2015年05月10日(日) 徐福の宮と波田須神社(熊野市波田須町) (車、徒歩)
今日は二年前に熊野古道伊勢路を歩いた際にやり残したことを成し遂げる、また回顧する旅となった。
楯ヶ崎と阿古師神社(熊野市甫母町) にて、2年前に熊野古道伊勢路から遠望した楯ヶ崎の訪問を終えて国道311号を走るとこの道標前に到着。ここは熊野古道 伊勢路と国道311号とが交差する場所で波田須の道を過ぎた辺り、道標脇にある駐車場に車を駐めた。
駐車場から海側を望むと二年前のことが思い出された。あの時は先を急ぐあまりに寄り道を控えてしまった。そのため、徐福の宮にもお参りしなかったのだった。
【参考】
- 熊野古道伊勢路#5(波田須神社から大吹峠を越えて松本峠登り口へ) 2013年07月13日
国道を横断して徐福茶屋へ向かうと、入口も窓も閉ざされていた。今は営業していないのだろうか?
列車が走る音が聞こえたので、徐福茶屋の右側から徐福の宮の方向を見下ろすと列車が通過した。急いでパチリ。
ズームを元に戻して全体をパチリ。徐福の宮の社叢が私を呼んでくれた。
国道から離れ徐福茶屋の前の坂道を下ると途中で次の案内板を見かけた。
高度を下げてからパチリ。
さらに高度を下げてからパチリ。
お参りできる機会がやって来た。
二年前にも見たこの道標。
さらに、この「徐福の宮」への案内板。二年前はここから先へは進まずに熊野古道伊勢路の先を急いだ。案内板に従って坂道下ると
多数の屋根が目に入った。
どこを通ればいいのか分からずに「ぐる〜り」と遠回りしてたどり着いたのが徐福の宮の正面付近、
ここからも民家の間を進むと目の前に赤い鳥居が望めた。石段を上ると
やっと徐福の宮に到着した。二年越しの思いがやっと実現できた。
まずは、お参り。
祠の左側には徐福の墓石が建っていた。
また、祠の右側には次の説明板が設置されていた。
徐福の宮 JOFUKU NO MIYA
徐福伝説
秦の始皇帝の命により、徐福は蓬莱山にあるといわれる不老不死の妙薬を求めて数十隻に及ぶ船団を組み、東方へ向かって船出した。途中台風に遭い、徐福の船だけがこの地、矢賀の里に流れ着いた。当時そこには3軒の家しかなく、与八・文吉・三郎兵衛が交代で世話をした。帰国を断念した徐福は紀州への永住を決意し、やがて窯を設け焼物を3人に教えたという。今の残る窯所、窯屋敷という地名はこのことを伝えている。この地、徐福は土木、農耕、捕鯨、医薬などの中国文明を里人に教えたと言われている。このことからこの地は秦住(はたす)と呼ばれ、後に波田須という地名になったという。徐福の宮
ここ丸山は矢賀の蓬莱山と呼ばれている。徐福の墓の石碑は稲荷神社と合祀されているこの小祠の後にある。御神宝は直径20cm余りの小さな擂鉢である。また、不老不死の薬こそ当時に自生する天台烏草だとされている。天台烏草【くすのき科】
●暖地にはえる高さ3mになる常緑樹
●早春、淡黄色の小花を密生させる。
●根は長い塊状の暗褐色で薬用にする。
徐福の宮から鳥居越しに望むと
先ほど坂道を下りはじめた徐福茶屋の建物が遠望できた。
徐福の宮を後にして階段下の坂道を左へと下ると、その先には次の道標があった。
5時には帰宅すると言って家を出発したので、今日は車へ戻ることにした。(波田須駅も魅力があったが、タイレースならぬ、決めた時刻に帰宅することも私が自身に課したレースのようなものだった。)
波田須神社方向へ進むと徐福茶屋からの坂道への近道を見つけた。来た道を戻ると
思ったよりも早く徐福茶屋付近へ戻ることができた。
もう車に戻れば帰途につけるのだが、少しだけ時間に余裕があったので、先ほどの案内にあった波田須神社にお参りすることにした。
徐福茶屋を背にしてこの坂道を上るとその先に波田須神社はあるのだが、こんなところにモノレールの端がある。
坂道を進むと波田須の道の説明板。以前熊野古道伊勢路を歩いた時に参考にしたものだった。
波田須の道を背にして進むとそこには波田須神社の鳥居が建っている。
【参考】
急な階段を進むとその途中右手には庚申塔があった。
さらに進むと
その上の建物の入口は閉ざされ、この注連縄が掲げられていた。(この建物は拝殿ではなさそうだが?)
建物の左側を巻くように奥へと進むとモノレールの端があり、そこにはブルーシートに覆われた荷車があった。
拝殿と本殿は一体化した建物となっていた。お参り。
お参りを終えると急いで石段を下り帰途についた。寄り道が過ぎたようだ、帰宅したのは5時10分だった。(10分オーバー、残念。)
【 20150510 の記録 】
- 花開道の案山子は今年も活躍!(伊勢市津村町)
- 飛鳥神社(尾鷲市曽根町)
- 国道311号、須野町への分岐付近で見つけた「←木花堂」の案内板
- 楯ヶ崎と阿古師神社(熊野市甫母町)
- 徐福の宮と波田須神社(熊野市波田須町)
- 熊野古道伊勢路を歩いた時の『命の水』に再会