2015年03月22日(日) 五知道(磯部岳道)経由で鳥羽へ向かうはずが・・・ (徒歩)
朝熊山から近鉄志摩線の五知駅付近へと通じる五知道(磯部岳道)は以前から気になる道だった。なかなか歩く機会がなく、今年の初めに改めて意識することとなった。
【参考】
- 朝熊ヶ岳(朝熊山)経由で実家の新年会へ 2015年01月03日
その二週間後に「明日は歩くぞ!」と意気込んだら悪天候に阻まれてしまった。
【参考】
- 覆屋のみが残された古殿地(瀧原宮、瀧原竝宮)ほか 2015年01月17日
その後、しばらく温存しておいたのだったがやっと歩く機会を得た。本来の予定では自宅から朝熊山、五知道を経由して鳥羽まで歩く予定だった。鳥羽に到着したら「岡村廣治写真作品展~我がふるさと徒然なるままに~パート9」を拝見する予定だったのに・・・。
結果的には、三十四丁地蔵町石付近でミスコースしてしまい五知ではなく、神路湖の畔へと下りてしまった。そこから鳥羽までは歩いていたら夜になってしまうんで、結局は磯部止まりとなった。でも、そのおかげで伊雜宮および佐美長神社ほかにお参りすることができた。今回は伊雜宮に呼ばれたことにしておこう。
岡村廣治さんの写真作品展は4月5日まで開催されているので再チャレンジしよう。
ここでは、失敗の原因とミスコースしたポイントを紹介しておこう。
ミスコースした原因はとにかく調査不足に尽きる。朝熊山は朝熊岳道、宇治岳道、丸山道の3ルートしか歩いたことがなく、これらがかなり踏まれて整備されていたので、五知道も大丈夫だろうと勝手に考えてしまった。そのため、事前に参考にしたのはこのコースマップだけだった。五知から登れば分かりやすかったのかも知れない。
【参考】
また、コンパスは持っていたのだが、2万五千分の1の地図を持っていなかったので地形変化とルートを対比することが出来ず、マーキングテープに頼ってしまった。
など、すべてに置いて準備不足だった。これからは十分注意しよう。
とりあえず、ミスコースしたルートを含めての記録として紹介する。
宇治岳道を朝熊峠から金剛證寺へと歩き、伊勢志摩スカイラインと接する場所に案内板がある。三歩会が設置したのであろう、五知道と丸山(庫蔵寺)道を示している。ここで階段を下り、伊勢志摩スカイラインを横断すると
その先には近畿自然歩道の道標がある。ただし、この道標には五知の名はない。道標の前に立つ石の道標には「右 いそべみち」と書かれているので、直進した。
石垣の脇を通ると
荒れた雰囲気が散見された。しかし、しっかりと踏まれた状態が続いた。
さらに進むと多数の地蔵町石を通り過ぎた。
所々にピンクのマーキングテープが巻かれていたので不安もなく・・・。
時には山道を遮る倒木もあり、さすがに越えることができずに迂回。
神宮の境界杭も見かけた。
さらに町石地蔵・・・
四十九丁地蔵町石に到着。折れた町石が倒れていたので
立てて置いた。(もしかしてこれが良くなかったのか、迷ったのはそのため?とも考えたが、いやいや大事に至らなかったのはこのおかげとポジティブに転換しておいた。)
足元はふっかふかで、歩き難いくらいだった。
さらに進むと、止まれと言わんばかりのテーピングがあった。そこには
「山伏峠」の案内板。
左上方へと踏み跡が散見されたので、足を踏み入れるとその先は
山伏峠の最高点だった。
空は霞んでいたが手を伸ばしてパチリ。
河内の方向には第二伊勢道路が望めた。
【参考】
- 第二伊勢道路 開通記念ウォーク 2013年09月07日
山伏峠の最高点を後にしてしばらくするとスマホの電波が途絶えた。
しばらくで目立つ黄色の「山伏峠三角点」の案内板。山道をそれて右方向。
三角点はこちら、神宮の境界杭の方が石に囲われ守られている感じだった。
三角点の周囲には多数の山頂標が掛けられていた。この三種はすべて「イセAOKI」さんのものだった。
山道へ戻ると四十六丁地蔵町石の先で下りに・・・。
この後、マップにあるバクチ岩を探しながら
ウロウロと歩いた。
「バクチ岩は この辺りか?、いや違う。」とひとりごとを言いながら・・・
時には木とも対話しながら、「誰?」
そして、・・・
結果的にはこの岩がバクチ岩だった。
それがわかったのもこの岩を過ぎて坂を下ったところに
三十七丁地蔵町石が立っていたからだった。
その後は踏み跡もないような状況になったのでマーキングテープを辿ろうと思ったら前方に人が歩いていた。誰もいないのだろうと思っていたので少し驚いた。
男性の背中がだんだんと大きくなり、
こんな折れた木の角柱を過ぎた先、
上五知峠の頭で合流した。こちらの男性は五知の林道に車を駐めて往復2時間の予定で登ってきたそうで、これから下るところだった。お話の中で「マーキングがしっかりしている」と言われた言葉が私の頭に刻み込まれていた。
この印の意味は?だった。
