2016年08月14日(日) 「度会町地域資源を守る会」が作成した資料を手にして、宮リバー度会パーク周辺の歴史散策 (車、徒歩)
先日、「宮川流域案内人の知人が立ち上げた「わたらいツーリズム」の下見ツアー」 に参加した際、「度会町地域資源を守る会」が作成した資料「宮リバー度会パークとその周辺の歴史散策」をいただいた。
その中には私が以前から知りたいと思っていた情報が詰め込まれていた。これはもう巡るしかない。
南伊勢大橋で宮川を越えるとサニーロードを左折して宮リバー度会パークへ向った。第5駐車場入口が現れるので、その向かい側にあり道路に面した第6駐車場に車を駐めると歩き始めた。
第6駐車場からサニーロード方向へ歩くと程なくこの三差路となる。振り返ってパチリ。右側の坂道を進むと
その右側にはこんな・・・
坂の下側には庚申塔。
そして、その左(上)方向、高い石段の上には
小さな祠がまつられている。これは明治41年に内城田神社に合祀された河津神社跡とのこと。
手水石の手ぬぐいが新しく、地元では今でもおまつりされているようだ。その手水石には「文政二年(1819)」と刻されている。
さらに、この常夜灯の先には
小さな鳥居が置かれている場所がある。この河津道路辻遺蹟(道路辻さん)は坂の下の三差路にあったものが道路整備のために坂の上へと移設された足の神さんとのこと。
坂道をさらに上ると立派な屋敷を見かけた。この先も歩いてみたいと思ったが、次の目的地は逆方向なので今日のところはここで折り返した。
先ほどの三差路とサニーロード方向へ歩くと
左側にはこんな田園風景が広がっている。
西谷川に架かる神崎橋を渡るとさまざな疑問や思いが沸き起こった。、「西」があれば少なくとも「東」はあるのでは? 橋の名前が神崎だけに周辺には・・・
視線の先に見えるのは旧大野木神社の社叢。
折り返すように石階があり、ここが入口だ。
石階の右手をよく見ると
私好みの丸い石がまつられていた。この石は金毘羅石。
こちらは大野木神社「八柱神社」の旧地で境内には八幡宮、牛頭天王、金比羅神社があったそうだ。金比羅神社の名残があの丸い石なのだろうか?
参道を進むと
前方には御神木のクスノキが立っている。
その脇では道路を背にするように祠が建てられていた。
常夜燈越しにパチリ。
祠には「大福神」の桃符が付けられた注連縄が供えれていた。先ほど訪れた河津神社跡も同様だった。
旧大野木神社を後にするとその先左手にある曹洞宗 龍溪山 大泉寺へ向かった。いつもこの道路を通る際、気になっていた場所だった。
こちらが大泉寺、今日はお盆の法要があったのが多数の方がお堂へ集まっていた。
手持ちの資料に紹介されていたのはこちらの右側、野原地蔵と呼ばれる地蔵についてだった。
宮川の上流にある野原(現在の大紀町野原)地内では疫病が流行したため、その平癒祈願に伊勢神宮へ向かうため区民90名が3艘の船に分乗して宮川を下った。ところが内城田大橋付近にある通称「かご岩」に1艘が激突して難破し、下流の大野木区民が総出で救出に当たったが12名が死亡した(明治3年7月22日)。彼等の供養のために河津の道傍に地蔵菩薩を建立したが、埃がかかるため大泉寺の境内へと移設されたとのこと。
大泉寺を後にすると大野木公民館へと向かった。
大野木公民館の正面へ向うと
広場には盆踊りの櫓が準備されていた。
大野木公民館の奥に建っているのが
大野木観音堂で、この中には十一面観音立像が安置されている。
また、大野木観音堂の隣には
庚申塔などが屋根に覆われてまつられている。
庚申塔。
歯の神。
子安地蔵菩薩。
大野木公民館を後にすると野原地蔵がまつられる原因となった「かご岩」を確認することにした。来た道を戻るのは好きではないので、大野木区内を適当に歩いた。
ここを右へ折れると
ここを左へ進んだ。
素晴らしい風景が広がっていた。先に神崎橋(西谷川)から眺めた風景を逆方向から見ているのだが、まったく異なる雰囲気だ。さらに道なりに進むと
こんな場所に到着。左側の道路へ行きたくても行けそうになかった。仕方がないので道なりに進むと
県道38号と合流した。左方向へ進むと
多数のバス停が立ち並ぶ南伊勢高校度会校舎前を通過した。その後、裏道などをウロウロしながら
こちらにたどり着いた。
「かご岩」は内城田大橋の上流側にあるそうなので橋の下へもぐり込むと
下流側を眺めてみた。あれなのか?
河辺からではよくわからなかたので、今度は橋の上から眺めることにした。
左岸に大きな岩が集まっている。
この場所が「かご岩」なのだろうか?
帰宅後にGoogleマップで確認したら、この上流側に岩床のように見える場所があったのだが、さて「かご岩」はどこだろう?