2016年12月25日(日) 史跡 唐仁古墳群および石造遺物ほかの散策(鹿児島県肝属郡東串良町) (鹿児島にて徒歩)
義母の一周忌法要を終えてからしばらくすると天気に誘われて外に出た。行き先は以前から気になっていた史跡 唐仁古墳群。第1号墳である大塚神社を訪れたことはあるのだが、ここは古墳群である。予備知識なしで野生の感覚だけで古墳群を巡ろうと無謀な行動に出た。
朝にも渡った柏原橋を渡ると直進した。(朝は橋を渡って道なりに右折方向へ進んだが)
直進で道なりに進むとその先で農道と分岐しているので、右側の農道を直進した。この辺りは圃場整備により大きな区画となり農道は真っ直ぐに延びている。
農道を突き当たるとその前には小さな溝が流れていて左方向に古墳っぽい杜があった。(後で分かったのだが、こちらは第123号墳だった。)しかし、この小溝を渡る場所がなかったので後から巡ろうとまずは小溝に沿って左方向へ進んだ。
最初に農道と分岐した道路を横切るとさらに小溝に沿って進んだ。
すると墓地の脇に第126号墳を見つけた。ここには倒れた(?)石柱もあった。
続いては近くの畑の中央にも発見。
ここは、第124号墳。
第124号墳の近くも古墳だと聞いたが、その杜には草が生い茂りその中へ進むことができなかった。その杜を後にすると、畑で草を集めている女性が・・・、話を聞くとこちら牧草とのこと。
野生の感覚で周囲をさらに散策すると唐仁樋管付近でそれっぽい雰囲気の場所を見つけた。
ところがこちらが古墳ではなく水神さんだった。
肝属川の堤防へ上るとここは
唐仁樋管。
上流方向にさらに樋管を見つけたのでそこへ向かう途中で牛舎を見かけた。
「おい、見つけるなよ!」 どっちの言葉?
牛舎を後にしてたどり着いたのは
唐仁第2樋管だった。
唐仁第2樋管付近の土手を下ると近くにキジを見かけた。以前に玉城町で見かけてから久しぶりに野生のキジを見た。
キジと別れると生花が華やかな唐仁墓地へと向った。その途中にも牛舎を見かけた。実はこの場所は重要な場所だった。(後述)
生花が供えられて華やかな唐仁墓地を後にすると
突き当たりの丁字路でこちらを見かけた。これがなんなのか不思議に思い、近くを歩いていた男性に声を掛けた。「この石は以前から置かれているが謂われ等は不明」とのことだったが、私が石造遺物等に興味が有ることを知り、先ほどの唐仁墓地へと案内してくださった。
唐仁墓地まで戻ると先ほど見かけた牛舎方向を指さし「昔はこの辺りにお寺があった」と教えてくれた。
さらに、唐仁墓地には地域の各所から墓石等の石造遺物がこの場所に集められていた。
また、その近くにはひっそりと
唐仁墓地入口の六地蔵が佇んでいた。
こちらだ。
先ほどとは別のルートで唐仁墓地を後にするとこんな所に仁王像が立っていた。先ほど話に出たお寺の参道だったのだろうか?
これらの仁王像はどこかで見たような・・・
仁王像を後にすると突き当りを右へ折れた。路傍の地蔵(?)を確認して先へ進むと
以前も訪れたことがある唐仁公民館にたどり着いた。
この辻には田の神(たのかんさぁ)が祭られている。
唐仁公民館の前の道を北方向へ進むと突き当りは大塚神社、こちらは唐仁古墳群の第1号墳でもある。そのためだろう、大塚神社の参道入口には
史跡唐仁古墳群の説明板が設置されている。
そこには、「唐仁古墳群 墳丘地形測量全体図」が添えられ、各墳の位置が記されていた。主要な古墳を確認し、この後で巡ることにした。
唐仁古墳群の第1号墳でもある大塚神社については別の記録で紹介することとする。大塚神社にお参りを済ませると先へ進んだ。
さらに北方向へ進むと民家の隣に第106号墳を見かけた。
余談だが、この地域にはこのような石積みの塀が多用されている。
牧草を運ぶ車とすれ違うと
その先、右手に第16号墳、薬師堂塚。
第16号墳、薬師堂塚は大塚原公民館の隣にある。
この近くには第100号墳、役所塚。
この周囲にも古墳が点在している。
こちらは第17号墳。
駅伝の第5中継所前を通ると
こんな所に
史蹟 唐仁古墳群の石柱が建っていた。
「ここは大塚原」の地名版を右に見ながらこちらへ進むと
子猫が迎えてくれた。
こちらを進むとその先にあるのは
第123号墳で、ここは最初に見かけた古墳だった。
第123号墳を後にすると畑の中に石の小祠を見かけた。
唐仁古墳群から権現山を遠望してから帰路についた。
その後、朝と同様に弁天橋から塩入川とその先に聳える権現山を眺めた。