2015年05月03日(日) 浦神社(鳥羽市浦村町) (車、徒歩)
海の博物館での見学を終えてパールロードを鳥羽駅方向へ走らせると、鳥羽側のパールロード始点付近に浦神社が鎮座している。かなり前に一度だけ訪れたことがあったのだが、その頃は神社にあまり興味がなかったのだろうか記憶も薄れてしまっていたため再訪した。
パールロードが終了し県道750号に切り替わる地点には道路脇にパールロード起点の標識がある。その先、道路の左側には2〜3台分の駐車スペースがあり、道路脇には「浦神社」刻された自然石の社号標が立っている。また、社号標の左側には
同社の由来を示した説明板がある。
浦神社由来
明治四十年に十一柱の神々をこの立神の地に合祀して浦神社と命名し主祭神は、安曇別之命(女神)であり昔よりお乳の神様と云われ食料がなかった時代には、参拝するとお乳の出が良くなると云い伝えられており里の産土神としてあがめられ古来、浦の権現さんとして有名である。
境内には、一丈余りの滝があり御神体がご鎮座されており水が絶えたことがないと伝えられている。又、拝殿の左側にある洞には、清んだ湧水があり、その水を飲むと目が良くなると云われて「目薬の水」と古くから云い伝えられている。
高さ百尺余りの切立った大きな一枚岩を御神体とし、岩の下に本殿があり急な五十段の石段を登りつめて参拝する。諸種の大木の繁っている宮山等、一度参拝した人々は、忘れえない印象を受ける。
毎年七月十四日、天王祭の宵宮には、本浦地区、今浦地区、共に御船を仕立てて両区の役員が船により笛と太鼓を打ち鳴らして渡御をして参拝する習わしである。
浦神社 大山 與志則
【参考】
社号標を撮影していると鳥羽市のコミュニティバス「かもめバス」が通り過ぎた。
そして社号標の裏側を確認したところ、宮司の名前の左側には「六代 桂文枝 書」と刻されていた。
社号標を後にして参道を進むと
頭上から巨岩が迫ってくる。こちらが御神体だ。
鳥居の間からもパチリ。
さらに参道を進むと右奥には新しそうな建物、社務所が見えた。
さらに進むと
石階の手前に手水所がある。
手水石には「天保」の文字。
手水を受けてから
参道へ戻ると社務所方向へと流れる堀に石橋が架かり、その側面には「村中安全」の文字。
目の前に迫る石階を登ろうとすると
鳥居の柱の根元に杖とプラスチック製の容器を確認した。
容器の蓋を開けてみるとそこには草鞋が納められていた。草鞋に履き替える風習があるのだろうか?
要領を得なかったので、今回はトレッキングシューズのままで石階を登った。
五十段を登りきると拝殿があり、お参り。
拝殿の先も急な石階となっている。
拝殿から右方向へと移動すると眼下に社務所の屋根が望めた。
さらに見上げるとこちらが本殿だ。本殿の背後には御神体である巨岩が迫っている。
なお、拝殿の左側へは細い参道が続く。その先には、飲むと目が良くなると伝えられる清水「目薬の水」が湧く洞がある。
私にはどこから湧き出ているのか、見つけられなかった。
拝殿まで戻り石階を下ろうとすると、この石に呼ばれた。また、「誰?」シリーズだった。至るところに顔が見える。
この石を右側にして石階を下ると
下りきった付近では右側へと石が敷き詰められ、滝へと続いていた。説明板に説明されている滝は勢い良く落ちていた。
滝を確認するとそれを背にして石畳を戻った。
近くにかもめバスのバスのりば「今浦」があったので、バスのりばの名前と共にパチリ。
神社が望む方向には麻生の浦大橋が架かっている。
先の説明板にあるように
一度参拝した人々は、忘れえない印象を受け
た。再訪したい場所だ。
【 20150503 の記録 】
- 海の博物館(鳥羽市浦村町)
- 浦神社(鳥羽市浦村町)