2017年05月05日(祝・金) 妙見堂へと通じる坂道を通り抜けて・・・ (徒歩)
倭姫宮へ向かうため河崎から勢田川を遡ると錦水橋へ到着。ここからは御幸道路を進めばいいのだが予定時刻よりも30分ほど早く着いてしまったので、寄り道遠回りにより倭姫宮を目指すことにした。
勢田川に架かる錦水橋の右岸で御幸道路を横断すると簀子橋の手前、錦水湯の脇から妙見堂跡へと続く坂道がある。
ここは先日のブラッチェiseで気になった坂道。
【参考】
この外にも「宇治(古市町)と山田(倭町)の境界」と思われる坂道がある。今日は気になっているルートをぶらりと歩き、目的地である倭姫宮へ・・・、なんと遠回りな。しかし、これがまた楽しい。
坂道へ進むと大好物な看板が立っていた。
ここも以前は賑わっていたのだろう。
そして頂上付近には文字通り妙見堂(跡)が残されている。ただし、所有者が変遷し、仏像もどうなっているのやら?
とにかく妙見堂を背にするとこんな眺望となり、足元には急な階段が続いている。どれだけの人がここを踏んだのか、思いを馳せると佇んでしまう。
妙見堂跡から先へ進むと
右側にも
さらに、左側も・・・。自分自身がかなり高い場所にいることを実感できる。
細い道をさらに進むと左手には新しい家々が建ち並ぶ。右手に放置された民家とは対照的だ。
右手の視界が開けると
間の山(尾部坂)へと通じる路地が。
その後、民家の間をすり抜けた道はここで突き当たる。左へ坂を下れば御幸道路を行き着くが、ここは遠回りで右へと進み伊勢古市参宮街道(古市街道)へ向った。
古市街道への途中、左へ下る坂がある。
ここだ。この先には倭姫宮の社叢が望め下りたくなるが、その衝動を抑えると古市街道まで・・・。(結局、遠回りしてたどり着いたのはこの坂の下だったのだが)
古市街道へ突き当たるとここを左折。右側は尾部坂で、かつてこの右手には両口屋なる旅館があったが今は駐車場となっている。
【参考】 両口屋の写真
【参考】 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第12回内宮20社) 2011年12月10日
さらに、津市白山郷土資料館でこんなポスターを見つけたことを思い出した。
【参考】 近鉄 お伊勢参り 第七回 その1/2 近鉄 榊原温泉口駅から亀ヶ広へ 2011年10月08日
尾部坂と両口屋跡を背にしてしばらく歩くと
こちらが前回のブラッチェiseにて「宇治(古市町)と山田(倭町)の境界」と確認された道、古市街道と交差して左右に延びているが、今日は下り(左)方向へ進んだ。(右方向は後日に歩いてみよう!)
細い坂道を下ると
その途中にはこんな水路が流れていた。近くにはマンションも。こんな所は歩いたことがない。
谷の底へと下るような感覚で坂を下りきると「古市(2)地区 急傾斜地崩落危険区域」の注意看板。見上げるほどの高さの上にも民家が建ち並んでいた。
行き止まりを引き返しながら迷路のようなルートをウロウロと。そしてたどり着いたのは先に紹介した坂道を下ったところだった。どれだけ遠回りしたのか!
振り返りながら記憶を巻き戻した。 「・・・・・・・・・」
もうすぐ第一の目的地である倭姫宮の参道入口だ。道なりに進むと
この場所の突き当りは旧伊勢消防本部近くにある御幸道路の交差点だ。
ぶらりと歩いたことのないルートをうろうろするのは楽しい。
ただし、いかにすれば怪しい人感を消せるのかなど、課題は尽きない。