真っ直ぐ行けば次の目的地である伊勢河崎商人館、右方向には
北新橋(勢田川)が架かっている。ちなみにこの橋が最初に架けられたのは安政5年だったそうだ。橋が描かれているか、いないかが古地図の年代判断の一助になる。
橋を右に見ながら進むと右側が
西山家。
左側には伊勢河崎商人館(酒問屋、小川三左衛門家)が建っている。(この建物の左側には大谷石が積まれた塀がある)
そして、伊勢河崎商人館へいざ。千枝さんが本ツアーの募集告知で記していたが
なんと!伊勢河崎商人館では展示担当者の私自ら展示資料などを解説しますが、団体客以外で私が館内案内するのはおそらく8年ぶりですので自分でいうのもなんですが、かなりレアなことです!
とのこと。レアな話を・・・
今回はこちらの看板の下からではなく、
中庭を抜けての・・・。まず、このルートもレアだ。
中庭から向ったのは咄々斎(とつとつさい)の写しとされる茶室。
まずはお点前を。
詳細を書き始めると切りがなくなるし、ネタばらしにもなってしまうので、これからは流しながら・・・。(ぜひ次回のブラッチェiseに参加してみてください。)
つづいては内蔵へ向った。
白鹿の三重県総代理店だったことを偲ばせる品々。
こちらは「蘇民将来子孫家門」の桃符が付けられた注連縄。
また、蔵の二階から望む外の風景がなかなか良い。
二階のこの場所には表面が白い部分がある。大般若経が納められた木箱が取り付けられていたために素木に近い状態になっていたのだろう。何年か前にその箱が取り外されたから白さも薄らいでいる。
インパクトのある鬼瓦。
内蔵資料館を後にすると外に出て、こちらは河崎文庫の看板が掛けられた建物、隠居屋敷だったそうだ。また、この建物の前ではかつてこちらで作っていたエスサイダーの梱包が行われたとか。エスサイダーは白鹿の販路でも売られ一時期は三ツ矢サイダーと争うほどの売れ行きだったそうだ。
こちらの建物は、今は河崎まちなみ館と角吾座。
河崎まちなみ館へ入ると千枝さんや後輩による展示が今も残されている。河崎八ツ町小川屋絵図面や内蔵(文庫蔵)に置かれていた多数の蔵書など。
調査した結果を元に作られた本居系国学者の伊勢国点在マップや小川宗徳(むねなる)学問関係図もありそこには宗徳と本居宣長や足代弘訓との関係性、さらには
この後で立ち寄る掌善院(跡)の住職であった隆善との関係を示す資料も展示されていた。
河崎まちなみ館の二階へ向うと
一階にもあったが二階にも千枝さん個人蔵の資料が展示されていた。
こちらはあらたに整備された山田羽書コーナー。
伊勢河崎商人館を後にすると目に前に建つのは弐の蔵。現在は壱、弐、参と三棟の蔵が建っているが、小川宗徳の時代にはこの弐の蔵一棟のみだったそうだ。
さきほどの北新橋を背にして進むと
こちら、村松治郎兵衛家を背にした向かい、今はマンションになっている辺りに先ほど話題にした掌善院があったそうだ。
次の角を右へ進むと
この縁に河崎環濠の名残が認められる。
さらに奥へと進むと突き当りが以前墓地だった場所で、今は後で向かう船江の墓地へまとめられている。
築地公園付近へ移動すると
公園に沿ってこの場所へ出た。ここから伊勢河崎商人館駐車場方向の遠望。かつてはこの先に天神さんがまつられ、その先には天神浜があったそうだ。今は勢田川が護岸となっているのでその面影を見ることはできない。
伊勢河崎商人館駐車場右手に見る方向へ進むと天神橋、
さらには新紺橋。新紺橋を渡り、次の路地を左へ折れると
浜田公園の近くにである。千枝さんが曰く「伊勢で公園を見たら、寺院跡と思え!」 この辺りは願成寺跡だろう。
さらに進むとこの電柱を背にした向かい側、そこが船江寺・海蔵庵跡(?)
その先で右方向へ進むとその先には
瑞泉院。こちらは跡ではなく現存する。こちらの駐車場には「大江寺」が残されてる。
瑞泉院から細い路地を戻るとこの道を八間道路方向へ。その途中、シャトレーゼの手前には金剛寺跡(?)
八間道路を渡ると
またまた、細い路地を進んだ。
こちらは船江上社で、境内地に隣接して外宮(豊受大神宮)の摂社である河原淵神社が鎮座している。
河原淵神社の旧跡は河原淵社として桧尻川近くにあったと思われる。
その方向へ進むと
こちらの一方通行路(歩行者には関係がないが)の先が「カンロウジ(甘露寺)」と呼ばれた場所。
この路地を抜けた先で再び八間道路と合流。このバス停付近に
船江墓地がある。
こちらが小川家の墓所で、
こちらが村井家の墓所。こちらの奥には五輪塔が刻された墓石が立っている。
これはかなり古いものらしい。
船江の墓地を後にすると桧尻橋で桧尻川を渡った。
右手方向を望むとその先には朝熊山が見える。
ぎゅーとら ハイジー店の前、信号のある交差点を左へ進むと近くに河原淵社跡(実際には民家があるので、名残もないし場所は特定できない)がある。今回は予定より一時間近く押していたため、こちらへのルートはカットとなった。
そして、最終目的地がこちらCAFFE WEDNESDAY。
約3時間半、皆さんお疲れ様でした。
知人と神社談義をしたり、食事をいただいたり、ゆったりとした時を過ごして
ブラッチェiseミニツアー正式版 第1回〜勢田川トレイル中流域(河崎〜王中島)編〜は終了となった。
「千枝さん、参加者の皆さん、お疲れ様でした。ありがとうございました。また、お会いしましょう!」
【参考】
- ブラッチェiseミニツアー パイロット版(宮川堤〜筋向橋) 2016年06月19日
- ブラッチェiseミニツアー パイロット版 勢田川トレイル〜中流域編〜 1日目 2016年06月25日
- ブラッチェiseミニツアー パイロット版 勢田川トレイル〜中流域編〜 2日目 2016年06月26日
- 「古文書の会」のフィールドワーク、ブラッチェise ミニツアー パイロット版 宮後〜河崎1丁目(副題:伊勢山田廃寺編) 2016年07月10日
- ブラッチェise ミニツアー パイロット版〜修験者達の参宮ルートPart1 付 中近世都市山田Market 上座編〜 2016年08月06日
- ブラッチェise ミニツアー パイロット版〜中近世都市山田Market 下座編〜 2016年08月07日
- 国際色豊かでアットホームな 伊勢ゲストハウス紬舎[Tsumugiya](伊勢市河崎) 2016年08月27日
- 千枝大志さんとの出会いはお伊勢さん125社と古本屋ぽらん 奥村薫さんのおかげ! 2016年08月27日
昔、酒の二次卸問屋(問屋と小売店の中間的な存在)を営んでいた
父親のつかいで、川元商店さんへ行ったいったときに
西山さんから「あんたらみたいな酒の二次問屋みたいなとこは
つぶしたるでな」と言われたことが今でも頭の隅に残っています。
父親の営んでいた酒卸店はいまも伊勢の別の場所で営業をしていますが!!
たかっちさん
そんなことを言われたらずっと残るでしょうね。
驚きですが、よほど脅威に感じていたんでしょう。