2017年09月09日(土) 実家で見つけたお宝、久田遼三作の浅沓 (車)
神職が履く浅沓を作り続けた浅沓司 故久田遼三さんを前面に紹介する特別企画展「伊勢の伝統工芸展」が伊勢古市参宮街道資料館にて開催される(11月10日〜12月10日)ことを遼三さんの長子である修さんから教えていただいた。
なお、この案内は「三重を刺激する大人のローカル誌 NAGIの最新版 vol.70 2017 秋の84ページ」にて紹介されている。
「浅沓」、そう言えば実家にあると聞いていたので「浅沓を母に探しに行くから」とTELしてから訪れるとすでに探しだしてテーブルの上に置いてくれてあった。
自宅に持ち帰ってから玉手箱を開ける気持ちで・・・
紐を解き、蓋を開けると丁寧に紙で包まれた浅沓が仕切りを境に左右に納められていた。
また、蓋の裏には次のような説明書きが添えられていた。
この浅沓の製作は徳川時代の後期文政五年久田孫右衛門に始まり孫蔵・清吉と約百五十年の歴史を経て四代目遼三の作品であります。
先代清吉の技術を十五才より継承し手作りの一貫作業による古来の技法をもって製作し今日に至ったものでありまして、時代の変遷に伴い資材原料の入手困難を克服し最新の原料を取入れ研究に研究を重ねての製品であります。
製法は木型に和紙を十数回、柿渋とわらび粉糊で張り合わせ二枚の杉の木底を入れ漆下地六回漆中塗上塗など三十余回の工程を経、最後に平絹の甲当て布団をつけて出来上ります。寸法は九文より十二文まであります。
納入先は北は北海道神宮から南は鹿児島神宮まで全国数十社であり、昨年の伊勢神宮式年遷宮に際してはこれの多数納入を賜わり全国の新聞・雑誌・テレビ放送を通じて全国ただ一人の浅沓製作者として同好者の共感を得ました。
本年古希の歳を迎え、時代の流れとともに後継者もなく浅沓作りの職人を天職として余生を捧げたい念願であります。昭和四十九年十一月 久田遼三
丁寧に包み紙を開くと
筒状の紙にくるまれた浅沓が現れた。その上面には「御浅沓」の文字と製造者の住所氏名、さらにはサイズが記されていた。この沓は「十文半」(一文=2.4cm だと25cmくらいだ。)
筒状の包み紙から・・・ ついに浅沓が姿を表した。
やはり、魅入ってしまう。
もう一方も・・・
感慨無量。
なぜに久田遼三作の浅沓が実家にあったのかについては、特別企画展「伊勢の伝統工芸展」を報告する時にでも紹介しよう。
【久田遼三さんおよび浅沓に関する記録】
- 第十四回 伊勢の匠展(大黒ホール) 2011年08月07日
- 伊勢市伝統工芸振興シンポジウム、展示 2012年02月05日
- 回想! 浅沓師 久田遼三さん (2014年1月5日)
- [ 残念!] 途絶えてしまっていた伊勢の浅沓作り 2016年04月21日
- 古市参宮街道のバス停めぐり、浅沓司 故久田遼三さん宅の売物件に気づく 2017年05月20日
- 浅沓司 故久田遼三さん宅の再訪 2017年08月06日