男性はここから下っていった。後から思えば同行させていただければ迷うことも無かったのに・・・。しかし私はコースマップにある三十四丁地蔵町石を見つけたいとの思いから上五知峠の頭付近をしばらくウロウロしていた。それでも見つからないため、男性が下った方向へマーキングテープを追いかけながら下った。
ところが、三十四丁地蔵町石はなかなか見つからず、四方を行ったり来たり、どれくらいが経過しただろうかやっとこの向きで対面した。(このまままっすぐ進めば、正しいルートへ進めたようだ。)
しかし、私は方向を変え、この方向へと進んでしまった。手持ちの情報が少なすぎたため、正しいルートは五知峠へのルートだと誤った判断を下してしまったからだった。つまり冷静に判断できなかったのだ。
ここから私のミスコースが始まった。後はマーキングテープを頼りにひたすら下界を目指した。
途中で45度はあるかと思われる斜面を下ったが、この時はテープを頼っていたので疑いもせずに進んでしまった。今思えばあの斜面を登るのはかなり大変だろう。
急な下りが途切れると水平道に黄色テープを見つけた。
しばらく水平に進むと炭焼きの跡を通り過ぎた。
その先で赤色のマーキングテープを・・・。この辺りから多数の奇岩を目にするようになった。
奇岩群を過ぎると道は広くなり、林道の様相であった。この辺りまで来るとミスコースしたことが頭をよぎった。「どうしよう、戻ろうか?」「いや、とにかくマーキングテープに従って下ろう。」
林道を下ることも考えたが、
目の前に黄色のテープを見つけたので、その方向へと進んだ。
この先には奇岩、巨岩が乱立していた。なんてところだ。
この後で再び山場があり、行ったり来たりをしばし繰り返した。
そして、最終的に赤色のマーキングテープを見つけると
下界へと下ることができた。
ところがここはどこだろう。スマホの電波も届いていなかった。
小川の流れに沿って少し歩くとそこは湖になっていた。この辺りで湖、それは神路ダムで堰き止められた神路湖だった。
ズームで前方を覗くとそこには「右カーブ」の文字、あれは伊勢道路。おおよその位置関係が分かってきた。
「まずは伊勢道路へ出よう。」
下山してから左方向へ道なりに進むと10分ほどで伊勢道路へ出た。「ホッ」とした。
来た道を振り返ってパチリ。
午後二時半、ここから鳥羽まで歩けないこともないが明日の仕事のことを考えてしまい、今日は近鉄 志摩磯部駅まで歩いて帰宅することにした。ただ、歩くだけでは勿体無いので伊雜宮へ立ち寄ることにした。実は呼ばれたのかもしれない。
しばらく神路湖を右手に見ながら車が行き交う伊勢道路を歩いた。
神路大橋を渡り、
さらに恵利原橋を渡ると神路ダム管理室の前で休憩した。残しておいた甘い菓子パンが美味かった。
エネルギーを注入すると伊勢道路歩きを再開した。ほとんど歩道がない道路が歩きにくい。通り過ぎる車のドラーバーも走り難かっただろう。
しばらく進むと左側に次の林道の案内板。途中で見つけた林道を下っていたらこの道の途中にたどり着いたのだろうか?(それはわからない。)
その先には小規模ながらも棚田があり、トラクターが入っていた。
その先には道路脇に棚田。
その先では
左側の少し奥まった場所に鳥居を見つけた。こんなところにも神社があったんだ。坂道の先にあったので今日は寄り道する気力が湧かなかった。(こんな時もある。)
その後、「恵利原アメニティー前」の交差点を直進すると
おうむ岩への入口を過ぎた。
【参考】
- おうむ岩(磯部町恵利原) 2012年05月27日
磯部川の脇を通り
次の丁字路を左へ入ると右手前方に伊雜宮の社叢を見つめた。
道なりに進むと
伊雜宮に到着。鳥居をくぐり
手水を受けると
誰もいない参道を進み、ひとりの伊雜宮を堪能した。
御遷宮を終えた古殿はすでに解体され古殿地には覆屋のみは残されていた。
【参考】
- 古殿解体中(伊雜宮) 2015年01月17日
伊雜宮を後にすると伊雜宮の所管社である佐美長神社へ向かった。
鳥居をくぐり石階を上るとその先には広い空間が・・・。
伊雜宮と同時に御遷宮を終えた佐美長神社にお参り。
同じく伊雜宮の所管社である佐美長神社御前四社にもお参り。
お白石と清石のコントラストが美しかったのでパチリ。
【参考】
- 昨日に遷御を終えた佐美長神社(伊雜宮 所管社)ほか 2014年11月29日
参拝を終えると本日の最終目的地となった近鉄 志摩磯部駅を目指した。
中川行きの普通列車に乗ると途中で五知駅に停車した。
何とも不思議な感覚にとらわれた。
『近いうちに再び五知道を歩きこの地へと下ろうと・・・』
反省すべきことの多い一日となった。
【 20150322 の記録 】
- 番号札が添えられた臥龍梅(伊勢市御薗町新開)
- 鏡宮神社(皇大神宮 末社)、玉垣御門の扉の金物は何処へ?
- 宇治岳道と丸山道、五知道の分岐付近で見つけた神棚?
- 五知道(磯部岳道)経由で鳥羽へ向かうはずが・・・
- 御遷宮の予定、磯部神社(志摩市磯部町恵利原)