2015年11月21日(土) 文学ツアー(鳥羽の文学散策と開運七ケ寺、薫香四館巡り) (JR、徒歩)
夜の7時半、ミキモト真珠島にて朗読と音楽により繰り広げられる『乱歩没後50年記念 乱歩ナイト3 パノラマ島奇談』に先駆け、文学ツアーが実施された。
乱歩ナイトに際して企画されたツアーであり、今回は文学に焦点をあてた内容となっていてそのテーマと巡るルートは
文学ツアー (鳥羽の文学散歩と開運七ケ寺、薫香四館巡り)
鳥羽は江戸川乱歩はじめ、山本周五郎、梶井基次郎などが多彩な文学を生み出した地。そのゆかりの場所を散策しながら文学者の実像に触れて頂くツアーです。
鳥羽駅13:30出発→詩人伊良子清白の家・門野幾之進記念館(福沢諭吉の一番弟子)→相橋周辺(梶井基次郎「海」)→三の丸→城山公園→かどや→西念寺→金胎寺(松尾芭蕉の句碑)→光岳寺→御木本幸吉生誕地→賀多神社→常安寺(山本周五郎「扇野」)→鳥羽乱歩館(みなとまち文学館)16:00の行程で行います。
※ 実際に訪れた場所 は 紫色の文字
となっていた。
文学とはほとんど縁の無い私が文学ツアーに参加したのか? その理由はこのルートにあった。ほとんどは訪れたことがある場所だったが、個人で巡るのではない新しい発見があるのではないか、そんな文学とはかけ離れた興味からだった。
今回のツアーは乱歩ナイトにちなんで企画されただけあり参加者はほとんどが乱歩ファン、いやフリークの方々だった。歩いている間も乱歩の話題で盛り上がっていた。推理作家エドガ・アラン・ポーの名をもじって名付けられた江戸川乱歩、名張で生まれて、「怪人二十面相」「少年探偵団」の代表作があること。あとは以前に訪れたことがあるみなとまち文学館で知しえた情報しか持ちあわせていなかった私は彼らの話を聞いているだけでお腹いっぱいになっていた。立教大学江戸川乱歩記念 大衆文化研究センターは興味深い施設で、綺麗なお姉さんが案内してくれる・・・なんて情報まで。
私は以前に巡ったことを思い出しながらツアーガイドの方の話に耳を傾けていた。
午後1時半出発だったので、事前のひと巡りを終えてから
【参考】
【鳥羽駅】
集合場所である鳥羽駅のJR側(山側)へと到着。すでに数名が集まり、乱歩の話で盛り上がっている様子だった。
定刻となると主催である鳥羽商工会議所の小崎則彦さんによる挨拶と概要説明に始まり、本日のツアーガイドである鳥羽ガイドボランティア 尾崎徹さんが紹介された。
ここからは尾崎さんのガイドにより文学ツアーが開始された。金刀比羅神社の大鳥居をくぐってから
【漂泊の詩人 伊良子清白の家】
まず最初に訪れたのは駅からほど近い漂泊の詩人 伊良子清白の家。
巡る場所が多いため、建物の中には入らずにこの前での説明となった。
伊良子清白の家は元々は鳥羽市小浜町にあったが、所有者が町、市、漁協へと移り、漁協が手放した際にその土地には理髪店が建ち、元の家は大台町(大台警察署付近)へと移築された。解体の際に棟札を探したが見つからず船大工の手による建築ではないかと考えられている。その後、この場所へ移築された。
【参考】
↓ 漂泊の詩人 伊良子清白の家
- 漂泊の詩人 伊良子清白の家 2011年11月03日
↓ 小浜にある「詩人 伊良子清白居住家敷跡」の碑
- 土宮神社(鳥羽市小浜町) 2012年12月08日
↓ 度会郡大紀町にある伊良子清白の墓の案内板付近
- 秋葉神社(度会郡大紀町打見) 2014年07月12日
現在は小浜に建っていた時の状況を再現し、家の前にモッコクの木が植えられている。
【門野幾之進記念館(福沢諭吉の一番弟子)】
続いては、門野幾之進記念館。ここより西側には上中級武士の武家屋敷が建ち並んでいたそうだ。この記念館には鳥羽ガイドセンターが併設され、無料でガイドをお願いすることができるそうだ。(一度お願いしてみよう!)
