2017年07月15日(土) 割石に会うために暑さに負けず巡った二見町からの鹿海町・・楠部町、中村町・・ (徒歩)
先週に鳥羽へ向かう際、JR参宮線が五十鈴川を渡る車窓から一瞬だけ目にした割石(われいし)。いつかは訪れたいと思っていながらなかなか訪れることができずにいた。このチラ見は「行け!」との啓示なのだろうか?
【参考】 初めての菅島(鳥羽市)へ 2017年07月08日
今週はとにかく、割石に対面することを優先してルートを考えた。ただし、割石だけではモッタイない、欲張りな私はそろそろ採鹹作業が開始される御塩浜、さらには伊勢古文書同好会のテキストである宮川夜話草に出てきた俵楠を求めて市内を巡ることにした。
その結果、御薗町を出発すると
下野町→竹ケ鼻町→田尻町→通町(一色町との境界も)→二見町→通町→鹿海町→朝熊町→一宇田町→楠部町→中村町→楠部町→神田久志本町→神久→河崎→船江
を巡り、御薗町へ戻ってきた。かなり暑い日だったがとても有意義な一日となった。
自宅周辺から
まずはお伊勢さん125社である河原神社(豊受大神宮 摂社)にお参り。
しまむら御薗店付近から東方向へ進むと神社警察官駐在所の先を左へ。近くにこの道標が建っている。緑色のラインに沿って先へ進むと途中で道幅は極端に狭くなる。突き当りを右へ進むと
竹ヶ鼻公民館への入口付近にはレンガで作られて祠が建っている。左側の祠は庚申さんで青面金剛像などがまつられているが、
右側の祠は・・・、この辺りでは珍しく役小角が!
これらの祠を背にするように路地を進むと船倉樋門付近に出る。水路に沿って進むと国道23号に突き当たる。
国道の側道を歩き、途中で急な坂道を登ると勢田川に架かる勢田川橋の歩道となる。前方左手に見えるのが栄通神社の社叢だ。
橋を渡ると左側に階段が続いているので、そこを駆け下ると栄通神社に立ち寄った。
拝殿にてお参りしようとするとこの蚊取り線香が目につき魅入ってしまった。どんな香りが漂うのだろうか?
栄通神社にてお参りを終えるとその前を流れる水路に沿って五十鈴川方向へ進んだ。途中で振り返るとパチリ。
水路脇の道を突き進むと田んぼの中の堤に突き当たる。詳細は・・・
【参考】
- 中堤から一色町への散策(伊勢市通町、一色町) 2013年02月23日
中堤を左方向へ進めば一色町へでるが、ここで右方向へ。くねくねと続く中堤を進むとこの木標にたどり着く。
ここから国道42号の緩やかな坂道を・・・
この先には五十鈴川が流れ、汐合大橋が架かっている。なお、上流側には後で渡った汐合橋が架かっている。
橋を渡ると東詰の交差点を左へ折れた。この先には御塩浜がある。
毎年、夏の土用の頃には五十鈴川の海水から濃度の高い塩水をつくる採鹹作業が執り行われる。もう少しだ。(御塩浜および採鹹作業の予定については別の記事で紹介する。)
御塩浜の近くには津波緊急避難所が建設されているので、その階段の入口まで近づいてその大きさを体感してきた。とにかく大きい。
御塩浜を後にすると続いては本日の第一の目的である割石へ向かった。五十鈴川の右岸、来た道を折り返すと汐合大橋東詰の交差点で国道42号を横断するとさらに上流方向へ向かった。この先で御塩道へ入ると
【参考】
- 今年は早々に御塩道ウォーク2017 2017年06月17日
御塩道を逆行して神宮御園の前にたどり着いた。神宮御園の生け垣に沿って細い道を進むと
道なり(途中で直角に右折)に進むと左方向にJR参宮線の西行谷架道橋が望める。この架道橋をくぐればその先に割石があるはずだ。ここまで来ると先日の御園祭拝観後を思い出した。
【参考】
- 御園祭拝観後の神宮御園周辺プチ探検(?) 2017年03月20日
架道橋をくぐると振り返ってパチリ。視線の先には神宮御園のビニールハウスが望める。
(割石については別の記事で詳細することとし、ここからは先へ進もう。)
割石から戻ると西行谷架道橋をくぐり返した先を左へ進んだ。しばらくすると左方向に五十鈴川、さらには先週に車窓から割石を望んだ汐合川橋梁が見える。
駐車場(裏手)から境内へ進むと二見神社(姫宮稲荷神社)にもお参り。
(ここでも発見があったのでそれは別の記事にて)
今まで通ったことのないルートで五十鈴川沿いを進んだが、草刈りされていたので何とか進めたのかもしれない。(感謝)
車に注意しながら汐合橋を渡ると
西詰に建つ道標をチェック。約一ヶ月前に御塩道を歩いた時と同様に今でも草で囲まれていた。
道標を後にすると次の目的地である中村町を目指すために五十鈴川の上流方向へ進んだ。その前に五十鈴川の左岸から割石を遠望しようと・・・。
道路は右方向へ折れ曲がっている。左方向にはJR参宮線。堤防道路を歩きたいが線路を越えられるのか?水路は線路をくぐっているようだが・・・
行ってみないとわからない。とにかくアスファルト舗装路を離れると地道の堤防道路を進んだ。しかし、その突き当りは線路で立入禁止。迂回できるルートは皆無だったので仕方なく来た道を引き返した。
解体中のホテルの前を通り過ぎると
踏切にたどり着く。
こちらの踏切の名前はなぜか、「内宮踏切」だ。
