2016年01月23日(土) 鳥羽河内川の上流部にある棚田跡を訪ねて(鳥羽市河内町) (車、徒歩)
鳥羽市河内町を流れる鳥羽河内川の周辺には多数の棚田跡がある。その存在を知ったのは朝熊山から五知へと続く五知道を歩いている途中、山伏峠から眺めた風景の中に見つけたからだった。また、鳥羽河内川沿いの家並みは第二伊勢道路 開通記念ウォークで河内橋から眺めた場所。昨年の夏にこの地を訪れて山伏峠から眺めた棚田を確認することはできたのだが、さらに上流部には規模が大きく立派な石積みの棚田跡があることを知ってしまった。ぜひとも訪れてみたいと思っていたのだが、夏に訪れた際に地元の方が体験談を交えて語ったマムシの怖さに恐れをなしていた。
【参考】 河内町の棚田跡を訪れた理由と新たな棚田跡を訪れる理由についてはこちら
- 鳥羽市河内町を訪ねて、河内ダム・棚田跡・山の神・河内神社ほか 2015年08月23日
例年ならこの時期は御頭神事や獅子舞に東奔西走(?)しているのだが、しばらくは神社にお参りできないので時間に余裕ができた。これが幸いして棚田跡を訪れる機会を得ることができた。今ならマムシに出会うこともないだろう。
鳥羽方面から国道167号を走り、近鉄 船津駅の先にある杉ケ瀬橋西交差点(たこ焼き 片岡屋の近く)を右斜め前方へ入ると国道を離れた。「丸興山庫蔵寺、彦滝大明神、河内神社」の案内矢印に従って・・・細い道を道なりに進み突き当りの丁字路を右折すると後はずっと道なり。
第二伊勢道路の河内橋の下にはアスファルト舗装された広いスペースがあるのでこの場所の隅っこに駐車させてもらった。(この先は道幅が狭いので運転が苦手な私は歩いて進むことにした。)
第二伊勢道路 開通記念ウォークで河内橋から眺めた家並みを抜けると
先日確認した棚田跡も通り過ぎた。この後は鳥羽河内川の上流部を目指した。
最初に現れる橋を渡ろうとすると
こんな物騒な看板が立っていた。「狩猟される方へ・・・」、道路から外れて山へ入ると散弾で打たれる危険が頭をよぎった。おとなしく棚田跡を目指そうと心に誓った。(ここでは・・・)
さらに進むとこんな仕掛けが・・・
くねくねとした道を歩くと程なく河内ダムに到着した。ネット地図で棚田跡へのアプローチを調べたところ、小ダムの上を走る道路を進んで鳥羽河内川の左岸をさかのぼるルート(距離は短いが川を渡り返してからの道が無いかも?)とここを渡らずに右岸をくねくねと進むルート(距離は長いが目的とする棚田跡の直下に続いている)を見つけた。ここに来るまでどちらを選択しようか非常に迷っていたのだが、
右岸ルートの前方に人影を発見した。棚田跡についての情報を得ようとその方を追いかけるように右岸を進んだ。
するとこの先で
右方向に・・・「?」
「あれは、これから向かおうとしている棚田跡?」
「まさに、あの場所だ。」ここから等高線に沿っていくつかの谷を越えるから直線距離の何倍も歩くことになる。
状況を確認するために先ほどの女性を追った。
やっとたどり着いて挨拶を交わした。ゆっくりとしっかりとした足どりで歩を進めるおばあちゃんは短めの前掛けを腰に巻き、私には粋に感じる女性だった。この先の丁字路を右に折れると棚田跡、彼女はそこを左へ折れて池へ向かうとのことだった。池の水の様子を確認するために毎日、自転車で通っているそうだが、今日は路面の状態が悪いため自転車では危険だと判断し徒歩で・・・。
この橋の所まで同行してお話を伺った。ここでお礼を述べると彼女と別れ私が先行した。
こんな道をくねくねと進むと
廃車を通り過ぎた先に
この橋が架かり
橋を渡った先が丁字路となっていた。おばあちゃんは左、私は右。教えていただいたように右折した。
右折すると先ほど渡った橋の下へと下れるほどの斜面となっていたので、寄り道虫が疼きだした。
注意深く斜面を下ると数mで川辺に。
橋の向こう側、上流側には見えなくなるほどに石垣が続いていた。
しばし清流を眺めてから我に返ると先ほどの道へ戻った。後は棚田跡を目指すのみ・・・と思いながらも
道の左側をパチリ、
パチリ、
パチリ。こんなところにも立派な石垣・・・
石垣を過ぎた辺りで右側の斜面の下にも石積みを見つけたので斜面を下った。(また、また、寄り道)
そこにはこのような石積みが川の流れに沿って続いていた。これは何のためだろう? 猪垣?
