2017年06月10日(土) 旧友との30年ぶりの再会、思いつきでの内宮ご案内 (徒歩、バス)
本ブログでこんなオープニングが今まであっただろうか?
一緒に写っているのは宝野達哉、高校時代の旧友である。彼は陶芸家で、今から30年前に彼が陶芸家としての道を歩み始めた時に会ったきりだった。その時は私はダットラで茨城県笠間市を訪れ、大谷石の地下採掘場跡でのコンサートに行ったりと楽しい時を過ごした。その後、彼は陶芸家の道を邁進するも交通事故に遭い、完治した頃には東日本大震災で自主避難を余儀なくされたりと大変な人生を送ってきたそうだ。紆余曲折を経て今はなんとか栃木県宇都宮市に落ち着いている。目的意識が高く、日常の大変さも楽しさに変えられる素晴らしい人だ。彼は苦労しながらも陶芸の道を諦めず、さまざまな人たちと出会ってきた。いい人悪い人、そんな話も興味深い。一度会っただけでも一生心に残る方の話などすべてが感動モノだった。
【参考】
30年間の時間が一瞬に縮まり、昨日のことであったかのように・・・。それだからだろうか、お店のランチタイムも瞬く間にラストオーダーとなっていた。(まぁ、それなりに飲みましたが・・・)
さて、これからどうするか?
彼は夕方まで時間があり、内宮にお参りしたいとのことだったので同行することにした。
伊勢市駅前のバスのりばへ向かうと
2分ほど遅れていた内宮前行のバスに飛び乗ることができた。バスに乗って内宮へ向かうのはもしかして初めてかも? 私にとって伊勢でバスに乗るのは珍しいことだ。こんな機会でもなければもうないことだろう。
車窓の風景を楽しみながら外宮前、伊勢市役所前・・・
皇學館大学前を過ぎ、倭姫前。さらにバスは走る・・・
神都バス、ピカチュウには乗れなかったが楽しいバスの旅を終えると宇治橋前に到着した。(伊勢市駅〜内宮前で430円とはバス代高いね。)
宇治橋を渡ると
まずは神苑に囲まれた参道を進んだ。
時間に余裕があったので、(交通事故の後遺症?で微妙に辛くなることがあるようで)彼の調子を気にしながら内宮の各所を巡ることにした。なるべく一般の参拝者が気にしていないところを紹介しつつ。
こちらが第一鳥居。手前に手水舎があるが、彼の希望で手水は御手洗場にて。鳥居をくぐると参道を離れ右手方向へ向った。
「御清めの際は足元に御注意下さい」と書かれた立札があった。誰か五十鈴川に落ちたのだろうか?
この注意に従い、足元に注意しながら手水を受け心身を清めた。
続いて訪れたのは、五十鈴川を守護する水の神で、天照大御神に来訪を取り次いでくれる「お取り次ぎさん」とも呼ばれる瀧祭神。
瀧祭神を後にすると脇の参道から第二鳥居の前に出てこちらをくぐった。
神楽殿の前を過ぎると手かざししている人が多い石について、四至神(みやのめぐりのかみ)と呼ばれる石神さんで内宮の境界を守っていると説明。彼は納得していた。パワースポットに興味はないようだ。(私も)
さらに参道を進むと御正宮の石階下に建つ蕃塀の裏に注目。立派な建物の奥になる石座。重要な祭典の時に執り行われる由貴大御饌(神饌等をお供えする儀式)の際、この場所で鰒が調理される。その時、あの石座には天照大神の食事を受け持つ神(御食津神)である外宮の神様、豊受大御神が降臨するそうだと。
【参考】
十二月月次祭(内宮)由貴夕大御饌の儀 2012 2012年12月16日
御贄調舎を背にして石階を進むと御正宮、石階の脇には石神 屋乃波比伎神がまつられているそうだが私も拝見したことがない。鳥居をくぐると外玉垣南御門の右脇にてお参り。左右の参道は開放されていなかったので石階を下って戻ると、別宮遙拝所へ進んだ。その途中で軽く籾種石について説明。
【参考】
- もうひとつの籾種石を求めて(内宮) 2017年01月05日
続いては別宮遙拝所前から第一別宮 荒祭宮の参道へ進んだ。大杉に抱きついている人たちを横目に見ながらその先、左側に建つ御稲御倉にてお参り。こちらには神宮神田で収穫された稲が保管され、祭典の前に取り出される。(御稲奉下)
また、形状は唯一神明造と言われる御正宮と同様の構造であると。なお、この先に建つ外幣殿には神様がまつられていないので、おお参りしなくてもいいよ。(別にお参りしても悪くはないが・・・。私は自分自身も含めすべてのモノに神が宿っていると思っているので)
そして、荒祭宮への石階を下った。そうそう、その前に階段を背にした御正宮の板垣の中には石神、興玉神と宮比神がまつられていることを説明。
