2014年06月07日(土) 寂れた合格神社(伊勢市宇治今在家町) (徒歩)
先に紹介したお伊勢さん125社である饗土橋姫神社の左隣にこの社標「合格神社」があり、谷筋へと参道が続いている。この場所は同じくお伊勢さん125社である大水神社と饗土橋姫神社に挟まれた場所である。
大水神社と饗土橋姫神社に挟まれた参道、いかにもを神宮の神社と思えてしまう。
以前、お伊勢さん125社を巡り始めた頃に訪れたことがあるのだがブログの記事にはしていなかった。
今回、現状調査のために参道を進んだ。その先には・・・・。
何と、手水舎の屋根が倒れている。寂れた雰囲気が周囲を覆っていた。
しかし、眼前に迫るしめ縄の紙垂は新しい。アンバランスな感覚に囚われた。
意を決して石階を上ると
本殿の周辺も・・・。
本殿に正対すると銅像がある。そして御扉の前には
日本酒の一升瓶と小瓶(二本)が置かれていた。
この銅像には「尾崎咢堂翁」と刻されていた。
社殿の左手には次の記念碑があった。
建立記念碑
世界平和と民主主義の実現に一生を捧げた尾崎行雄(咢堂翁)は明治・大正・昭和の三代に亘り我國の政治に貢献した唯一人の名誉國会議員であり又東京都名誉都民第一号でもあります。
この合格神社は”憲法の神”ともいわれた翁の著書”人生の本舞台は常に将来にあり”の教本を御神体とすると共に、伊勢神宮の末社をもお祭した社です。
御祭神「咢堂翁」の志と人格を未来永劫の永きに亘って讃えると共に翁を人間育成の努力目標とし、その成就を祈願する為この碑を建て後世に語り伝えるものです。
昭和五十九年十二月
合格神社
【参考】
- 尾崎行雄 – Wikipedia 1858年12月24日〜1954年(昭和29年)10月6日
合格神社は「尾崎咢堂」を御祭神として建てられた神社なので、没後からこの碑が建立された日までの間、つまり、少なくとも30年〜60前には存在していたはずだ。
いつからこんなに寂れてしまったのだろう。見た目はまだ新しい絵馬が掛けられていた。この絵馬を掛けた時はどんな雰囲気だったのだろうか?
絵馬掛けを後にすると石階を下った。
その後は来た参道をゆっくりと戻った。
【 20140607 の記録 】
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遷御に向けて御造営が進められる倭姫宮、ほか
遷御に向けて御造営が進められる月讀宮
牛谷坂、宇治惣門跡ほか(古市街道)
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忌火屋殿の煙を抜く構造
お伊勢さん125社、饗土橋姫神社ほか
寂れた合格神社(伊勢市宇治今在家町)
第62回神宮式年遷宮 お白石持行事の名残ではなく、今後のために(伊勢市桜木町)
伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館