2017年08月14日(月) 待望の大日山(度会町)さらには(玉城町)的山から積良へ[大日山〜的山ルートは大荒れ] (車、徒歩)
午前9時、度会町役場前に集合。今日は単独行ではなく珍しいグループ山行となった。
それは先日、河崎蔵で井阪さんとばったり出会ったことに始まる。
【参考】
- 河崎ぶらりでさまざまな出会い・・・ 2017年08月06日
行き先は大日山から的山を経由して国束山までを縦走するルート。これは井阪さんが宮川流域案内人による山歩き企画として温めているもので、本日の主な目的は、地図とコンパスを頼りに現在不明確な大日山から的山(的山南峰)までのルートを確認することだった。(独りで歩くには不安があり同行者を探していた)
大日山には登ってみたいと思っていた私は同行の誘いに二つ返事で「行きます」と返した。その理由はこちらの記事に隠されている。
【参考】
ただ、今回の山行では主目的は達成できたもの時間の関係で国束山へは登らずに途中で積良へ下山した。しかしながら私にとってはそれも幸いしたのだった。その件については別の記事で紹介する。
ここでは今回歩いたルートを記録として留めておこう。
牧戸ふるさと農道の大日山登山口 → 大日山々頂 → 的山南峰 → 的山・的山公園 → 積良への分岐(的山〜国束山) → 積良 → 幸神池 (ここからはタクシーで駐車中の車まで)
今回の山行メンバーは私を誘ってくれた井阪さんとその仲間の髙階さん、そして私の3名だった。さきにも述べたように主な目的は井阪さんが宮川流域案内人行事として計画している山歩きルートで不明確な部分を踏破することだった。
度会町役場に集合すると2台の車を国束寺入口付近にある駐車スペースへ置き、残りの一台で牧戸ふるさと農道の大日山登山口近くへ移動した。十分に駐車できる路肩に車を駐めるとここから歩き出した。
右側に見えるのが大日山、これからの登る山だった。
さらに登山口へ歩くと左前方には縦走の目的地と設定していた国束山が見えていた。(今日はスタートが遅かったので、途中でエスケイプすることになったが、2時間早く出れば十分に巡れるだろう。)
こちらが登山口、わかりやすい案内板が設置されている。これは最近設置されたものだろうか(Google Mapで確認したところこの場所に案内板はなく、ヒガンバナが咲いていた)。
こんな風景を背にしながら山(参)道を歩き始めた。
山頂までは十町で一町毎にこのような案内板があった。
二町と三町の間には「子宝水」と記された案内板があった。
こんなわかり易い案内板があるだけに山道は整備され歩きやすい。
井阪さんは宮川流域案内人による山歩き企画のために関係役場や山の持ち主等多くの方と調子を進めているとのことだった。山道を庇う枝が気になると整備に余念がなかった。
山道に落ちている枝を払ったりしながら歩いているとこの案内板にたどり着いた。登り始めから900m。ここは分岐となっていて
棚橋池からのルートは600mとなっていた。
ここでは大日山方向へ登り続けると
九町に到着。あと一町で山頂だ。
ほどなく、登りはじめてから約40分で山頂に到着した。ここが待望の大日山だった。(しかし、この後で的山までのルートを探していたら、先のリンクで紹介した「2m程の穴」を探すのを忘れていた。残念)
山頂であることを示す印が多数、まずは十町の案内板。
イセAOKIさんによる山頂標。さらには国土地理院による「三等三角点 牧戸」の木標が打たれていたが、もう一本は横たえられていた。コンクリート製では無いのか?
先ほどの鳥居に脇には常夜燈があり、鳥居の先には祠がまつられていた。
中にはよだれかけを掛けられた石仏。周囲にも多数のよだれかけが供えられていた。
その祠の河原には文字通り「大日」と陽刻されていた。
さらに空を見上げると数本の幹には竹が結えられていた。その先には弊が付けられていたのか?浅間信仰だろう。となると大日山は浅間山でもあるのか?
