2014年12月13日(土) 旧殿舎が解体された佐美長神社 (車、徒歩)
伊雜宮を後にすると志摩市歴史民俗資料館で開催される歴史講座に参加する前に伊雜宮の所管社である佐美長神社に立ち寄った。こちらも伊雜宮と同様に遷御のために設置されていた雨儀廊(テント)が取り外されてから初めてのお参りとなった。
【参考】
- 御造営が進められる佐美長神社(伊雜宮 所管社) 2014年09月13日
- 御造営を終えた佐美長神社、造替を終えた佐美長御前神社四社 2014年11月22日
- 昨日に遷御を終えた佐美長神社(伊雜宮 所管社)ほか 2014年11月29日
神々しく輝く
鳥居をくぐると
急な石階を登った。
・・・
石階を登り切ると前方には空間が広がるはずが、右手には視界を邪魔するものが・・・、何だろう?
これらは切り揃えられた旧殿舎の御垣だった。
また、参道の左手には足場の部材とネコが置かれていた。
参道を先へ進むとたしかに遷御を終えた旧殿舎は姿を消していた。
そして、参道の右手には解体された多数の用材が積み上げられていた。
まずはお参り。
そして、パ〜チリ。旧殿舎が並立する光景は前回の訪問時が見納めだったのだ。
御敷地の向かい側もパ〜チリ。
続いては、佐美長御前神社四社にお参り。
以前ならこれで佐美長神社と佐美長御前神社四社を一枚に撮すことができたのだが、
今はパノラマを使わないと全体を撮すことはできなくなってしまった。
旧となってしまった御敷地(古殿地)に注目すると、そこには
社殿の下に置かれていた???が残されていた。これは後鎮祭で納められる榊囲なのだろうか?
【参考】 ここには後鎮祭の様子を紹介している
また、美長御前神社四社の前面には小型バックホウが置かれていた。
前方には○に司の文字、さらに側面には「貳號」と記されていた。
おそらく「神宮司庁の2号機」。2があるのなら1もあるのだろう。それにしてもこの重機はどのようにしてこの場所へ運び込まれただろう?あの急な石階を自力で上って来たのだろうか? お昼休み中だったようで誰にも尋ねることができず???のままとなっている。
重機の前には解体された用材が並べられていた。(あとで志摩市歴史民俗資料館を訪れてわかったことだが、以前はこの付近に神楽殿があったそうな。このことについては別の記事で紹介する。)
これらの用材には20年の時が閉じ込められているように思えた。
これらもリサイクルされるのだろう、取り扱いが丁寧だ。
参道を戻り、石段へと向かうとその途中には大きな袋、
その中には銅板が集められていた。かなりの量だ。
名残を惜しみながら佇んでいると
以前の社号立札を見つけた。
立ち去りがたい気持ちを抑えつつこの場を後にした。
石階を下り、
鳥居を抜けると日常を取り戻した。
急いで、志摩市歴史民俗資料館へと向かった。
【 20141213 の記録 】
- 式年遷宮を終え雨儀廊が撤去された倭姫宮
- 「禁殺生」石に導かれて仙宮神社へ(南伊勢町河内)
- 河村瑞賢公園と大仙寺(南伊勢町東宮)
- 御遷座を終えた穂原神社(南伊勢町伊勢路)
- 雨儀廊撤去後に初めてのお参り(伊雜宮)
- 旧殿舎が解体された佐美長神社
- かつて神楽殿があった佐美長神社