2016年08月06日(土) ブラッチェise ミニツアー パイロット版〜修験者達の参宮ルートPart1 付 中近世都市山田Market 上座編〜 (徒歩)
千枝さんが主催し古地図や古文書を頼りに伊勢を深く知るツアー「ブラッチェise」、そのツアーコースを熟成させるために地道に続けられている ミニツアー パイロット版。前回は宮川親子デイキャンプの日だったので参加できなかったが、今回は2日連続で参加を希望した。
まず、初日のテーマは「修験者達の参宮ルートPart1 付 中近世都市山田Market 上座編」だった。
このツアーに参加すると何かしら私が抱いていた疑問が解決される。
最初の予定ではJR参宮線 山田上口駅 午後3時半にスタートだった。定刻になっても誰もやってこない。開催日を間違えたかとも思ったが、本ツアーを告知している千枝さんのFacebookの記事を確認したところ午後4時スタートに変更となっていた。山田上口駅で乗車することが無いので列車を待つことなんて体験できない。なかなか良い機会となった。千枝さんは伊勢市駅から列車に乗ってくると・・・
前方からやって来た。
定刻が近づくと他にもひとり、ふたり。本日の参加者は顔馴染みの面々で千枝さんと3名(山口さんと田中さんと【キタヰ】こと桝屋)だった。
千枝さんが作成した資料が配られた。
本日は「日本鹿子」なる修験者による参詣案内書の記述に従って上座を目指すものだった。修験者は御師を敵対視するのか、御師に関連する場所を避けてのルート設定が多いそうな・・・
この記述によると「山田入口であるおまひろ町、左に御間の社(三社、草奈伎神社・大間国生神社)、上乃久保を過ぎ・・・ 上座に到着。
さて、出発。午後4時だがまだまだ暑い。(まぁ、私には関係ないが・・・)
山田上口駅を後にすると
(実は予定のコースマップではGoogleMapが勝手ルーティングした山田上口駅を北方向に出るルートが記されていた。今は(昔も)そんな出入口は存在しないので) 駅前の道路を右方向へ進んだ。
そして、たどり着いたのは参宮街道(伊勢街道)沿いに建つこ茶屋町(常磐町)の道標。「この分岐点は現在地より一本北側の道路にあり、この道標も元はそこに立っていました。」とあるので、
その場所を探索して北へ移動した。
スマホの無料アプリ「伊勢ぶらり」の山田衢々之図で古地図上の位置を確認しつつ
ブラタモリ伊勢編のために作成された防水仕様の山田惣絵図でも確認し、道標の元の場所を確定。
そして、茶屋町(常磐町)道標が元にあったと思わる場所から東方向へ進むと突き当たりまで進んだのだがどうも道が新しい。伊勢ぶらりと古地図を見比べながら
この場所で右折するルートを採ることにした。今まで歩いた方向を振り返ってパチリ。
右折するとその先には道路の向こう側に「せこ美容室」。
伊勢ぶらりを参考に参宮街道へは合流しないように進むとここで突き当たりとなった。後でわかったことだが、以前はこの先にも道が通っていたのだ(ろう)と。今は敷地となっているので右側へ迂回すると
この場所に出た。前方には私が先ほど(山田上口駅へ集合する前に)お参りした草奈伎神社・大間国生神社の社叢が望める。
社叢を眺めていたのはこの門の前だった。○に天の文字、今は伊勢でまる天といえば棒天で有名な磯揚げ丸天だが、宮川の流れを利用して木材を伊勢まで運んでいた頃はこちらの丸天林業が有名だったとのこと。(同行の山口さんは博識だ。)
中央分離帯のある大通りを横断すると
その途中で、スタート地点だった山田上口駅を遠望。
道路を渡り切ると目の前にある社叢へ近づいた。
こちらの社域には、向かって左側に外宮(豊受大神宮)の第一摂社である草奈伎神社が右側には大間国生神社が鎮座している。私は先にお参りを済ませていたが、皆さんはお参り。こちらは大間国生神社、殿舎の構成が興味深い。
社叢を出るとこの付近の名称についての確定作業。「この辺りは御(大)間広(おまびろ)のはず。」
さらに進み、清野井庭神社付近で地元の男性に確認したところ「おまびろ」と呼ばれているとのことだった。
