2015年01月17日(土) やっと訪れることができた並大神社(大紀町崎) (車、徒歩)
瀧原宮を後にして国道42号を南下すると紀勢自動車道の紀勢大内山I.C.の手前、
国道沿いに神社が鎮座している。何年、いや何十年間、何度もこの場所を車で走っているがいつも通過するばかり、一度もお参りしたことがなかった。
今回はここから国道260号へ入ると南伊勢町を経由して伊雜宮(志摩市磯部町)へ向かう予定だった。急ぐ用ではなかったので、初めてのお参りとなった。
社標には「並大神社」と刻されていた。何と読むかも分からずにとにかくお参りした。
御祭神は次の通り。
速秋津姫命 宇迦之魂命 武速須佐之男命 加具都智命 譽田別之命 大山祗命 木花開耶姫命 金山彦命
帰宅後に確認したところ、三重県神社庁教化委員会のホームページによると「なろうじんじゃ」と読むそうだ。
並大神社 – なろうじんじゃ –
古く保元の乱・平治の変と戦火が絶えることなく、里人が困り果てていたころ、武勇抜群の並宮を迎え祭るという意見が出たことにより、文治2年に御分霊を奉鎮した。その後里に平和が戻り、狭く感じられていた社地を安貞元年の遷宮に際して現在の社地に奉遷した。明治4年に現在の名称になり、明治41年には金刀比羅神社・末社6社を合祀して今に至る。
【引用】 並大神社(三重県神社庁教化委員会) より
手水舎にて心身を清めると
鳥居の正面に位置する拝殿へと向かうとお参り。
拝殿の中を覗くとこんな雰囲気だった。
拝殿の左側からもパチリ。
こちらが本殿。
また、境内の左手には社務所が置かれている。
社務所の付近から拝殿の方向を望むとその奥、拝殿の右方向には
石垣の上に
祠(?)が建っている。
石段を進むと
その祠(?)を確認した。扉には鍵が掛けられていて内部を確認することはできなかった。祠なのかそうではないかもしれない・・・???
この建物に向かって右側には腰ぐらいまでの高さの石垣があり、
その中を覗きこむと石垣で囲われた空間になっていた。この場所は何なんだろう?
またまた課題も残し、並大神社を後にした。
【 20150117 の記録 】
- 覆屋のみが残された古殿地(瀧原宮、瀧原竝宮)ほか
- やっと訪れることができた並大神社(大紀町崎)
- 南伊勢町営バス 栃木バスのりば付近の祠(南伊勢町栃木竃)
- 芳草神社(南伊勢町方座浦)
- 金網山西方寺(奈津観音堂)付近の散策、西国三十三番札所めぐりほか(南伊勢町河内)
- 史跡 倭姫命腰かけ岩(南伊勢町河内)
- 河内川が流れ込む神前湾で乱舞するカモメ(南伊勢町河内)
- 五ヶ所浅間山の遠望(南伊勢町五ケ所浦)
- 古殿解体中(伊雜宮)