2015年05月24日(日) 御遷座を終えた園相神社(皇大神宮 摂社、伊勢市津村町) (車、徒歩)
第62回神宮式年遷宮はまだまだ続いている。先日、「清流宮川の支流を歩こう! 濁川界隈散策(多気町)」を終えての帰り道、どのルート(玉城町、度会町)を走ろうか迷った結果、度会町経由で園相神社が鎮座する伊勢市津村町を通過した。
日も暮れかかった頃、参道の入口を通り過ぎた際に私の目に入ったのは新しくなった神宮司廳の名前が書かれている定の立札だった。これは何か変化が起きている。速やかにお参りしなくては・・・と思いながら帰宅し、その翌日が今日だった。
そして、後日わかったことなのだが、結論から言ってしまうと「22日金曜日の夕方に御遷座された」とのことだった。
この時は御遷座されたことは知らずに園相神社を訪れたので、その気持ちで・・・
園相神社には駐車スペースが無いので、近くにある幅の広い歩道脇に駐車させていただくと参道の入口へと向かった。
こちらが昨夕に通りかかった際に見かけた立札がある場所、参道入口。
そして、こちらがその定の立札。
参道へ進むと見慣れない派手なものが置かれていた。
どうも簡易トイレだ。
確実に簡易トイレだった。神域内に置かれているとは・・・
何かが違う・・・。参道をさらに進むと
その先、右手にはテントが張られ、
その脇には消火器が準備されていた。
そして、さらに進むと、なんと社殿が二宇。「今までは右側にあった? 左側は小ぶりだ?」
いつも通り右側の社殿へ向かうと鳥居、玉垣さらの正殿の屋根も新しくなっていた。ただし、玉垣御門の板扉と正殿の屋根以外は従来の材のままだった。これは大修繕だったのだろう。
すると左隣りに建てられているのは仮殿。
かなり立派な建物だ。氏神さんの社殿には十分だろう。この仮殿は役目を終えるとどうなるのだろう。別の神社の御遷座で活用されるのか?この点も興味深い。
お参りを終えると仮殿の前面に配置されている修祓所を確認したところ、
切麻が残されていた。するとなんらかの祭典が執り行われたことになる。
「もしかしたらすでに御遷座を終えているのだろうか」 両社にお参りしながらそんなことを考えていた。
そして、私にとっては摂社の御遷宮にもまして、さらに興味深いことを発見した。というより以前より疑問に思っていたことがスッと腑に落ちた。のだった。
それは
鳥居の柱ではなく、
玉垣御門の
の柱、
しかもこの部分だった。修繕でこのように継がれていることが私にとっては非常に重要だった。
修繕される前の園相神社の玉垣御門の柱はこちら。
2012年06月30日時点
このことは私が以前から疑問に思っていた朝熊神社と朝熊御前神社の相違(玉垣御門の柱)の原因を知ることになったから・・・だった。5年ほど前からの疑問とはこちら、
【参考】
結局、私が想像していた理由よりももっと単純な理由であるようだ。「修繕されたから継がれている。」最終的は判断は朝熊神社と朝熊御前神社の御造営または大修繕にて明らかになることだろう。まだまだ興味は尽きない。
どんな小さな鳥居でも手を抜かない素晴らしい仕上げを確認し、
仮殿の今後を想像しつつ、園相神社を後にした。
園相神社は玉垣御門に板扉が使用されているので、お伊勢さん125社のなかでも格の高い神社と思われるが、この神社で御遷宮が執り行われているとなると「第一摂社はどうなんだろうと?」の疑問が・・・。
この後は豊受大神宮の第一摂社である草奈伎神社へと足を運んだ。
【 20150524 の記録 】
- 「海女礼賛」 李相海 写真展(鳥羽ショッピングプラザ ハロー)
- 6月24日に御田植祭が執り行われる伊雜宮の神宮御料田を訪ねて
- 県道16号沿い、地蔵の祠(志摩市磯部町山原)
- 案山子に呼ばれて再訪の花開道(伊勢市津村町)
- 御遷座を終えた園相神社(皇大神宮 摂社、伊勢市津村町)
- 御遷宮の確認のために訪れた草奈伎神社、大間国生神社(ともに豊受大神宮 摂社)
- ばら展開催中の神宮ばら園
- 建国寺稲荷はどこへ?(伊勢市宇治浦田)
- 御田植祭を終えて三週間後の御神田(猿田彦神社