【鳥羽城 唐人門跡】
門野幾之進記念館から妙慶川の辺りへと向かうとこのような新たに作られた門がある。
妙慶川の左岸に沿って上流方向へ進むと、大黒橋の先に壊れかけた土塀がある。
さらに進むと対岸には大きさがさまざまな石が積まれている。こちらは歴史のある石垣か。
【相橋】
その先に架かる橋、それが相橋。
相橋は皇大神宮儀式帳でも紹介され、歴史は古く、その由来は、さまざまである
- 相橋の下流側が志摩国で上流側が伊勢国、つまり国が接する場所
- 塩水と真水が交わる場所
など。
相橋から北側を望むと日和山へと続く階段の途中にケヤキが望める
こちらは相橋から望む妙慶川の上流側で
こちらは妙慶川の下流側。
橋の袂には説明板がある。
相橋から南方向へ進んだところに鳥居が建っている。こちらは大山祇神社へと通じる参道の入口。
【参考】
- 大山祗(ネ氏)神社 奉納「獅子と天狗の舞」(鳥羽市) 動画あり 2014年04月06日
梶井基次郎は明治43年〜大正2年の間、鳥羽に住み、宇治山田中学へ通っていた。 父の仕事の関係で、当時は辺鄙な地であった東京の高輪付近から鳥羽へと引っ越してきた。東京では電気のない生活であったが、当時の鳥羽は造船業が全盛で造船所の近くにあり基次郎の自宅には電気が引かれていた。
城山公園への階段下へと移動するとこの地図を利用して妙慶川が鳥羽城のお堀であったことが説明された。
このマップで市民文化会館の上側にある赤いは線分は堀であり、さらにその延長(左側)した部分には真水の蓮池が作られていた。
水不足に対応するためか。
続いては中京銀行の手前を右折して三ノ丸へと向かった。
その途中、右側、駐車場になっているこの場所は馬場であった。
さらにその向かい側、広〜い駐車場となっている場所には鳥羽城の時代とはかなり隔たりがあるが旧鳥羽水族館の跡地である。以前はここに水族館があった。記憶には無いが水族館跡で開催された恐竜展を観たような・・・
さらに進むとこちらが
【三ノ丸】
鳥羽城三ノ丸跡。
三ノ丸跡から線路越しに海側を望むと鳥羽城が海城であった証がある。それは大手水門跡の説明板。
【参考】
- 「神島ウォーク」前後の鳥羽散策 2011年06月12日
三ノ丸跡から続く階段を登るとかなり高度を稼ぐ。
【城山公園】
階段の先には城山公園が広がり鳥羽市街を一望できる。今夜、乱歩ナイト3が開催されるミキモト真珠島をパチリ。
さらに城山公園から鳥羽城本丸跡へ・・・。
その途中でもミキモト真珠島をパチリ。
こちらは本丸跡の石垣下。この付近にはお稲荷さんがまつられ、小井戸があった。本丸跡にある大井戸と合わせ大小、オスメスの井戸。対の井戸で水が取れると言われている。
石垣脇の坂道を進むとその先には本丸跡が広がっている。鳥羽小学校が移転するまでは本丸跡が小学校のグランドになっていた。
こちらが本丸跡にある説明板。
【参考】
- 鳥羽城跡(第6次)発掘調査現地説明会 2011年10月22日
この付近の海は錦浦と呼ばれ、たくさんのボラが獲れそれらが藩の財源となっていた。そのため、鳥羽城の山側は漆喰で白いものの海側は光の反射でボラを逃さないようにするため真っ黒に塗られていたそうな。そのため、二色城とも呼ばれた。しかしながら、風評被害のためボラで潤うことはなくなってしまった。
本丸跡からは鳥羽の島々が望めるが、無残な姿を見せているのは菅島。しろんご祭を見学したいと思っている島なのだが、この光景はかなりの衝撃である。
こちらは大井戸跡。先ほどの小井戸跡とのペアだ。
本丸跡から階段を下るとその下には旧鳥羽小学校がある。こちらの講堂には賀多神社の組立式能舞台が収納されていたが、耐震関係で調査が入り利用することができない。現在賀多神社の境内にて組み上げられている能舞台は戻る場所がないため、解体できない状況にあるそうだ。
