2015年01月11日(日) 初めて登った鼓ヶ岳とその中腹に鎮座する五本松神社 (徒歩)
内宮にて一月十一日御饌の参進を拝観した後、午後に歌舞「東遊」が奏行されるまでの間に内宮近くにある鼓ヶ岳に登った。
実は、鼓ヶ岳はいつも眺めてばかりで登ったことがない山だった。それは私にとって眺める山、拝む山である富士山と同様の対象だったのかも知れない。
今日も古市街道の牛谷坂を下ると猿田彦神社の脇から鼓ヶ岳を望んだし、
内宮の宇治橋を渡る際、行きも
帰りも眺めていた。
ところが眺める対象であった鼓ヶ岳に登る機会がやってきた。それは内宮にて一月十一日御饌の参進を拝観してから午後に同じく内宮で奏行される歌舞「東遊」を拝観するまで時間があった。
「宇治神社、飛び石に立ち寄って高麗広を往復するか?」しかし、それほど時間に余裕はなかった。内宮から近い散策場所は・・・・・、そして「そうだ、鼓ヶ岳に登ってみよう!」となった。
登り口は公益財団法人 修養団 伊勢青少年研修センターの駐車場奥か宇治祖霊殿のいづれかであると知っていたのだから、内心は登りたい気持ちがあったのだろう。
宇治橋前から国道23号を神宮会館方向へ戻ると「公益財団法人 修養団 伊勢青少年研修センター」の看板がありこの先に駐車場がある。
今回は宇治祖霊殿の脇からの登り、修養団の駐車場へ下ることにした。宇治祖霊殿への入口は修養団 伊勢青少年研修センター入口の隣なので、神宮会館まで進みと行き過ぎである。
宇治祖霊殿への入口を入ると
民家の手前、左側に細い路地がある。ここを左へ曲がると突き当りを右へ・・・
先ほど突き当りに見えていた宇治祖霊殿の脇へと続いている。
宇治祖霊殿を右に見ながらさらに進むと
そこには鳥居が建ち、「五本松神社」の名が記された案内板がある。
ここからは山道であり、参道でもある。ここからは谷筋に沿って道が続いている。
山道脇には神宮司庁営林部の注意書きがあった。
戻りの時間を気にしながらウォーミングアップなしで登り始めてしまった。
左手の尾根側から眩しい光が・・・。
五本松神社まで600m。
黙々と登ると
トラロープが張られていた。道の右側が崩れやすくなっていたので注意、注意!
トラロープを過ぎてさらに進むと
修養団の駐車場からの尾根道と合流点(分岐)に到着。
分岐を右へ進むと近くにこんな木が・・・、生命感が溢れていた。
この先はさらにトラロープが続いた。注意、注意。間違ってもロープを頼ってはいけない。
途中で、この鉄柱を発見。何の施設?
ボックスのタグを確認すると「HA-A型 受信用増幅器 松下電器産業株式会社」。TV 難視聴地域のための受信システムだろう。今は使われていないのか?
さらに登るとこの分岐に到着する。分岐を過ぎてから振り返ってパチリ。
ここには次の道標がある。「←神宮会館、ひもろぎの里→」
この付近からでも地上が低く見える。
この分岐からすぐ近くに五本松神社への分岐がある。鼓ヶ岳へ向かう前に五本松神社にお参りすることにした。山道から左へ向かうと
【五本松神社】
多数の鳥居をくぐる。
形状が複雑な木が多い。また、倒木も多い。
最後の鳥居をくぐると
左手には手水舎がある。
手水舎も含めて五本松神社をパチリ。しかし、この周辺に松の木は見当たらなかった。名前の由来は?
正面の鳥居を進むとお参り。
小さな祠の下とその左右には大きな石が置かれていた。
御垣の手前には次の石柱が建っている。
大祭日 二月十八日 八月十八日
例祭日 毎月十八日 午後二時
拝殿に張られていたしめ縄の紙垂はまだまだ新しい状態だった。いつ取り替えられたの?