井阪さんは河邊七種神社の禰宜職でもありとても気になったのだろう。鳥居の笠木の左右の相違が・・・。
大日山の頂上でしばしの休憩を終えるとここからが本日の重要な行動となった。この先は井阪さんが役場から調達してくれた5000分の1地図とコンパスを頼りに進むことになる。ただ、ラッキーなことにこれから歩くルートは基本的には稜線で北進している。基本的には北へ向かって稜線を進めば良いのだった。(しかしそんな簡単ではなかった。)
まずは、踏み跡がないのかと山頂付近の北面を探していたら急な斜面へと垂らされたようなケーブルを見つけた。所々はトラロープになっていた。
山頂から行き方を示すため一度鳥居付近まで戻った。常夜燈と左に見える小さな五輪塔の間、ちょうど三等三角点の杭方向へ進み、さらにその先へ向かうと
こんな雰囲気となり
左側に手作りの道標が残されていた。[(左)牧戸、的山(右)]
この矢印に従うとその先は急な斜面となっているが、黒色のロープやこのようなトラロープで進路が示され、所々にテープを見つけることができた。先ほどの地図を照らしてもこのルートで問題はないだろう。
油断すると滑り落ちそうになる斜面を注意深く下った。
見上げるとこんな感じ。カメラを水平にすればどうなることやら。
急な斜面を下ると少し平は場所となった。この先はどうも左へ巻くようだ。古いテープを見つけた。確かに踏まれている。
歩きやすいルートをさらに進むと
再び急な斜面となった。まさに地図の通りだ。
こんな斜面をなんとか下りきると
その先はイバラが行く手を阻んでいた。
ここは左にしか迂回できない様子だったのでこの木の下をくぐると
滑り落ちるようにしながら
鞍部にたどり着いた。振り返るとパチリ。
これで予定ルートに戻ったようだ。
倒木に注意しながら先へ進むと
振り返ってパチリ。
的山から歩いて来た人向けの手作り道標が掲げられていた。[左 岩坂峠、↑大日山、右 平生]とあり、的山〜大日山のルート上に立っていた。
さらに進むとこんな道標も。[大日山←→的山]
またまたここにも、
[左 岩坂峠、↓公エン、大日山 右]となっていて、的山ではなく「公エン」と記されていた。このルートを歩く人が公園を意識しているのか疑問は残ったが、これが的山を指すことは明らかなのでありがたい。
膝下ぐらいの丈の笹薮を漕いだりはしたものの何とか的山南峰にたどり着いた。ただ、南峰の直前は踏み跡もなく立木が空いている場所を探しながら突き進んだ。その場所から井阪さんが出てきたところをパチリ。
的山南峰に立つと大日山が迫ってくる。これだけの距離なのだがかなり大変だった。「低山あなどるなかれ」だ。
こちらがイセAOKIさんにより山頂標。
この後は木々の間をすり抜けるように快適に進むとこんな立派な道標にたどり着いた。的山まであと102m。もう一町もない。
これはどこから? 岩坂からの距離か? そんなことを考えながら
道なりに進むと
緑の世界から急に視界が開け
的山・的山公園に到着した。大日山から的山南峰へのルートは予想以上に荒れていた。
ここにもイセAOKIさんの・・
予想外の荒れたルートに疲れを感じ、一時間ほどの昼休憩となった。
私はこの場所には何度か訪れたことがある。いつ訪れても伊勢湾が一望できる素晴らしい場所だ。
十分な休憩を終え、的山公園の東屋を出発したのは午後1時を過ぎていた。髙階さんは夕方に予定があり海山まで帰らなくてはならないとのこと。ここから国束山まで縦走することは諦め、途中の積良分岐でエスケイプすることになった。
的山から国束山方向へのルートを進むとこんな案内が、どこから十町なんだろう。
さらに進むと今度は三町の案内。これが的山からの距離だろう。
続いては鴨神社への分岐にたどり着いた。以前このルートを歩いた記憶が蘇った。その時は鴨神社の定の立札から右方向へ進み、左下に殿舎を眺めながら坂道を登った。そして水平路へたどり着き。その分岐を左へ折れると的山公園に到着した。懐かしい。
木漏れ日を浴びながら六町
八町、
十町と進みます。
こんなのに驚きながらも・・・!
そして、的山公園からゆっくり歩いて25分ほどで積良への分岐に到着した。左へ進めば国束山、
右へ下れば積良だ。
今回はエスケイプするために積良へ下った。砕けた石がガラガラしていて
歩きにくい。
これは何?
しばらくこのような状態での下りが続き
石が大きくなってきた。
そして足元には苔むした岩が・・・。岩盤なのだろうか。沢のように水が流れる箇所も通り過ぎると
獣害防止用フェンスの入口にたどり着いた。これで下界だ。
予定外の積良への下山となったが、悪いことばかりではない。
以前から訪れたいと思っていた乳の宮の入口が目の前にあった。なんてことだろう。
私が扉を開けると皆でお参りすることになった。その内容は別の記事で紹介する。
伊勢自動車道の下をくぐると右手には皇大神宮 末社である津布良神社の社叢が望めたが、時間が無いので今日は立ち寄らずにタクシーを呼ぶためにアスピア玉城へ向かうことにした。途中でこんな掲示板を発見。カメムシの捕獲数を記録するもの。なんだこれ!
津布良神社の社叢を遠望しながら
こちらへ向かった。
交通量の少ない田んぼ道を進むと
幸神池と幸神社の社叢が近づいてきた。
幸神池の近くにある株式会社バンスイにてタクシー会社の電話番号を尋ねるとタクシーを呼び、車が止めてある度会町へ戻った。
国束山までは縦走できなかったが、エスケイプしたことにより乳の宮にお参りすることができたし、井阪さんが望んでいた大日山から的山までのルートを踏破できたのが最大の収穫、充実した一日となった。