階段を下ると多数の参拝者が列をなしていた。御正宮では天照大御神の和魂をおまつりし、こちらの別宮 荒祭宮では荒魂がまつられている。正宮ではお願いをせず、感謝と御礼を、その代わり(?)にこちらではお願いを・・・。
と説明したら長蛇の列に納得していた。ただし、彼は(私と同じく)お願いに執着はないようで、列の脇をするするすると
先へ進むと速やかにお参りを済ませた。
荒祭宮を後にすると内宮遙拝ポイントにて遙拝。こんなものもパチリ。
そして、御酒殿、由貴御倉にてお参り。お参りしている所がお伊勢さん125社であることを説明しつつ。
【参考】
- 御酒殿祭 2010年10月01日
次は先に参道から説明しておいた四至神に手かざしではなく、お参り(二拝二拍手一拝)。
神札授与所の前から風日祈宮へ向かうと風日祈宮橋を渡った。
その際に「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戌午本願観阿弥 敬白」と刻されている擬宝珠も。
元寇の際に神風を引き起こして守ったことにより外宮の風宮と共に摂社から別宮へと昇格した風日祈宮にお参り。
お参りを終えると番舎の脇からこの方向を遠望。この先におさぶ稲荷とこさぶ稲荷がまつられていて宇治青年団による寒参りで巡拝したことを説明。(サクラの木もあるそうだが私は見たことがないので説明せず)
【参考】
- 宇治青年団による寒参り2017 2017年01月21日
風日祈宮橋を渡り返し、帰り道の参道へ進むと
外御厩前の火除橋へと水を流す御池にてしばしの休憩となった。ひといき、ひといき。
十分な休憩を終えると外御厩の右脇をすり抜けると
参集殿の脇をまっずぐに進んだ。これから向かう大山祗神社・子安神社への近道だ。
衛士が常駐している見張所の先を右へ曲がるとこの立札がある。矢印の方向へ進めばいいが
その左手には神宮の活動を司っている神宮司廳がある。こちらの紅葉もキレイだと付け加えた。
横道から戻ると花の形の手水石を紹介。子安神社のご祭神がコノハナサクヤヒメだからだろうか?
手水石脇の鳥居をくぐると奥に大山祗神社で
手前側が子安神社。
両社を後にすると宇治橋まで戻ると
宇治橋のビューポイントにてパチリ。このあと宇治橋を渡り始めたのだが途中で引き返すと
衛士見張所脇からこちらの参道へ出た。この先には内宮神馬休養所がある。
ここまで来ると目の前に神馬休養所なのだが、もう1か所体験しておいてほしい所があったので体調を確認するとなんとかOKだった。右側の坂を折り返した付近に
宇治岳道へと続く交差点がある。この小高い丘の上にて神宮式年遷宮の諸祭儀の始まりである山口祭が斎行されるそうなので。ぜひとも案内しておきたかった。
側溝に載せられた一枚岩の先、落ち葉で埋め尽くされた斜面を進むと
左側には磐座のような多数の大岩があり、その先は広い平らな空間となっている。
祭場にてしばし佇んでから下界へもどった。祭場は何とも別空間のような場所だ。
神馬休養所の方へ戻ると
神馬休養所の脇を進んだ。木々の間から馬の足あとが望めた。
内宮神馬休養所を確認すると神馬の姿は見えなかったが、気配を感じた。
以上で内宮巡りを終えると新橋で五十鈴川を渡った。橋から見下ろすと川の辺りには多数のカップルが適度な間隔で座っていた。まるで京都の鴨川の風景だった。
かなり時間を掛けてのめぐりだったので、彼の要望に従って赤福氷を食べることになった。実は私はこの甘さが苦手なのだがこのお茶が絶妙にマッチしていた。お茶のおかげで感触、いや完食。待ち時間も含めかなりの休憩となった。普段の私なら信じられないペースでの活動だ。こんなのもいいかも知れない。ひとりじゃできないが・・・
こんなお店に立ち寄ったりしつつ
神宮会館前からバスの乗ろうと思ったら信号待ちで、目の間をバスが通り過ぎていった。
次のバスまで時間があったので、神宮会館前バスのりばから猿田彦神社前バスのりばまで歩いた。(この歩きのおかげでバス代は伊勢市駅まで300円となったのだった。)
雑談している間にバスが到着すると名残りおしさを感じながらバスに乗り込んだ。
御幸道路を走り、宇治山田駅に停車すると
あっという間に伊勢市駅に到着した。
この半日で30年間の隔たりが一気に無くなってしまった。
また、いつか! と固い握手を交わすと宝野と別れた。元気で!