2017年04月22日(土) 岩谷池を後にすると立梅用水生みの親、西村彦左衛門為秋翁像のもとへ(多気郡多気町丹生) (車、徒歩)
ふれあいの館を出発し、エンゲの切り通し付近からその終端である岩谷池まで立梅用水を歩くと本日の目的は達成された。
【参考】
- 立梅用水、丹生大師付近から岩谷池まで(多気郡多気町丹生) 2017年04月22日
この後は車を駐めてあるふれあいの館まで戻るだけなのだが、ただ単純に戻るのはおもしろくない。少しだけで立梅用水をたどったのでその生みの親である西村彦左衛門為秋翁に挨拶しておこうとその生家を目指して丹生の町をウロウロした。
岩谷池を背にして道なりに進むとこちらの橋にたどり着いた。この下には
八王子川が流れているが田んぼのある地域ではどこも同じだろう、田植えの時期になると川は泥水のように濁っている。
橋を渡ってから振り返ると先ほどまで畔に立っていた岩谷池方向を遠望し、立梅用水のルートを思い出していた。
我に返り歩き出そうとするとこんな看板が目に飛び込んできた。「アトリエ」階段を上るといきなり犬に吠えられてしまった。どうやらこの場所は写真好学研究所の同期生である坂口さんのところのアトリエのようだったが、犬に吠えられたことと突然にたどり着いたことで今回は階段を引き返した。場所はわかったので次回に機会を作ってお邪魔しよう。
しばらく八王子川に沿うと
左方向に坂道。坂を上るのが好きなのでそちらへ。
一本立ちの木が多い。
この途中で車から声を掛けられた。それはなんと、出発時にマップを購入したふれあいの館で対応してくれた女性だった。特徴的な頭に見覚えがあったのだろう。「マップを買われた方ですよね。ずっと歩いていたんですか?」
私は一瞬戸惑ったが、状況が理解できると「はい。エンゲの切り通しから立梅用水をたどって岩(ヶ)谷池(この時は「いわげだにいけ」と思っていた。)まで歩いてました。これからもぶらぶらと・・・」。その女性は「ド田舎でしょ。」私は「こんな場所は大好きです。」そして、分かれた。
こんな形で声を掛けていただけるなんでありがたい。
気持ちがホッとしながらパチリ。
まっすぐに進めば丹生大師方向だったので、ここを右へ折れた。
坂道を下って上る。
突き当りを左へ折れるとその近くにはお寺があったので
山門へ向かうと寺号標には丹生山 西導寺と刻されていた。お参りはここで済ませたが、ここには立梅用水の発起人である西村彦左衛門為秋翁の碑があることを後で知った。
その代わり(?)、目に入った鬼瓦は見学していた。
その側面には「元禄七」の文字を確認できた。
それだけの時を重ねているんだ。この顔がそれを物語っている。
この看板を横目で見ながら
進んだ先はこちらで、さらにまっすぐ進んだ。
各家には昔の屋号などが掲げられている。こちらは旅館だった(?)。
この先、道標を見つけると左に折れる。そこには西村彦左衛門為秋翁生家があり、今は小公園、カフェ フルサトヤ、さらにその奥には「立梅用水 津田 土地改良区合同事務所」「(多面的機能支払交付金制度)多気町勢和地域資源保全・活用協議会事務局」が置かれている。ちなみにこちらに掲げられている屋号の看板には「酒造 古里屋」と記されていた。
生家の左に設置された門をくぐるとその先は小公園となっていて
左手にこの説明書があり、
正面には西村彦左衛門為秋翁像が建っている。ご挨拶できた。
この様子はまるでクラーク博士だ。
銅像の脇を奥へ進むと彦左衛門産湯の井戸のほか
こんなスペースが確保され、こちらの建物に各事務所が置かれている。
おまつりされているのは水神さん。
こちらを訪れると数年前のことを思い出した。
【参考】
- 大師の里(丹生)の散策 2011年06月25日
西村彦左衛門為秋翁生家を後にすると丹生山 神宮寺(丹生大師)の山門を目指したが
その手前に立って左方向を眺めると淡い桃色がモコモコとしていた。
思わずトコトコと近づいてしまった。
パチリ。
こちらもパチリ。
丹生山 神宮寺(丹生大師)へ戻ったが帰宅の予定時刻が迫っていたので、今日のところは丹生大師にも丹生神社にもお参りせずに
こちらの池を眺めるだけで済ませておいた。
ふれあいの館へ戻ると帰途に・・・。