2014年06月29日(日) 阿射加神社(松阪市大阿坂町) (車、徒歩)
白米城とも呼ばれる阿坂城跡(桝形山、阿坂山) で紹介したように、阿坂山(阿坂城跡)から下ると登り口にある浄眼寺にお参りした後、この地域に祭られている阿射加神社(あざかじんじゃ)へ向かった。阿射加神社と言えども同名の神社は松阪市大阿坂町、松阪市小阿坂町の二ヶ所にある。
まず、最初に向かったのは浄眼寺からほど近い松阪市大阿坂町に祭られている阿射加神社。松阪I.C.方向へ戻ると大阿坂バスのりば付近の十字路を右折するとこの風景。阿坂山へ向かう途中でちょこっと寄り道した場所(参道)だ。
左手には「白米城址」の道標、右手には「阿射加神社」の社標。
まっすぐ進むと左側を流れる水路がいい雰囲気だったので、社叢とともにパチリ。
水路に沿ってさらに進むと
左手に小さな橋が架かっている。その両側にはかなり劣化した親柱らしきものが建っていた。コンクリート製の橋になる前をイメージさせてくれる素材感だった。
そして、社叢へ・・・。
階段を進むと鳥居の手前、左手には「延喜式 阿射加神社 由緒」の説明板がある。
この説明板を読みながら書き写していたら
延喜式 阿射加神社由緒
神明造 村社 阿射加神社 従三位主祭神 猿田毘古大神
松阪市大阿坂町
境内 四町三反八畝十五歩
山岳 四町一反六畝十五歩
参道 二五○メートル由緒
第十一代垂仁天皇十八年四月、皇女倭姫宮が天照大神の神霊を祀る地を探し求める途中阿佐賀の地を訪れ荒ぶる神伊豆速布留大神を大若子命をもちて鎮めさせ阿佐賀山の嶺枡形地に社殿を造り種々の幣物をもたらし祭ったのがこの神社と言われる(神道書、倭姫世紀)阿射加神社は平安朝時代から社格の上からも朝廷から破格の崇敬を受け、八三五(承和二)年従五位下、八五○(嘉祥三)年従五位上、八五五(斉衡二)年従四位下、八五八(貞観元)年従四位上、八六六(貞観八)年従三位を伊勢国阿耶賀神に授け奉ると昇叙の記が見られ第六十代醍醐天皇延長五(八九○)年延喜式内大社の格に編入され延喜式神名帳に伊勢国阿射加神社三座並名神大なり二八五座の内となる猿田毘古神座阿耶詞 ・・・
途中で読めない文字が・・・。ネットで調べたら分かるかもと早速調べたところ『玄松子』さんのサイトがヒット。このサイトは素晴らしい(全国を網羅している?)。私は書写の手を止めて社の説明はこちらにお願いすることとした。(感謝)
鳥居の手前右側には「禁殺生」石が祭られていた。
正面には「禁殺生」、左側には「享保甲辰」、
そして右側には「阿射加神社」と刻されている。
「禁殺生」石についてある方から質問を受けたが返答できなかったので簡単にまとめておくと
『嬉野史 通史編』付章 第三節 嬉野の石造文化財 の五『「禁殺生」石碑と紀州藩寺社施策』には「禁殺生」石に関する調査結果が報告されている。要約するとこんな感じです。「南紀徳川藩史」によると紀州藩第六代藩主宗直の治世、享保八年(1723)には地元の神社に境内膀示の点検や殺生禁断の指示があり (理由は?)、紀州藩領にある主要な神社に対して「禁殺生」の制札ないし石碑を建てさせる旨の指示があったと思われる。三重県内の紀州藩領においても同様 の寺社施策が行き渡ったのではないか。なお三重県内にある「禁殺生」石の建立年は享保癸卯(1723)、享保甲辰(1724)、享保丙午(1726)の三 種類である。
参照文献もあり詳細を把握するためには今後もなかなか時間が掛かりそうだし、現地調査しようとすると県内だけでも調査対象となる神社は50社を越える。いつか自分なりの結果をブログにまとめたい。
最初の鳥居に向かうと
目の前に賽銭箱が置かれていた。参道が250mもあるため、氏子への配慮だろう。
極端な例だが、新宮市にある神倉神社を思い出した。
鳥居をくぐるとすぐ右手には境内社が祭られていた。
階段を上り、
鳥居をくぐると
左手にはしめ縄が張られた二本の御神木。
さらに奥深くへと・・・
さらに鳥居をくぐると
この先には
石製の橋が架かっていた。
足元に注意しながら苔むした橋を渡るとやっと現れたのが割拝殿。
階段を上ると割拝殿の手前左側には手水舎がある。
割拝殿を通り抜けるとその先には広い空間・・・。
平成二十一年に式年遷宮が斎行されたことを確認してから
阿坂神社へ向かった。どこまでの行けそうな雰囲気だが、石階下に賽銭箱があるのだから
参拝者はここまでだろう。
お参りを終えると阿射加神社の右手に祭られている境内社にもお参り。
石階の上に祭られているこの石はいい雰囲気だ。
振り返ってパチリ。
割拝殿の左方向へ進むとそこには宮池が広がっていた。
パ〜チリ。
割拝殿へ戻って来るとそこには一輪車が置かれていた。その名前(小さな)大と神社。これは大阿坂町の「大」を示しているのだろうか?
割拝殿を抜けると参道を戻った。
御神木を見上げ、お参り。
「御神木」と書かれた札は倒れてしまっていた。
参道入口まで戻ると阿射加神社を後にした。
阿射加神社の周囲には田んぼが広がり、民家が・・・。
この後は松阪市小阿坂町にある阿射加神社へ向かった。
【 20140629AM の記録 】
- 白米城とも呼ばれる阿坂城跡(桝形山、阿坂山)
- 狛犬に出会えたお寺、浄眼寺(松阪市大阿坂町)
- 阿射加神社(松阪市大阿坂町)
- 阿射加神社(松阪市小阿坂町)