2017年04月29日(土) 立梅用水、歴代の井堰(取水堰)跡巡り(松阪市飯南町) (車、徒歩)
立梅用水を完歩するために全線を次区間に分けて歩くことにした。
- 櫛田川の井堰(取水堰)〜元丈の館付近 (済)
- 元丈の館付近〜勢和中学校・小学校付近
- 勢和中学校・小学校付近〜古江隧道入口
- 古江隧道入口〜エンゲの切り通し
- エンゲの切り通し〜岩谷池 (済)
(オプションとして、歴代の井堰跡めぐり)
立梅用水、元丈の館付近から四代目井堰(取水堰)まで(多気郡多気町〜松阪市飯南町) にて 1.を終えてから近くにあるリバーサイド茶倉を訪れると
この銘板が取り付けられた建物の近く で
立梅用水に詳しい方とお会いし歴代の井堰について教えて頂けた。折角の機会なのでそれらの跡を求めてここから上流方向へ足を伸ばすことにした。
四代目である現在の井堰の近くには次の案内板が立っている。「立梅用水 三代目井堰跡地」
矢印に従って上流方向へ進むとリバーサイド茶倉の敷地の外れに次の案内板。
草むらを避けて幅の狭いコンクリート(ブロック積みの天端)の上を進むと竹やぶに辿り着き
その中にも案内板がある。これが無いとなかなか気付けないだろう。案内板の先へ進むと
川岸の近くにはそれらしい跡が残されていた。さらに川面へ視線を移すと
こんな跡を確認することができる。
三代目井堰跡を目にすることができ気を良くした私はさらに上流方向にあったとされる二代目を目指した。川岸を歩くことはできなかったので、茶業伝承館の近くから茶畑内の道をくねくねと進む
この前に出た。さまざまな神様などがまつられていた。
お参りを終えてから広い道路へ出ると桑瀬橋へ向った。
こちらが櫛田川に架かる桑瀬橋で、その上流側に二代目の井堰があったそうだ。
今はその痕跡を探すことはできないそうだが、川の中央には流れを分ける岩床が居座っている。
この岩に制御された流れを井堰へと導いていたのだろうか? 井堰の面影は???
二代目を後にしてさらに上流側(この案内版で 国道368号方向)へ進もうとすると
橋の袂にはこんな説明板があった。なんとここは中央構造線だった。するとあの岩床が!
桑瀬橋を後にするとさらに上流方向へ800mほど遡った。
その目的の橋がこちら、
桜橋。
初代の井堰は、桜橋から約150m下流側にあったそうだ。
来た道を戻るとその付近で川へと下る道を見かけた。
その先へ進むとそれらしい場所を見つけた。この辺りだったのだろうか? 初代の井堰は。
リバーサイド茶倉へ戻りながら振り返ってパチリ。1823年(文政6年)の立梅用水完成を想像した。