さらに階段を下り、校舎の前面に立つ二宮尊徳(金次郎)
校舎の正面へ移動するとガイドの尾崎さんが時計の上部を示して
校章を紹介してくれた。羽と錨の校章が懐かしいと・・・。
旧鳥羽小学校を後にすると尾道とも思えるような(私は尾道を訪れたことはないが、ガイドさん談)雰囲気の坂道を下った。
その先には近鉄中之郷駅。ここからは
しばらく近鉄沿線を歩き、この先で右折。
【鳥羽 大庄屋かどや】
メインの通りで左折すると道なりに進むと桝形道路となる。突き当りに建つのが鳥羽 大庄屋かどや。
【参考】
- 国登録有形文化財 鳥羽大庄屋かどや(旧広野家住宅) 2013年09月07日
今日は南部美智代さんの古布人形展が開催されていた。
南部美智代さんは小柄だがパワフルな女性だ。一度お会いしたことがある。
【参考】
大庄屋かどやの玄関を入ると大人数でしかも大急ぎで案内していただいた。詳細は先のリンク(記事)をご覧いただくとして、ここでは今回初めて知ったことと南部美智代さんの古布人形を中心に紹介する。
こちらは、仏壇の隣にある押し入れの中に隠されて(?)いる伽羅(きゃら)の香木をくり抜いて作られた火鉢で、明治天皇が行幸された際に常安寺で使われたかもしれないもの。
こちらは吹きガラス製法で作られた板ガラス、いわゆるゆがみガラス。ガラス越しの風景には味がある。
手が込んだ建築は卍崩しの欄間や
絞り丸太の柱。
ガラス製の欄間もある。
こちらはヤマハに先駆けてオルガンを市場に発表した長尾芳蔵さんが作られた貴重なオルガンの足踏みペダル。
二階へ移動するとそこには南部美智代さんによる古布人形が飾られていて、こちらのテーマは「ほのぼのとした結婚式」。女性陣が裏側で控えている障子の隅には穴が空いていた。(空けられていた?)子供のいたずらか、それとも覗き窓の代りか? 時間があればどれだけでも眺めていたかった。
また、別の部屋にはこちらも南部美智代さん作の「のうのう人形」が・・・。
「のうのう人形」の説明はこちら、
細部へのこだわりが素晴らしい。
予定の時間が経過したため、ツアーは大庄屋かどやを後にした。来た道を戻り、さらに直進すると見慣れた蔵の前を通過、この蔵を構成している石が「大谷石」であることを知った。
【光岳寺】
途中で左側の路地へと入ると少し高い位置を歩いた。その後にたどり着いたのは光岳寺。
鳥羽城の最後の城主となった稲垣家の菩提寺。
光岳寺を後にすると西の空はこんな風になっていた。
御木本幸吉生誕地へ向かっていると
途中で右方向に大山祗神社の参道鳥居と大きなイチョウが望めた。
【御木本幸吉生誕地】
程なく御木本幸吉生誕地へ到着した。長方形の土地の短辺側が出入口だったそうだ。
こちらが生誕の場所。
最後に訪れたのは鳥羽みなとまち文学館。
【鳥羽みなとまち文学館】
【参考】
- 鳥羽みなとまち文学館 2013年09月07日
先日、賀多神社にて遷座祭が斎行された日にも訪れた展示、ビデオを再確認するように見学した。
【参考】
- 賀多神社の御遷宮、川原大祓・遷座祭(鳥羽市鳥羽) 2015年10月17日
こちらを後にすると今回の「文学ツアー」は終了となった。
私は、先に訪れた賀多神社にて確認したいことを残していたため賀多神社を再訪した。
【 20151121PM の記録 】
- 文学に浸るためJR参宮線で伊勢市駅から鳥羽駅へ
- 落下した枝で破損した拝殿の屋根の修繕(賀多神社)
- 収納場所が見つかるまで境内に建てられている組立式能舞台(賀多神社)
- 文学ツアー前の鳥羽散策、ミキモト真珠島の遠望ほか
- 目にしたら撮らずにはいられないこの顔 近鉄 観光特急しまかぜ(鳥羽駅)
- 文学ツアー(鳥羽の文学散策と開運七ケ寺、薫香四館巡り)
- 乱歩没後50年記念 乱歩ナイト3 パノラマ島奇談(ミキモト真珠島)