先ほどの分岐へ戻る途中の倒木をパチリ、
パチリ。なぜこんなに倒れてしまうのだろう?
神社への分岐まで戻ると鼓ヶ岳の山頂を目指した。
この先も倒木。
一本の山道が続くが、安心できる目印が残されている。
手作りの道標を過ぎると
落ち葉の絨毯が敷きつめられた山道をさらに進むと
生物にみえる小石を発見。私にはリスに見え、今にも逃げ出しそうに思えた。
参道の所々にはこのような石積みがあり、その中央には
こんな石柱(境界標?)が建っていた。「宮」の文字、神宮を意味しているのだろうか?
ここにも。
予想よりも長い距離を進むと山頂付近、
そして、山頂に到着。登り口から約55分、五本松神社の滞在時間がは約10分だったので実質45分ほど。(山歩きの鉄則に反して勢い良く登り始めたので途中でバテ気味になってしまったか?)
こちらが三角点。
また、山頂には多数の山頂標が残されている。
なかでも「イセ AOKI」さんの山頂標はどこの山でも見かけるとてもメジャーな山頂標。いつもお世話になっています。(感謝)
鼓ヶ岳の山頂からは
伊勢市街が一望できる。
山頂から少し外れた場所から自宅方向をパチリ。
帰宅後に写真を詳細に眺めてみたら小さくボケボケだが自宅の屋根を確認することができた。また、多数の社叢が写っている。上から順に
- 二木神社(御薗町小林)
- 御薗神社(御薗町王中島)
- 船江大社(お伊勢さん125社 河原淵神社を含む)(船江)
- 河邊七種神社(河崎)
- 箕曲中松原神社(宇治山田駅前)
このビューだけでも五社を確認できるのだから伊勢には神社が多いのだろう。
こんな体験をしてしまうと眺めるだけと思っていた山は実は登るべきだと思ってしまう。もしかしたら『富士山もそうなのか! 』
戻りの時間を気にしながら登り始めたにもかかわらず、五本松神社、鼓ヶ岳山頂ではそれぞれを十分に楽しんでしまった。後は急いで下るだけ。
とは言え、気になるものはパチリ、パチリ・・・
五本松神社への分岐を過ぎると右手には五十鈴川と三重県営総合競技場体育館の屋根が望めた。
その場所はこの分岐付近、「←神宮会館、ひもろぎの里→」の道標があったところだ。
ふと足元を見ると刻された文字が鮮明な石柱があった。
宇治山田市
界 ? 三三
その背面には
度會郡
宮
やはり、これらは境界標で、この場合「宇治山田市」「度會郡」、「宮」はやはり「神宮」であると想像できる。
これで、先日歩いた宇治岳道にある石柱の謎が解けた。
2015年01月03日 朝熊ヶ岳(朝熊山)経由で実家の新年会へ にて見つけた石柱、これは一宇田展望台を望める場所を過ぎてから山道の右側に続く岩の上に建っていた。
ここにも「宮」の字が刻されていた。
この後、宇治祖霊殿への分岐まで駆け下りると下りは直進方向、修養団の駐車場を目指した。
この分岐には五本松神社とマジックで書かれた「さらい」が立て掛けられていた。
この先は下り、下り・・・
途中で大きな岩の上に乗ったりしながらも
とにかく下った。
するとほどなく駐車場へと到着した。
振り返ってパチリ、右の奥に登り口がある。
さらにこの左側には二大誓願の碑が建ち、
その脇にはそれを説明する石碑があった。
駐車場から坂道を下ると左方向へ進み
宇治祖霊殿への入口の近くにある「公益財団法人 修養団 伊勢青少年研修センター」の看板まで下った。
【 20150111 の記録 】
- お伊勢さん125社の神々の新年大宴会『一月十一日御饌』(内宮)
- 神馬(皇大神宮御料御馬)、空勇号との御対面
- 初めて登った鼓ヶ岳とその中腹に鎮座する五本松神社
- 歌舞「東遊(あずまあそび)」の奏行(内宮 五丈殿)