その言葉を受け、古地図や史料の記述が現在にも引き継がれていることを体感した。この流れで清野井庭神社にお参り。
この後、「日本鹿子」のルートにある上乃久保(かみのくぼ)へ向かうルートを探索したところどうもこの辺りで県道37号横切ってた(まあ、1700年頃にこの県道はないのだが)のだろうと・・・
その後はスマホの無料アプリ「伊勢ぶらり」の山田衢々之図ほかに記されている道筋に誘われるように
辿り着いたのがこちら、
「うらのはしコア」の前だった。
伊勢慶友病院の向かいには「うらのはし」の地名板、当時は清川に浦之橋が架かっていた。
伊勢慶友病院を後にすると
伊勢高柳商店街(エスポアたかやなぎ)へ向かった。その入口付近には最近私が毎週のようにお参りしている
今社が鎮座する。
アーケードを入り、すぐ近くにある河合金物店の先を右折すると
ここが上乃(之)久保(かみのくぼ)。
以前も見かけた銭湯跡を通り過ぎ
さらに道なりに進むと突き当たりで直角に・・
そしてたどり着いたのがこちら。
こちらの交差点で外宮方向へ進むと
ブラタモリでも登場した旧御師 丸岡宗大夫邸が建つ烏帽子世古。(今日はここで我慢)
【参考】
- ブラタモリでも紹介された烏帽子世古に建つ旧御師 丸岡宗大夫邸 2016年06月11日
- 「さあ、伊勢市が重い腰を上げる時が来た!」、旧御師 丸岡宗大夫邸(伊勢市宮町)の特別一般公開 2016年06月12日
烏帽子世古の入口を後にし、続いてはこちら。書店 有文堂がある交差点にて
千枝さんが歩道に座り込んだ。私にとってもこの場所はお宝の場所だったのだ。
有文堂の隣には今でも空間があり、この場所には八日市場の地名通り市場があり、上座と呼ばれていたそうだ。この上座にまつられていたのが蛭子さん、つまり今は坂社の境内地にまつられている伊勢上座蛭子社だった。つまり、ここが伊勢上座蛭子社の旧社地だった。さらに、この交差点の北側には今はコインランドリーとなっている場所(以前は百五銀行八日市場支店、その前は伊勢信用金庫だったそうだ。山口さん談)があり、御薗方向から馬で野菜等が運ばれたがこの場所で下ろされた。また、ここには木戸があり木戸銭を取っていた。さらに極めつけは坂社にある曽祢口と刻された石の発見場所がここだった。そうだ。私の疑問のいくつかがこの時に解消された。だからブラッチェiseはやめられない。
【参考】
- 伊勢上座蛭子社ではえびす社夏季大祭(夏祭)の準備、坂社(伊勢市八日市場町) (車、徒歩) 2016年08月06日
- 修繕に変化なし(?)そこで境内の見どころ紹介、坂社(伊勢市八日市場町) 2016年07月16日
丸与パンの前を過ぎるとこちらが小西萬金丹本舗。
その奥には旧御師邸の跡地があるそうだ。
最後に大世古へ入ると
私がお気に入りの伊勢和紙ギャラリーがある大豊和紙工業株式会社前。
疑問に思っていたこの石柱について千枝さんに問うと名前を見て即答だった。こちらは上部茁斎屋敷跡の石碑だった。上部茁斎とは江戸時代、円山応挙に学ぶ円山派の画家とのことだった。
続いて道路沿いに建つ御師 龍太夫 邸跡の石碑を確認すると
大豊和紙工業株式会社を後にした。
大世古をさらに北へ進むと私が気になっているこの石蓋を紹介した。恐らくこの下には清川の派川が流れていたのではないか。
そして千枝さんお得意(?)の座り込んでの探索。新しく入手した地図と他の地図等を照らし合わせると古地図上の現在地を確定した。
探索を終えて県道37号へ到ると伊勢市大世古歩道橋で県道を越えた。
歩道橋の上から暗渠となっている清川の流れを想像しながらパチリ。
パチリ。
伊勢新道商店街のアーケードを交差してその先の交差点を右へ曲がると左手にあるのが大世古庚申堂。
本日のブラッチェiseはこの場所で終了となった。
この後、山田上口駅まで戻ると千枝さんと私は山口さんの車で河崎まで送ってもらった。(感謝)
ブラッチェiseは面白い。古地図にハマりそうだ!
皆さん、ぜひともご参加ください。