これらの石積みを背にして斜面を駆け上がろうとした時、「あっあ、ビックリ!」
急いで斜面を駆け上がると先ほどの道へ戻り、先を急いだ。この切り通しを抜けて
しばらく歩くと視界が開け、待望の棚田跡が望めた。
こちらは右手方向に広がっていた、割りと平坦に近い場所。
その左手方向を遠望すると待ちに待ったあの石積みの棚田跡が広がっていた。
足早に、駆け出しそうになってさらに進むと舗装路が地道になった。
まるで苔のじゅうたん、ふかふかだった。
棚田跡下の道を先へ進むと
右端にあるこの場所から
棚田跡へ上ると見上げてパチリ。やはり俯瞰しないとなかなか全体を見ることはできない。
とにかく、頂上まで登ってみようと中央にあるこの斜面へたどり着いた。
建物の脇を通り過ぎて
さらに進むと両側には私の背丈ほどに積まれた石積みが続いていた。
所々ではこのように崩れてもいる。
この杭は何だろう?
棚田跡に足を踏み入れて私を迎えてくれたのはここにもあるように散乱されたシカのフンだった。隙間なくバラ撒かれていた。これこそまさに足の踏み場もない。仕方ないので気にせずにズカズカと坂道を登った。
もう少しで頂上、
頂上付近には小さな小屋が建っていた。
こちらの石垣の間を
抜けると
その先にも石が積まれていた。これらも猪垣?
振り返って先ほど登ってきた棚田を遠望すると
さらに遠く、鳥羽河内川の対岸(左岸)にも棚田跡を確認することができた。
頂上付近を水平方向に移動するとこのような二段の石積みが続いていた。これも猪垣だろうか?
棚田であったことを実感するために畔の跡を歩いてみた。
先ほどの小屋まで戻ると後は下るのみ。お昼までには帰宅すると入って家を出発したのでそろそろタイムリミットとなった。この他にも多数の棚田跡があるようで、川を挟んで点在しているようなので次回訪れるなら自転車での移動がベターだろう。
名残を惜しみながら坂道を下ると
その途中で美しい石積みをパチリ。
こんな所には氷が張っていた。
坂道を下り終えてから棚田跡の全景をパ〜チリ。
最後に石積みだけを・・・、再訪しよう!
この後は、行きに出会ったおばあちゃんが確認ために訪れた池に立ち寄ってから帰路についた。来た道を戻るのだが往路では気づかなかったモノをパチリ、パチリ。
行きにも眺めた場所で、先ほど訪れた棚田跡を遠望。
同じ場所なのに、行きに見た場所とは異なる場所に感じた。
河内ダムに立ち寄ると
下流側を望むと水が澄んでいた。
河内ダムを後にしてこの看板を見かけた。
その後は車を駐めた場所、第二伊勢道路 河内橋の下まで一気に戻った。
すると私の頭にはこの近くにある棚田跡の写真が・・・。確認のために急な坂道を進むと予想通りその場所には棚田跡が残されていた。
やっと鳥羽河内川上流にある棚田跡を訪れることができたのだが、帰宅後に改めてネットの地図(衛星画像)を確認するとさらに上流方向にも棚田跡があることが分かった。こちらの棚田跡は左岸側からのアプローチが必要となる。さらに奥にも・・・
興味が尽きない鳥羽河内川の棚田跡、さらに巡ってみたいものだ。
ところで鳥羽河内ダムができるとこの付近はどのように変化するのだろうか?