2014年08月31日(日) 月夜見宮と外宮(豊受大神宮)北御門を結ぶ神路通り (徒歩)
外宮(豊受大神宮)の別宮である月夜見宮を後にするとその前方には外宮の北御門とを結ぶ神路通りが真っ直ぐに伸びている。
月夜見宮の近くに「→500m伊勢市駅」の道標があり、その脇には「神路通りの歴史」の説明板がある。
神路通りの歴史
外宮の北御門から、月夜見宮へ行く間の宮後(みやじり)町のこの道を小字神路といい、通称「神路(かみぢ)通り」といいます。昔は並木があり、中央を避けて通ったといわれ、今でも中央を歩かない風習があります。また、家並みの不浄所の戸も道の方へは開けず、不吉な行列もこの道を通らないとされています。「日本の神話」河出書房新社では、この神路通りを次のように解説しています。
「・・・(中略)・・・高河原神社(月夜見宮)と豊受大神宮とを結ぶ一直線の広い道路がある。その道は、神の通い道であると考える気持ちが山田の人々の間には古くからある。・・・(中略)・・・外宮の裏参道の入口と、別宮の月夜見宮(外宮の祗[摂]社の高河原神社)とを結ぶ幅広い直線の道路がある。この道は月夜見宮の神の月夜見尊(つきよみのみこと)が夜な夜な外宮へ通い給う、神の通い路であった。つまり御幸道であった。月夜見宮の入口の正面に石垣があるが、夜になるとその石垣の石の一つが白馬と化して入口にたたずんでいる。白馬は頭を社殿の方へ向けて、神が乗られるのを待っているのだ。夜そこを通りかかった人はその馬を目撃することがあるという、神の乗った白い馬が路を通るとき、それにぶつからないように市民は恐れつつしんで、夜はこの路を通らないのだ。どうしても用があって通らねばならぬ時は、神の馬にふれないように路の端を通るのである。」
この神路通りは、このように神が通る路として昔から神聖なものとして考えられ、昔の人々の生活の作法にも影響していたといえます。
引用:「伊勢信仰と民族」神宮司庁刊、「日本の神話」河出書房新社
この説明文を読んだら、伊勢市在住の和紙人形作家 阿部夫美子さんが『白馬伝説』を再現した作品を思い出した。それは、今年の「おひなさまめぐりin二見」で賓日館に展示されていた。
【参考】
- おひなさまめぐりin二見(2014) 2014年03月08日
そして、こちらが実際の神路通りである。
路の中央は黒っぽいブロックで区分されている。
白馬を感じながら歩くと
途中にはこんなモノも・・・。
この通りでは、時にはこんなイベントも開催される。
【参考】