踏切を渡るとその先はしばらく直線道路が続いている。
左方向を望めば、先ほど裾野を歩いた対岸の小山が見える。対岸の割石を望むために堤防道路へ出たいが適当な農道がない。
結局、直線道路が直角に折れるこの場所にたどり着いた。ここには近畿自然歩道の道標があり、なぜかその上にこんな案内板は・・・。間違って直進する車が多いのだろうか? 私は五十鈴川の堤防を目指すためにあえてここを進んだ。
その先には鹿海排水機場があり扉が開かれていたので、堤防道路へ出ることができた。しかし、堤防道路は草だらけで前方へ進むことははばかられた。堤防道路を歩くことを諦めると
先ほどの道標を通り過ぎると、ザックに潜ませていたおにぎりを頬張りながらまっすぐに続く道を歩いた。
見慣れた場所にたどり着くと加努弥神社(皇大神宮末社)にお参りするために右折。
加努弥神社の前には豊かな田んぼが広がる。
加努弥神社でのお参りを終えると堀割橋で五十鈴川を渡り、その右岸の堤防道路を進んだ。途中でこんなものを見つけたので振り返ってのパチリ。このサビ具合からすれば・・・
コンクリート製の階段を下るとその先に鎮座する鏡宮神社(皇大神宮末社)にお参り。その背面、五十鈴川と朝熊川が合流する付近にまつられている虎石には水面が迫っていた。
朝熊川に架かる歩道橋を進むと
続いて朝熊神社、朝熊御前神社の順にお参りした。
いつ訪れても落ち着いた場所だ。今日は誰にも会わなかった。(まぁ、暑いからこんな日に歩いている人はいないか・・・)
歩道橋を渡り返すと朝熊川の左岸を進んだ。途中まで草が刈られていたが数十mは・・・。そこを抜けると伊勢二見鳥羽ラインの下をこのトンネルで通過した。
このさきで朝熊川と別れると
水路へ組み込まれる用水に惹かれてしまった。近づいてのパチリ
赤福本社の先を右へ曲がると神宮神田へ続く道を急いだ。空からはパラッ、パラッと雨粒が、しかし行く方向の空には雲はない。どこからか流されて来たのだろう。
矢田川に架かる矢田橋を越えた頃、雨はその気配を消していた。
ほどなくたどり着いたのが神宮神田。今年は御田植初を拝観できなかったので、
この風景を目にするのは初めてか。
四郷地区コミュニティセンターの掲示板には企画展が案内されていたのでセンターへ向かったが、土曜日は休館日だった。(残念)
気をとり直すと神宮神田の近くに鎮座する地元の神社、櫲樟尾神社、さらには
その隣の社地に鎮座するお伊勢さん125社にもお参りした。
こちらの社叢には二宇の殿舎が建ち
手前には大土御祖神社(皇大神宮摂社)、宇治乃奴鬼神社(同末社)を同座。さらにその奥には国津御祖神社(同摂社)、葦立弖神社(同末社)を同座となっている。
社叢を後にすると五十鈴橋で五十鈴川を渡った。渡り切ってから
振り返るとパチリ。
橋を後にすると民家の間の細い路地へ進み、くねくねと進んだ先が近鉄鳥羽線の高架下。ここからイオン伊勢店方向を望むと小さな杜が見える。この場所は先に訪れた宇治乃奴鬼神社の旧社地とされ、この周辺が皇女森と呼ばれている。
近鉄鳥羽線の高架をくぐるとその先、右方向にこんな道が続いているここは楠部町と中村町の境界になっていて、その先には
こんな池がある。現在伊勢古文書同好会で勉強している宮川夜話草には多数の池が登場するが、これもそのうちのひとつなのだろうか?
この後は先に紹介した俵楠および薗田将監屋敷跡を探すためにウロウロ。以前から気になっていた場所を訪れたところ
そこには旱魃の碑が立てられていた。
外には誰もいないし、話を聞くこともできない。半ばあきらめ気分でまずは月讀宮にお参り。
続いて鳥居付近にまつられている葭原神社にもお参り。
御側橋を眺め、宇治山田神社にお参りしてから帰ろうと決意すると(結果的には喜ばしい急展開となったのだが)上田神社を背にして
中村歩道橋を渡った。
中村歩道橋から宇治山田神社が鎮座する興玉の森を遠望。
宇治山田神社を社叢に突き当たると左方向へ進んだ。こんな暑い中、珍しくひとりの男性が水撒きをしていたので、声をかけてみた。年齢は50才ほどのかただったが、「薗田将監」や「米粒が湧きでた大楠」については心当たりがないとのことだった。「やはり、無理だろうか?」と思いながら御側橋へ向かった。
御側橋は架け替えられる予定だが、前回に訪れた時から工事は進んでいないようだった。
御側橋から興玉の森を遠望すると「宇治山田神社にお参りして帰ろう!」と決意しながら小道へ進んだ。(ところが、そこで喜ばしい急展開となった。この話は別の記事で紹介する。)
素晴らしい展開を受け、嬉々としながら宇治山田神社にお参りした。
宇治山田神社を後にすると、先に出会った男性がいた場所を再訪した。するとその男性に再開できたので、目的を達成できそうなことを説明し、別れた。
(その男性に説明した薗田将監屋敷跡と大楠社跡については別の記事で紹介)
大楠社跡と思われる場所を後にすると二見鳥羽道に建つ道標を確認してから中村町を後にした。
その後は御幸道路へ入り、
倭姫前交差点を過ぎると
御師葉山大夫門をチラ見しながら帰路を急いだ。
河崎には河崎町天王祭の横断幕。
河邊七種神社および吉家稲荷神社に立ち寄るとその後は駆け歩いた。