2016年10月30日(日) 阿射加神社周辺の散策で見つけた場所、秋葉さん、高城跡(松阪市大阿坂町) (車、徒歩)
松阪市大阿坂町の阿射加神社にお参りした後、
【参考】
- 7年前に御遷座を終えていた阿射加神社(松阪市大阿坂町) 2016年10月30日
社務所の奥に広がる池の畔へ向かった。前回訪れた際には、この少し先で引き返した。今日はこの池の縁を進むと車が走れる程の幅が有り、草は丁寧に刈られていた。
歩き進んだ途中で、池とは反対側を眺めてパチリ。
順調に歩き進むと道路側の入口にはチェーンが掛かり、こんな警告板が掲げられていた。こちら側からなら進入しなかっただろうが、神社側からには何の警告や注意もなかったので何の疑いもなく歩いてきてしまった。(これは池には入るなとの警告で、周囲の道を歩くなではないのか?)
「危険」の警告板を背にして坂道を下るとY字路に到着。道なりに進めば右方向なのだが、左側の道の先に看板らしきものを発見。その小さな白いものに誘われて寄り道することになった。
左方向のルートを進むと程なくこの案内板に至った。
さらにその右手には別の案内板があった。これが私を誘った張本人だった。
そこには「←高城跡、秋葉さん→」と記されていた。
まずは「秋葉さん→」の指示に従って進むと
左手に瓦屋根がチラリ。
踏まれている小道を進むとその先には
小社が建っていた。
手水石を左手に見ながら進むと
こちらが秋葉さんだろうか。
お参り。
線香の箱とマッチ箱が印象的だった。
秋葉さんへのお参りを終えると先ほどの案内板まで戻ると続いては「←高城跡」方向へ向った。この黄色い手摺の小さな橋を渡ると左方向へと続く小道を進んだ。
途中に建築ブロックが積まれた祠があったが、これは「ほりこし観音」ではないだろう・???
さらに坂道を進むと
説明板らしきものを見つけた。
それは「高城跡」の説明板だった。
高城跡(たかじょうあと)
国指定史跡 昭和57年4月7日指定
所在地 松阪市大阿坂町字市谷・百々向
時代 室町時代
面積 31,545m2北東方向に突き出た標高70mの丘陵頂部に築かれた城で、東西140m、南北100mの規模を有する。60m四方の主郭(しゅかく)を中心に南東側に削平地(さくへいち)、西側に切り込み平地、北東側に二重の堀切りがある。
主郭をめぐる土塁(どるい)は西側が幅15mと広く、他は5mと狭いが、外側での高さは10mにも達する。主郭の西辺と東辺の中央は土塁が切れて枡形(ますがた)状の出入口を形づくっており、戦国時代の城の特徴を具えている。
江戸時代初めに成立したといわれる「南方紀伝(なんぽうきでん)」に記される阿坂城の「両出城」の一つが本城と考えられるところから、阿坂城の国指定史跡化に伴って「附(つけたり)」として指定されるに至った。
2014年7月31日 松阪市教育委員会
【参考】 説明に出てきたのでこちらが阿坂城(跡)
- 白米城とも呼ばれる阿坂城跡(桝形山、阿坂山) 2014年06月29日
説明板を後にして先へ進むと
突然に視界が開け
空間が左右にさらには奥へと広がっていた。
主郭を通り抜けて
こちらは主郭の西辺で土塁が切れて枡形(ますがた)状の出入口を形づくっていた。
お昼までに帰宅する予定で出かけていたが、寄り道が過ぎて30分ほど遅れそうだ。高城跡の散策は次回の楽しみにとっておくこととして、ここはひとまず引き上げることとし、先ほどの分岐まで戻った。次の写真の中央部に白く見える一点が私を惹き込んだ案内板だった。
阿射加神社の参道入口方向へ道なりに進むとその手前には
傾きかけている祠があった。
その中にはこちらと
こちら。
祠の隣には常夜燈が建っていた。
ほっつき歩きだったが良い場所を見つけられた。改めてじっくりと散策したい。