2015年05月09日(土) 神田御田植初拝観の前に(大土御祖神社、神宮神田ほか) (車、徒歩)
神田御田植初を拝観するために神宮神田(伊勢市楠部町)へ向かった。
イオン伊勢店から内宮方向へと田んぼ道を進むと田んぼの中に社叢のような場所がある。
ここには「宇治乃奴鬼神社々域」と刻された石標が建ち、皇女森とも呼ばれている。現在、宇治乃奴鬼神社は神田御田植初の第二の舞台となる大土御祖神社に同座されている。神宮要綱には次のように記されているが、旧社地については言及されてはいない。
宇治乃奴鬼神社も亦、倭姫命の祝ひ定め給ふ所にして石井神社を同じく大水神社の御子高水上命を奉祀す。中世以来社地湮滅して明かならざるを以て、明治四年神宮改正の後、大土御祖神社に御同座奉祀せり。
また、明和町役場のホームページから、斎王ゆかりの地(町外編) 悲劇の斎王・稚足姫皇女(わかたらしひめのひめみこ)ゆかりの場所 皇女の森(こじょのもり/伊勢市)によると、
雄略天皇の皇女である稚足姫皇女(わかたらしひめのひめみこ)、別名栲幡皇女(たくはたのひめみこ)が湯人の子を身ごもったとの讒言に対し自らの命を絶ち身の潔白を証明した。ここはその皇女の墓である。
と言われているそうだ。
【参考】
皇女森を後にして五十鈴川の辺へと出るとそこには近鉄五十鈴川橋梁がある。左岸を川の流れに沿って下ると
その先には大土御祖神社の社叢とその手前に架かる五十鈴橋を遠望できる。
途中で川面に映る妻入りの家屋を・・・。
五十鈴橋まで辿り着き、橋をは渡っているとその途中で
神田御田植初 御田植式の田植人である女性ふたりとすれ違った。彼女たちは集合場所である楠部町公民館へと向かっていた。
五十鈴橋を渡り、大土御祖神社の社叢へ近づくと
こちらから参道へと入った。
大土御祖神社のにはテントが張られ、
その下に椅子が並べられていた。祭典の準備が完璧だった。
ここでは、大土御祖神社(皇大神宮摂社)[宇治乃奴鬼神社(同末社)を同座]にお参り、続いて同じ社域の奥に鎮座する国津御祖神社(同摂社)[葦立弖神社(同末社)を同座]にもお参りした。
第二の舞台である大土御祖神社を後にすると神宮神田へと向かった。
そして、こちらが神宮神田。
水が張られた田んぼが広がっていた。
神宮神田事務所付近には人が集まっていた。
しばらくすると神宮神田とは反対側、五十鈴川の右岸堤防から花火が打ち上げられた。
神田御田植初 御田植式が開始される合図だった。
神宮神田の入口からさらに先へと進むと
黒木鳥居の出入口が開放されていた。
通常はこの落とし板で黒木鳥居前は立入禁止の状態になっている。
こちらが来賓用の拝観席で、その先の田んぼが御田植式の式場である。
開始前で約20分、神宮神で事務所付近では動きが活発になり始めたような・・・
それにしても緑が美しかった。
【 20150509 の記録 】
- 神田御田植初拝観の前に(大土御祖神社、神宮神田ほか)
- 神田御田植初 御田植式、団扇合わせ(神宮神田)
- 神田御田植初 おどりこみ、大団扇破り(大土御祖神社)