2017年09月02日(土) 抜穂祭(神宮神田)2017 +α (車、徒歩)
今年の神田下種祭は4月4日(火)で平日のため、また神田御田植初は神御衣奉織鎮謝祭を拝観していたため、ともに拝観することはできなかった。せめて、抜穂祭だけでもと思い、神宮神田を訪れた。
【参考】
- 神御衣奉織鎮謝祭の日(神服織機殿神社、神麻続機殿神社) 2017年05月13日
抜穂祭について
10月の神嘗祭をはじめ、諸祭典にお供えする御料米の初穂を抜き奉るお祭りです。忌鎌で稲を刈り、その穂を一本ずつ抜いて束ね、内宮は御稲御倉に、外宮は忌火屋殿内に奉納し祭典前にお下げします。4月の神田下種祭と共に神嘗祭に付属するお祭りです。
伊勢神宮のホームページより引用
祭典の次第等については昨年の記録に詳しく記したので、今回は概要を写真で綴るとともに抜穂祭に関連した三つのトピックを紹介する。
伊勢市楠部町に位置する神宮神田を訪れたのは午前9時半頃、祭典の開始は午前10時だった。
いつもは閉ざされている黒木鳥居の入口へ進むと
大きな新しい榊。
鳥居をくぐると右手には普段は神宮神田への立ち入りを制限している横板が置かれていた。
さらに鳥居の左手には多数の木製杭が横たえられていた。注連縄を張るためのものだろうか。
神田の管理棟付近には多数の奉仕者が参進に向けて準備を進めている様子だった。
9時45分を過ぎた頃に参進が開始された。(祭場にて定刻となるように)
就任後二度目の祭典奉仕となる小松大宮司を先頭の参列する神職、さらには楠部町の神宮神田御田植祭保存会の方々が続いた。
一行が祭場前のテントに着座した。
さらには参進経路にある祓所にて修祓を終えた抜穂祭の奉仕者(神職、作長、作丁ほか)が
辛櫃を先頭に・・・
なお、一般の拝観者は、神田御田植初と比べれはかなり少なかった。
祭典は献饌、祝詞奏上、八度拝、撤饌と滞りなく進められた。
神職の前に用意された二本の忌鎌が作長に手渡されると作長は作丁ほかを引き連れて神田の中央へ向かった。刈り穫られた稲から時間を掛けて稲穂が引き拔かれると二つに束ねられ折敷に乗せられた。
作長に捧持された折敷は祭場に配置された黒木の案へと運ばれた。
そして、その案は辛櫃へと納められると祭典は終了した。
退下の列は直会の会場であるテントまで長〜く続いた。
以上で抜穂祭は終了したがここで3つのトピック。
- 映画「むすひ」を制作している佐伯悦子さん
- 京都から日帰りで神宮神田をを訪れた女性と伊勢神宮 永遠の聖地の著者 千種清美さん
- 神宮のFacebookに掲載されていた抜穂写真の撮影
【映画「むすひ」を制作している佐伯悦子さん】
抜穂祭が終了してから神宮神田の稲穂に魅入っていた女性がひとり。可愛い後ろ姿だったのでパチリ。(事後承諾で)
彼女は佐伯悦子さん、映画「むすひ」を制作している。いつもなら報道陣のひとりとして撮影しているはずだが、映画編集の山場を迎えている忙しいなか今日は一般人として抜穂祭を拝観していたのだった。
可憐な姿から想像できないほどのパワフルウーマンだ。その映画「むすひ」予告編(佐伯悦子さん制作)がYouTubeで公開されている。
彼女がなぜにこの映画の制作を始めたのか、今どうしているのか、彼女のFacebookより引用すると
故郷が東北大震災にあった後、今後、自分は何をしていくべきなのか問いただし始めたのが、映画「むすひ」の制作でした。
日本の文化と精神性を日本に、世界に伝えたいと思い、伊勢神宮の御神事に、4年間、密着撮影させていただきました。
また、青森県、岩手県、静岡県、三重県、滋賀県、石川県、島根県、熊本県、鹿児島県、長崎県など、皆様が見たことのない日本中の祭を一人で撮影させて頂きました・・・
現在制作中の映画「むすひ」。
この映画を見たら、大宇宙への感謝が溢れざるをえなくなるよう、毎日編集がんばり中です。
編集作業に非常に時間がかかっており、当初の予定より時間が押しておりますが、丁寧に丁寧に想いを込めて作っていきたいと思っております。
皆様、どうぞ、あたたかい応援よろしくお願い申し上げます。
【京都から日帰りで神宮神田をを訪れた女性と伊勢神宮 永遠の聖地の著者 千種清美さん】
抜穂祭が終了し祭場の片付けが始まった頃、ひとりの女性と出会った。食に興味があり個人で調べているなか、ぜひとも神宮の抜穂祭を拝観しなくてはと京都から日帰りで訪れていた。いろいろと話していると彼女はバッグから一冊の本を取り出した。それは「伊勢神宮 永遠の聖地 (著 千種清美)」だった。
なんと、この本の著者である千種清美さんは報道陣のひとりとして目の前にいらっしゃるではないか。そのことを京都の女性に話すといたって感動していた。これは引き合わるしかない。
私は失礼を承知で、千種さんに声をかけると無理やり二人を引きあわせてしまった。(千種さん、失礼しました。またありがとうございました。)
【神宮のFacebookに掲載されていた抜穂写真の撮影】
続いて、祭典を終えた神職が神宮司廳のマイクロバスで神宮神田を後にする頃、
視線の先にて何かが起こっていた。神宮のFacebookには「頭を垂れた稲穂を背景に折敷に乗せられ二束の抜穂が黒木の案の上に・・・」こんなイメージの写真が掲載されている。
昨年も今年もそんな写真を撮影する間もなく、辛櫃に納められた抜穂は退下をともにしていた。
ところが知人の話によると抜穂祭が終了してから改めてそのような場面を撮影する時間が確保されるとのこと。昔は一般人でも撮影できたが、今は管理が厳しいから許可を得た報道陣しか・・・だろうと。
しばらくすると抜穂の束を乗せた折敷がこちらへと戻され、報道陣による撮影(会)が開始された。私はその光景を眺めながら、例の写真の制作現場を確認していた。
やっぱり、お祭りはそのものだけでなく準備や片付けまで含めて拝観するのが楽しい。
抜穂祭に加え素晴らしいことの多い時間だった。
一時帰宅すると古民家Hibicoreへと向かった。